4/23から続いたリアルタイム旅行記を引きついで、中国シルクロードの見所をお届けしてまいりました。
早半年
一時はいつ終わるんだろう?と自分で思っていましたが無事、最終回を迎える日がきました。今まで適当な頻度でアップしてきたのに定期的に読みにきていただいていた皆さん本当にありがとうございました。
ブログの最初でもお話しましたが、私がシルクロードに行きたいと思ったのは中学2年のとき。それから・・・○年!やっと念願のシルクロードにいけたわけです。
今回は 「天山北路」と呼ばれる敦煌からハミ、トルファン、ウルムチと抜けるルートをたどりました。
青い峰が続く天山山脈から始まり、オアシス都市を通過し、砂漠をかけぬける。昔のキャラバン隊と比べるとずいぶんと楽にシルクロードを横断したなという気もしましたが、万年雪いただく天山に灼熱のゴビ砂漠、そしてこの土地で暮らすものにとってなくてはならないカレーズをみたとき、シルクロードを感じたように思いました。
確かに1000年以上前に開削された莫高窟や20世紀最大の発見といわれている兵馬俑をみたときもその歴史遺産に目を奪われました。
しかし、長い年月商人、武将、征服者たちがたどったこの砂漠の道を走っていたとき不思議な気持ちに・・・
今年は「シルクロード年」といわれてNHKの新シルクロードを始め、さまざまなところでイベントが開催されました。
またある友人に言われたのは
「どうして、今年シルクロードなんだろう?」
そういわれるとどうしてだろう?と思う。ただ、シルクロードを経て日本にもさまざまなものが伝わったのは事実。奈良の正倉院の宝物殿にペルシャからわたってきたものもある。
そういったことから私たち日本人の中にもシルクロードに根付く何かがあるのではないか?
だから一度は見てみたい!とみなが思う道なのではないか?
シルクロードは計り知れない悠久の歴史が流れています。だからこそ、この地を訪れる前に少しでもシルクロードに関連したものを読んだり、聞いてみたりしてほしい。
ただ単に行くだけでは得られない何かがあるはず。
事前に調べたシルクロードの歴史知識があるかないかでシルクロードの旅は全く違ったものになります。NHKで放映されているテレビを見るだけでも全然違います。
最後にこのブログを読んで一人でも多くのかたがシルクロードに行きたいと思ったり足を運んでくれたらとても嬉しく思います。
私にとってシルクロードとは旅の原点に戻してくれた道であり、そして新たな出発点となった道。
幾重にも重なるシルクロード、またいつか行ってみたいと思う。
シルクロードってどこにあるの?と友人に聞かれた。
私は簡単に答えてしまった。
「アジアとヨーロッパ、そして北アフリカをつないだ東西交易の道」
そんな簡単に答えられるほど安易な道ではないことは私もわかってはいるが実際どこからどこまで?という正確なことは答えられない。なんといっても、アジア、ヨーロッパ、アフリカ3大陸をつなぐとてつもない悠久の歴史を刻んできた道なのです。
シルクロードは一本道ではなくたくさんの道が交差している。東西にのびている3つの道が基本ルート。
1.北方草原地帯を走るステップ路<草原の道>
2.中央アジアのオアシス地帯<砂漠の道>
3.中国広州から東南アジアを経てインドの南、ペルシャ湾へぬけ紅海をつなぐ路<海の道>
この3つをあわせてシルクロードと呼んでいるようです。
2番が一般にいわれるシルクロードで、砂漠の中を行く道。東西トルキスタンの砂漠にはオアシス都市が点々とあります。
東西にのびるシルクロードのほか、南北にのびるシルクロードもまた多数あります。砂漠にのびるシルクロードはとても複雑に絡みあっています。
映画「敦煌」の中にもありましたが、当時このあたりでは戦争がいたるところで勃発していました。その度に商人たちは危険をさけ、オアシスのある場所を迂回しながら旅を続けていたのだと思います。商人たちのこういった行動からシルクロードが複雑になったのではないでしょうか?
その他にも征服者たち、アレクサンドル大王やチンギス・ハンなどが行き来した道でもあります。
ブログ内では書ききれない幾多もの歴史をはぐくんできたこの悠久の道。行けば行くほどに違う歴史がみえてくるのではないでしょうか?
初日に北京首都国際空港に降り立つも、徘徊する時間がなく帰国日に調査開始。それにしてもまあ、カウンター近辺は混んでる混んでる。
とりあえず、入国審査をする前に早速、うろうろしてみた。
まずは二階。最初に目についたのがキレイなお姉さんのいる茶芸屋。本格的なお茶屋さんです。茶葉が開くまで急須の中で、寝かせてころあいをみて、一番おいしい状態で飲む。もちろん、一杯目は捨てて、二杯目を飲む。茶菓子もついています。
中国式円卓があるレストランもある。注目していただきたいのはお客様の数ではなくて、従業員の数。緑の上着を着ています。こんなにせまいレストランにこれでもか!!!というくらい従業員がいるのにみんな真ん中でうろうろするだけでたいして働いていない。
見たところ、これだけ人数がいるので
「すみませ~ん」
といえばすぐに注文はとってくれていました。
ところで、入国審査の前にしなければいけないこと!
普通、入国審査を終えてから 買い物=免税!という鉄則がありますが、おみやげに食べものを買おうと思っている方!かならず1階のおみやげやで購入することをおススメします。
安いし、スーパーで売っているようなローカルお菓子がたくさん売っています。
中に入ってしまうと、パンダチョコ(←おいしくない)、月餅(←おいしいけど高い)など、私はかなり損をしてしまいました。
箱はしっかりしているので免税店で買ったほうが、見栄えもするし、中身が壊れないから!という方は免税店でもたくさんお菓子が売っていたのでちゃんとしたお土産には免税店のほうがいいかもしれません。
買い物も終わって、搭乗時間まで時間がある。ちょっとお茶でもと思ってカフェに入るのもいいですが、空港内にある自販機。おもしろいもの売ってますよ。
一番下の段にあったんですけど、豆乳の本物の大豆、他豆いろいろいりジュース?かな。ものすごいあま~い、食感は甘酒のようなジュースから、濃厚なお茶にたっぷりの砂糖入りなどなど。興味深い飲み物満載の自販機でした。一番上の段はお水とお茶ですが、お茶には砂糖が入っていることが多いので、必ず「無糖」と書いているのを選びましょう!
最後に小銭があまってしまったらお土産にドリンクなんていかがですか???
北京
2005年10月13日 16:25
兵馬俑博物館の一角に 秦銅車馬展覧館がある。陵墓には兵馬俑坑の他、銅車馬坑、馬廐坑、珍禽奇獸坑など樣々な府蔵坑もあり、全部で2000余りあるといわれている。銅車馬坑から2組の銅製馬車がここに移動された。その他、さまざまな種類の貴重な兵馬俑も展示されているので一号坑、二号坑などで遠目でみていた兵馬俑を真近で細かい細工を見学できる。
これらの銅車馬は実際の2分の1のサイズ。車、馬は青銅質で、多くの金銀に彩られ、全体に彩色の花紋があり優美。現在まで発掘された車馬の中では保存状態がよく、華美、とあって世界でも貴重な車馬になる。
左側一号車は先導車になり、長い銅製の傘蓋があり、その下にいる御者は腰に剣を持っている。二号車は秦の始皇帝の専用車。セダンタイプで窓、ドアも開閉自由。御者が車の前に乗っている。二台とも四頭立ての馬車で、車体に美しい模様が描かれ、色彩も豊か。金銀製の装身具、2200年前の金属加工の精密さ、技術の高さに驚かざるを得ない。
鎧俑の中には、跪き射 り俑、立射り俑など多数あり、写真は跪き射 り俑。
兵士俑の中の重装歩兵俑は鎧をかける。一、二、三号兵馬俑坑の中で鎧俑の数が一番多く、歩兵俑の約80%を占めている。
鎧俑の姿形、髪の結い方など千差万別なのでこの博物館で見比べるといい。
中国古代史では、人が死んでも魂は死なず、冥土の世界では現世と同じ世界が広がるという念があった。死者に対する葬儀、埋葬は生きている時持っていたものは死後も持つべきであるという概念。そういったことから、陵墓全体の構造、殉葬の品は皇帝生前のまま扱われた。
兵馬俑はまだ発掘途中である。秦始皇帝陵墓は古代遺産で、発掘が進めば進むほど、新しい遺跡や遺物がどんどんと出てくるはず。
旅行者の観光名所であり、考古学者の夢の場所なのである。
兵馬俑は1974年、井戸を掘っていた農夫が偶然発見した世界遺産です。
偶然、発見してしまった農夫というのがこちらの 「楊さん」現在は、兵馬俑に関する書籍が売られているコーナーの一角で名誉館長といった肩書きでおられます。
本を買うともれなく楊さんのサインがもらえます。
館内に入る前、ガイドさんに
「楊さんの写真は絶対に撮らないでください!」
と言われたのでとりあえず人目みようと近寄ってみる。欧米の方々がフラッシュばりばりたいて、楊さんの写真をバシャバシャ。あ~、撮りたい、でも、怒られたし・・・でも、楊さんニコニコしているしもしかしていいのかな?と思案していたら、同じツアーに乗っていた人。
「あのおじさん誰?」
知らないというのは罪なことである。丁寧に教えてあげた
「この兵馬俑を発見した人だよ!!!」
といったらその人は一目散に楊さんのところにいって、なんと握手してもらい、写真をパチリ!
ガイドさんの話を聞いてないというのも考え物だが、こういうとき大変便利である。
ということで、遠目から望遠で楊さんを撮ってしまいました・・・ほんとすみません。フラッシュはたいてないんですけど(←言い訳)
あとで、ガイドさんに聞いたら、目が悪くなってきててフラッシュがきついとのこと。それと、写真を撮られるのがあまり好きじゃないという理由からガイドさんには必ずお客様に案内してください!と博物館から言われているらしい・・・
ほんとにごめんなさい。
最後にもう一つ!
楊さんに日本の漢字=自分の名前を強要してはいけないとのこと!時間がかかってしょうがないということでした。
それにしても楊さん・・・すごいものを自分の畑で発見してしまったものです。
西安
2005年10月12日 12:31
西安名物といえば 「羊肉泡莫」(ヤンルーポーモー)。もちろん、この「羊肉泡莫」を専門とした麺の屋台も多いですが、普通の麺を扱っているお店もたくさんあります。
中国といえば、ラーメンを思い浮かべる人が多いと思いますが、日本で食べているようなラーメンを食べることのほうが難しいかもしれません。
実際、私もこういった一見うどん?のような白い麺を食べることのほうが多かったです。太麺、中細麺、細麺(そうめんのような感じ)、さらにビーフンのように米から作られた麺。
中国ではさまざまな種類の麺を自分で選んでさらにトッピングを選ぶことができます。
こんな簡単に盛り付けられて、おいしいの?
スープのダシが効いていてかなりおいしい!量もこれじゃあ足りない?
いえいえ、ご心配ありません。
他の屋台でまた食べたいものが出てくるので麺はこのくらいの小さい器で軽く食べたほうがおいしいです。
こういった屋台は指差しで注文できるので簡単にお好みの麺を選ぶことができます。
上にのっている茶色のものがありますが、ピリッと辛くてダシによく合います!
中国には56の民族があるが、大多数は漢族で残り数パーセントを占めるのが55の少数民族といわれている。
シルクロード付近、新彊ウイグル自治区はトルコ系民族のウイグル族、回族、カザフ族、キルギス族などが多く、それぞれ、異なった文化と言葉を持っている。
トルコ系ということで掘り深いエキゾチックな顔立ちをしており、北京近郊に住む人たちと顔かたちがだいぶ異なる。
ウイグル族はもともとはキリスト教や仏教までも融合したマニ教を信仰していたが、西方からイスラム教が次第に入ってきてイスラム化した。
そういったことからシルクロードはイスラム教徒が多く、西安から西になればなるほどイスラム色が強くなる。イスラム教は豚肉が禁止されているので羊肉料理が中心となる。
街中ではモスクも多くみかける。
日本の約26倍もの面積を持つ中国では地域により気候がだいぶ異なる。
<西安近郊>
ほぼ日本の四季と同じと考えてよい。7~8月は蒸し暑く、秋になるにつれ曇りや雨の日が多くなり、1月は-5度まで気温が下がる。だが、一日の寒暖の差が日本に比べて激しいので夏でも薄手のカーディガンを持参するとよい。
<敦煌近郊>
春の訪れが遅く、4月頃の観光だと夜はかなり寒い。夏は晴れれば暑くなるが乾燥しているので過ごしやすい。日差しが強いので日焼け対策が必要。
<ウイグル自治区>
春と秋が非常に短く、夏暑く、冬寒い。
トルファンは標高が低いため、かなり暑い。4月でも蒸し暑い日がある。日差しが強く、サングラスや日焼け止めは必須。夏場は40度を越える日があるので充分な水分補給をして観光に臨みたい。
●旅のシーズン●
観光のベストシーズンは4~6月と9月。
7,8月はかなり暑いのであまりおすすめできない。(注:ツアーは4~10月とあります)
日本のゴールデンウィークは中国でも一週間ほどの休みがあり重なるので日本人観光客ともども中国人観光客もにぎわう。
この茶器は中国大都市ならどこでも購入できます。
特に上海、台湾では種類も豊富でかわいい茶器がたくさん!
この茶器はとってもすぐれもの。簡単にいうと急須とお茶碗が一緒になっているその名も 「急須マグカップ」(←勝手に命名)
マグカップの中に茶こしが入っています。網ではなく陶器の茶こし。小さい穴がところどころに開いているだけなのですが、結構いい具合にお茶がでる。お茶を入れた後はマグカップの蓋をひっくり返してその上に茶こしを置く。
後は、普通のお茶のように飲むことが出来る!さらに、茶こしにいれたお茶はあと数回は使えるので再びマグカップにセットしてお茶をいれるということも可能!
会社ではティーパックしか使えない!と思っている方!これでお茶の葉っぱで手軽に飲めますよ!
そして、上の急須マグカップのさらに上をいく代物がこの 「恐竜急須マグカップ」
単なる湯のみかな~と思ってじろじろみていたら、下に穴があいている!なんで?
これじゃあ、お湯こぼれるではないか!!!
と店の人にぶつくさ言っていたら、
「見てて」
といって、お湯を注いでいく・・・でも、下からこぼれない!な、なんで?
A.恐竜の首より下にお湯をいれると単なる湯のみ。
B.恐竜の首より上にお湯をいれると急須になる。
Bの場合は茶葉を入れて、この湯のみの下にさらに本物の湯のみを置く。すると、お茶が下に落ちるという仕組みだ。
なんとも不思議。
その場でお茶を入れてくれたので、飲んでみる。
飲みにくい・・・真ん中の恐竜が鼻にあたって邪魔なのである。
実用的ではないけど、部屋に飾っておくと、大体、みんな
「何これ?」
って言うのでネタにどうぞ!
西安
2005年10月07日 15:03
中国に行く前にこのブログをライブでアップデートするために一応、調べていった 中国でのインターネット事情だが、実際は想像以上に厳しい環境だった。
1.ウルムチ
海徳酒店という5ッ星ホテル滞在だったので、つながるだろうと思っていたらなかなかつながらない。LAN回線が各部屋につながっていたので接続を試みるが、一回もクリアすることができず・・・
ホテル内のビジネスセンターで使用することができず、しかも夜8時までしかあいていない。もう一つインターネットバー?がホテル内にあるということで、ここでやっと日本語が使えるパソコン発見!さらにADSLなので普通にサクサク更新することができましたが、なぜか写真のアップロードは厳しかった。
<街中>
インターネットカフェを3軒ほど見つけましたが、どれも日本語対応なし。パソコン持込OKのところでもつながらず断念。
2.トルファン
滞在したトルファン賓館の前のカフェでネットができましたが、日本語不可。
老城路沿いの郵便局脇にインターネットカフェあり。日本語不可。
3.敦煌
鳴山路に2,3軒インターネットカフェあり。歩いているとゲームをやっている少年少女が見えるのでそこがインターネットカフェ。一時間3元とかなりリーズナブル・・・がここは電話回線のようでつながりが非常に悪い。
ブログのアップなどはかなり根気がいるが、日本語対応パソコンは3台もある。
4.北京、西安
大都市なのでかなりの数のインターネットカフェあり。敦煌と同じ1時間3元だが、こちらはADSL。日本語対応あり、写真のアップデートも自由自在。日本と同じ感覚でインターネットを楽しむことができます。
最近では個人ブログを持っている人も多く、家族、友人とのコンタクト代わりに毎日旅の様子を私のようにアップする人が多い。
大都市だけの旅行なら自分のパソコンを持参してホテルの部屋で簡単にアップ!もしくは近くのインターネットカフェにということもできるが、やはりそうでないところにいく場合は事前にチェックしていったほうがよい。
中国、シルクロードのあたりはまだまだ未発達。電話回線でも根気よくアップできる人ならば問題なくインターネットをすることができる。
二号坑は約6000平方メートル、東西96m、南北84mの面積を誇る。
陶俑は約1000体、そして、戦車が89両。長方形に布陣した騎馬隊、正方形に布陣し弓を持った歩兵と戦車隊。それぞれが混合されており一号坑より見ごたえがある。
三号坑は一号坑西端北25mにあり、面 積は約520平方メートル、東西18m、南北22mで規模としては一番小さい場所だが、地下軍隊を統帥する司令部にあたると考えられ、武士俑68体、戦車1両、陶馬4匹を見ることができる。
3号坑はすでに発掘が終わっているが、1号坑は今なお発掘を続けている。
兵隊俑の身長178cm、胴体は空洞、顔の表情は一体一体異なり、身分により衣服も違い、がっちりとした腕からまっすぐ伸びる手には必ず武器を握り締めている。
兵馬俑は粘土から作成され、彫刻を施し、窯に入れて焼いていた。今で言う陶芸のような手法。生きている人間に代わり、陶人形を埋葬したことから、文明の発展がうかがえる。
当時、始皇帝率いる戦国最強部隊がどれほどのものだったか感じることができた。
今回、シルクロード取材でお世話になったのがこのJHC運行の 「シルクロードエクスプレスバス」
シルクロードを陸路でとなると、まず心配になるのがお手洗い。そして、長距離移動による腰の痛み。このバスはトイレ完備、座り心地のよいシート、さらにはゆとりある座席スペースと今までにないシルクロードバスを今年完成させたのである。
詳細はこちら!
さて、第一回目の就航バスとあって旅行会社の方取材の方とたくさんの人とこのバスで同じ時間を過ごした。
普通のパッケージツアーではないので普段出会えないであろう人たちとの再会に感謝したい!
私はどちらかというと年下のほうだったのでいろいろ勉強させてもらいました。
パッケージツアーは時間の制約などがあり、いつも団体行動でプライベートを大事にする人にとっては苦痛かもしれない。実際、私も今まで一人旅という旅のスタイルできたので、ツアーというのはどうだろう?と思っていたけど、旅を通じて出会った人たちというのは同じものを見て感想を言い合ったり、ご飯を一緒に食べているうちに「同じ釜の飯」じゃないけど、連帯感のようなものが生まれてくる。
シルクロードはそもそも商人たちがキャラバン隊を作り、長い月日をかけてらくだとともに旅した道である。パッケージツアーに参加してシルクロードの旅の醍醐味を語らうというのはいかがでしょうか?
西安の最大の見所、20世紀最大の発見といわれているのが 秦兵馬俑博物館。1974年、井戸を掘っていた農夫が偶然発見した兵馬俑坑は秦始皇帝陵の東約1.5kmの場所にあり、始皇帝を永久に援護するために副葬されたものです。
東西約230メトール、南北約62メトール、現地表から深さ約5メートル、総面積1万4260平方メトールの規模を誇る1号坑の兵馬俑坑は兵士像と同じ高さの土の壁に木をのせ、藁と土をかぶせて埋められていました。
1号俑坑の中に陶俑、陶馬が約6000体、38列にわたって並んでいます。
兵士像は平均身長178cmと等身大。顔は一体一体ずつ微妙に違いがあり、いかに膨大な労力がここに注がれていたかがうかがえる。
展示されている傭は発掘したままの配置で並べられています。
長い間土の中に埋められていた傭の色は、外気にさらされるともろく、変色してしまうため、当時の色彩がわずかに残っているだけとなっている。
1号坑には大量の青銅兵器も展示。
兵馬俑の周りの遊歩道は兵馬俑の少し上の高さに設定されているので、真近で見ることができ、写真も自由に撮影することができる。
その1入り口屋台に続き、おもしろメニューその2です。
これ、おいしそうでしょ?ガス台の上に小さい一人サイズの釜を乗せて食べるその名も 石焼釜飯?である。(←勝手に命名)
店先は香ばしいにおい・・・
お兄さんがしょうゆベースのタレをハケで具材の上に丁寧においていっている。その焼けているにおいではないか?ハケで塗り終わった後は蓋をしめ、蒸し焼きにする・・・
かなりおいしそう・・・というのもこの日、しゃぶしゃぶを食べ過ぎてこれ以上は食べられなかったのである。
釜飯にいれる具材は自由にトッピング可能!
見よ!この種類豊富なトッピングの数々・・・
何をいれるか迷ってしまうが、やはりこのから揚げもどきを上に乗せて食べるのが一番おいしそうだし、店先の人たちもみんなのせていた。
さらに、うずらの卵を二個ほどのせるのが地元通かな?
今度、西安にいったら絶対この釜飯食べたい!
中国のしゃぶしゃぶというと 「火鍋」を思い出しませんか?白(鶏だし)と赤(唐辛子ベース)のスープにいろんな具材をしゃぶしゃぶして食べる鍋です!
が、中国にも日本のようなしゃぶしゃぶあるんですね!この写真をみてもらうとわかるように薄切り肉に白菜や青菜・・・豆腐まであります!しいていうと、生卵と鳥のすり身団子があるのがちょっと日本のとは違うかな?
豆腐の下になってちょっとわかりづらいけど、きしめんの代わりに中国は春雨をいれます!
さて、鍋は一人一つ。たれはというと・・・
日本では ポン酢とゴマダレ。
中国のタレは自分でお好みをトッピングします。
20種類以上もあるゴマペーストや豆板醤、味噌のようなものからしょうゆ、しょうが、青ねぎ、などなど・・・自分のお好みのタレをタレバイキングコーナーにいって作成します。
ポン酢を作ろうと思ったら、しょうゆにライムを垂らしたら簡単にポン酢もどきもできました!
と早速、食べようとしたら隣にいた韓国のおばさん
「ゆきんこちゃん、タレの中に生卵いれないとダメよ!それも黄身だけ!白身は鍋にいれて食べなさい!」
と言われたのでゴマダレの中に黄身を入れてみた。
こってりしてそうだな・・・と思いきやこれがかな~りいける!
まあ、すき焼きをしゃぶしゃぶで食べたという感じでしょうか?
ということで、生卵があったのはタレに入れるためだったようです。しゃぶしゃぶの中にも卵をいれてお湯卵?を作って生卵が入っているタレにいれて食べる・・・
なんともコレステロールが多い中国のしゃぶしゃぶである。
日本でもゴマダレに生卵いれて食べたらこの味になるかも?おためしあれ!
著名な石碑を多数そろえている博物館。元は、孔子廟(文廟)だった場所を博物館にした場所。
現在、8万点にも及ぶ収蔵物は、 歴史、石刻芸術、碑林と3部屋に分かれて展示されている。
その中でも一番中核をなすのが博物館奥にある「碑林」
数多くの石碑が林立するということから「碑林」という名前がついた。
楊貴妃とのロマンスで知られる玄宗自らが儒家の経典に注解を加えて書いた 「石台考経」や、キリスト教ネストリウス派の布教代表団との交流を記述した 「大秦景教流行中国碑」、空海の師匠のさらに師匠であったインド僧不空和尚の一生を記した 「不空和尚碑」など、見逃せない。
その他、歴史陳列室では、ローマ貨幣、墓室壁画の展示、石刻芸術陳列室では石像やレリーフが時代順に並べられている。
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