今日はこれまでの2ヶ月に渡る旅を振り返ってみる。
というのも、今日は午後から結構雨が降っていて外に出られなかったので、張り切ってブログの原稿を書いたり写真を加工したりしたのにネットカフェがお休みだったのだ!!
これって結構がっくりなんだよねー。
だって、一生懸命書いたのにアップ出来ないんですよぅぅぅ。
この先の旅情報も手に入れたかったのにぃぃぃ。
とうだうだしてみたがどうしようもない。
寝るには時間が早いので、今回の旅をちょっと振り返ってみることにした。
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1.最も心に残っている所
デルフィ(ギリシア)とアッシジ(イタリア)。どちらも神に祈りを捧げる聖地。
町が非常にこぢんまりとしていて、どちらも散策しやすく過ごしやすかった。歩いているだけでも心が静まる、そんな場所。
3.最もおいしかった所
シチリアの屋台。アーティチョークの丸焼きは絶品だし、パンに挟んでくれた巨大なステーキもジューシー。そして格安(これポイント)!!
4.最もすばらしかった文化遺産
うーん、これは難しいなぁ。プラハ(チェコ)の旧市街の町並み、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿、ロドス島(ギリシア)の城塞、メテオラ(ギリシア)の修道院群あたりでしょうか。
5.最もすばらしかった自然遺産
プリトヴィッツェ湖群国立公園(クロアチア)。あの美しい湖水は忘れられない。
2日あれば充分に散策できる広さも魅力。足下を流れる清流に、心洗われた。
6.最もお気に入りの国
総合的にスロヴェニア。豊かな自然、かわいらしい街々に、美しい海とすばらしい文化・自然遺産。バランスが取れていてパーフェクト。食事もおいしい。
7.最も大変だったこと
ギリシアのメテオラからイタリアのバーリまでの移動。大変なことはあまりブログには書かないようにしているんだけど、この時ばかりは書いてしまいました・・・。
8.最もがっかりなこと
シチリア島で、一番楽しみにしていたモツィア遺跡に行けなかったこと!私がいたトラパーニから車で30分もあればついたのに、交通の便が非常に悪かった為、行けなかった。
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とりあえず、こんな所でしょうか。
残すところあと3週間。これらを越えるすばらしいことに出会えることを期待しつつ、この貴重な旅を楽しもうと思う。
今のいままで、”ルーマニア人”と接触する機会は全くなかった。
仕事柄、世界中の人と話すチャンスがあったし、実際たくさんの国の人と出会ったけれど、その中にルーマニア人は一人もいなかったのだ。
だから、私の中にあったイメージはかなり貧弱なモノで、ルーマニアといえばドラキュラ、なんとなく靄がかかったような薄暗いお城。あるいは、チャウシェスクによる恐怖政治。こちらはほんの15年ほど前の出来事だから、記憶にも新しい。
ハンガリーからルーマニアへ向かう列車では、一人の青年と同室だった。
ヨーロッパの列車では男女の区別なくキャビンが用意される(簡易寝台)。
だから、女の子一人とおじさん5人ということもあるし、逆に女の子4人に男の子一人ということも。今回はスキンヘッドの男性と相部屋だった、というわけだ。
見た目はちょっと怖いがとても親切だった彼は、ルーマニアに生まれたが米国へ移民として渡ったのだという。今回は12の時にルーマニアを出て以来、実に13年ぶりの帰国。恐怖政治を強いられ最も貧しかった頃に、彼の両親は国を出る覚悟を決めたのだろう。
ルーマニア出身の著名人は誰だったかと調べたところ、体操選手のコマネチがいた。当時すでにオリンピックの金メダリストだった彼女は、1989年にルーマニアを脱出、アメリカに亡命している。
非常に厳しい時代を生き抜いてきて、今のルーマニアがあるのだ。
アメリカに移民してからの生活も、彼らにとって決して楽ではなかったはずだ。
だから、今回の祖国への帰国には、様々な思いが去来していることだろう。
「ほら、街があるけど、ほとんど廃墟でしょ。あれは人々がみんな他の国へ逃げて、まだ戻ってきていないんだよ」と、彼は指さす。
経済状態は今なお深刻。EU正式加入を目標にがんばっているが問題は山積みだ。
ルーマニアに入った途端、駅に止まると物乞いがやってくる。
これまでの国々にはなかったことだ。
しかし、以外だが人々は明るい!
というのも、中欧唯一のラテン民族で、「スラブ人とはワケが違う(ルーマニア人談)」そうなのだ。「踊るの大好き、歌うの大好き」で、女の子を見ると話しかけずにはいられないらしい!
「特に日本人は大好きで、男の子たちはじっと君を見つめるかも知れないが怖がらないで。単に興味があるだけで悪気はないんだ!」とは、宿を世話してくれたギギさん。
ルーマニアにしろ、トルコにしろ、日露戦争で大国ロシアをちっぽけな日本が負かした、というイメージが未だに強い(巷ではそう言われている)のか、日本に対して親近感を持ってくれている。
レストランで食事をしていると、ウェイターが「日本から来たのか!あー、もっと時間があれば、町中を案内したのに・・・!」と、こうである。イタリア人やスペイン人のように馴れ馴れしくない(失礼!でもすぐ手を握るしね・・・)、ちょっとシャイだけど一人でいる女の子をほおっておけない、そんな人々なのだ。
女の子たちのファッションや化粧、髪の毛の染めかたなどは、ウクライナ人を彷彿させる。私は長年ウクライナ人と一緒に船上で働いてきたので、そんな彼らには親しみがわく。
ラテンだけど、トルコやロシアといった、全く別の文化が混ざり合っているカンジだ。そうルーマニア人に言ったら「そんなことはない!」と言っていたけど・・・。
やっぱり直接人々と話してみないとその国のことは分からない。
今までのイメージと違ったものを発見することに、旅の醍醐味はあるのだ。
やってきました、温泉湖!!
温泉湖、と聞いてどんなイメージが思い浮かぶだろうか。いや、きっと簡単には浮かばないに違いない!!
私は話のネタになるような「変わった温泉」が大好き。過去にはアフリカの「灼熱地獄温泉」、アイスランドの「地球の割れ目温泉」など、風変わりな温泉体験が多い。「温泉湖」と聞いてイメージがわかないのは私も一緒。こりゃ行かなきゃ!!と、次の訪問地に選んだのだった。
ハンガリーは前回触れたように、ヨーロッパ有数の温泉大国。
首都ブダペストだけで50近くの温泉があり、旅行者も気軽に入れるのが特徴だ。
そのブダペストから南西へ、列車で3時間。ケストヘイという駅からさらにバスに揺られること20分で、その温泉湖がある街、ヘーヴィーズへたどり着く。
私が入った中で最も大きかった温泉は、アイスランドの「ブルーラグーン」温泉。しかし、この温泉湖、それより遙かにでかかった・・・。
この温泉湖は、何と世界第二位の大きさを誇る。一日8600万リットルのお湯が沸き、水温は32度、冬でも26度程度に保たれるのだという。
紫色の美しい睡蓮、緑がかった温泉湖には小魚が泳ぎ、何とも不思議な世界。
浮き輪を借りて(水深最大36m!)一時間ほど浮いていたが、温度がぬるいのでちょうどいい。施設も充実していて、ロッカーやシャワーも完備、浮き輪に水着、キャビンも貸し出している。さらに各種マッサージも受け付けていて、一日遊べるスパワールドといったカンジだ。
温泉湖はぬるいが、館内の一部に湖を仕切った枠があり、その中は37度くらいで暖かい。日本のように「熱い」温泉ではないけれど、一日中浸かったりのんびりしたりするには良い温度だ。
温泉湖のゲート前にバス停があり、その周囲にレストランやホテル、お土産屋さんなどが軒を連ね、温泉帰りにアイスクリームを食べ歩きしながらお土産を見るというのが、湯治客の常のよう。
28時間で全ての湖水が入れ替わるという、ハンガリーの温泉湖。
ブダペストの喧噪に疲れちゃった時は、ちょっと足を延ばすのもいい。
ツイていないことが続くと、方向転換することにしている。
一回目は我慢、二回目で「あれ・・・?」と思い、三回目で見切りを付ける。
これが私のやり方。きっと何か、見えない力が「こっちには行ってはいけない」「そっちへ行ってもロクなことはない」と教えてくれているのだ、と思うことにしている。
本当は、今日ウィーンへ戻るはずだった。
本日、世界のオザワ指揮によるウィーンフィルのコンサートがあったのだ。ここまではまぁ、いいんだけど、共演が!!
何とロストロポービッチである!!
え、誰、それ??というカンジかもしれないが、チェリストならみんな知ってる、世界を代表するチェリストなのだ!
そんなスゴイ演奏会があることを、ウィーンを訪れたときに知り、即チケットを買いに走った。しかし残念なことに、立ち見席しか残されておらず、泣く泣くそれを購入したのだった。
それでも私の心は躍っていた。だってロストロポービッチの生演奏!!しかもウィーンフィル!!そしてオザワ指揮!!
予定では前日にウィーン行きのチケットを買い、今日ウィーンへ移動、コンサートが終わったらスロヴァキアのブラチスラバへ移動するハズだった。一日でコンサートのためだけに、三ヶ国をまたぐことになっていたのだ。
ところが。
(1)チケット売り場で前日にチケットを買えなかった(パスポート不携帯だった為)。
(2)情報収集&ブログアップの為に、インターネットカフェへ行ったら土曜日だったのですでに閉まっていた。
(3)ホッロークーへ行ったことでヘトヘト、翌朝6:00発の列車に乗る自信が消え失せた。
「明日は移動が多いからブログアップできないし、今日中にがんばろう」と、眠たい目をこすりながら、疲れた身体にむち打って原稿を書き上げ、「これで寝れる・・・」とネットカフェに向かったのに、すでにお店は終了。
朝6:00の列車に乗るためには、30分前には切符売り場にいたいから4:30には家をでなきゃ。っていうか、バスとかあるんだろうか。もうすっかり夜中、これからパッキングして、一体何時間寝られるんだ??
と考えたら、あまりに無謀に思えてきた・・・。
だいたい、ツイていないことが3つ以上重なっている。
「ウィーンに行っても、きっと寝不足でスリにあっちゃったり、何かイヤなことがあるに違いない!」と仕方なく自分に言い聞かせ、方向転換を計る。しばらくガイドブックとトーマスクックの時刻表を熟読・・・。
「そうだ!温泉湖へいっちゃおう!」
さっきまでスロヴァキアのブラチスラバについて調べていたのに、それらは全て水の泡。というわけで、予定していたスロヴァキアはスキップ。
そんなワケで、温泉湖へ・・・!
女一人旅はまだまだ続く。
ブダペストからスロヴァキア国境を目指し北上すること100km。
そこに、世界遺産に登録されている村、ホッロークーがある。
バスの時刻を調べたら一日一便。8:30にブダペストを出て、10:30着。帰りは16:00のバスでホッロークー村を出発、18:00にブダペストへ戻ってくることが出来る。
一日一便か・・・。逃したら現地で一泊せねばならない。結構危険だ。世界遺産の村だしブダペストからツアーが出ているのではと調べたが、そんなものはないらしい。あんまり便数が少ないので躊躇したが、まぁ逃したら逃したで何とかなるだろう、と行くことに決めた。
行くまではホッロークーをバスが通り過ぎちゃったらどうしようとか、いろいろ不安材料もあったのだが、行ってみて正解だった。それはそれは、かわいらしい村だったのだ。
ホッロークーの村人たち、パローツ人はその昔トルコの方から移住してきた人々の末裔だという。古き良きハンガリーの伝統が未だに生きている、そんな村だ。中でも特徴があるのはその建築様式。土と藁を混ぜた壁に石灰を塗るもので、白い家々が青い空に映えて大変美しい。どの家も一階部分が半地下のようになっていて、入るとひんやりする。
これらの家は博物館やお土産屋さんになっているので、私たちも気軽に中に入ることが出来る。売っているものも、伝統的な木彫りの台所用品やおもちゃなど、つい欲しくなってしまうモノが多い。
ステキなパローツ料理のレストランで、おいしい食事をとった後、村のはずれにあるホッロークー城へ行った。お城までは15分ほどのトレッキングコースになっていて、腹ごなしにはちょうどいい。お城からの風景は格別。下にはホッロークーの村が、そしてそれを取り囲むように、草原と森が広がる。吹き抜ける風がひんやりとしていて気持ちいい。
壮麗なブダペストと比べると遙かに素朴な村だが、こういった素朴な村にこそ、ハンガリーの魅力があるのかも。一日一便とかなりアクセスが悪いが、ブダペストとは違ったハンガリーを味わうためにもぜひ訪れたい村だ。
未だかつて乗ったことのないような、せまくて硬い寝台列車に揺られ、チェコのプラハからハンガリーのブダペストへ入った。
ウィーンとプラハでは結構寒い日が続いていたのに、ブダペストに来た途端、温度が急上昇。気温の差というのは結構身体に影響するものだが、私の場合は偏頭痛という形で発生する。おかげでここ数日、薬の手放せない日々が続いている。
ブダペストにはいわゆるユースホステルの他に、プライベートルームという安宿がある。これは家庭の空き部屋を旅行者に貸しているもので、簡単にできるホームステイのようなものだ。アパートの一室を何人にも貸している場合もある。国際線が到着すると、部屋貸しのおばちゃんたちが旅行者に声をかけるので、興味がある人はおばちゃんたちの声に耳を傾けるのもいいかもしれない。
めんどくさがり屋の私は、おばちゃんたちに声をかけられるのを待っていることもある。
宿探しは結構大変だ。インフォメーションデスクで良い宿が見つかるとは限らないし、ガイドブックにある情報から得たイメージと実際が異なっていたり・・・。自分の足で探すとなるともっと大変で、重いラゲージを背負ったまま一時間も街をさまようハメになったこともある。
その点、おばちゃんたちは情報をたくさん持っている。
「シングル使用で町中」を探していると告げると、一人のおばさんを連れてきてくれた。そのおばさん、ギゼラが持っているアパートを貸してくれるという。
アパートはブダ側(ブダペストはドナウ川を挟んでブダとペストに分かれている)、キラーイ温泉とルカーチ温泉の間にあった。地下鉄、トラム、バス停まですぐだし、徒歩1分圏内に銀行、スーパー、ネットカフェがある便利な環境。部屋も清潔なので借りることに決めた。
部屋で荷を解き、一休みしてから買い物。その後は寝台列車の疲れをとらなきゃ!
とさっそく温泉へ。
行ったのは伝統的なトルコ風呂、キラーイ温泉。アパートから徒歩3分、最高である。
400年以上の歴史があるこの温泉は、オスマン朝の支配下にあった時期に作られたものだという。月・水・金が女性、火・木・土が男性と使用できる日が分かれている。
中は裸が原則で、日本の温泉のようだった。
中央に大きな六角形の浴槽、ドームにあいた明かり取りから差し込む太陽光が、何とも異国情緒溢れているけれど。この横には40度と36度、28度の浴槽がそれぞれあり、サウナも異なる温度のミストサウナが用意されている。
久々の温泉に大満足。夜は閉まってしまうのが難点だけど・・・。
翌日は朝から市内を観光し、昼寝をしてからゲッレールト温泉へいった。
こちらの温泉も歴史は古く、20世紀初頭に建てられた建物はアールヌーヴォー様式で、
外見も内装も一見の価値有り。浴槽エリアは、壁や天井に貼られたタイルのモザイクが美しい。
お湯はちょっとぬるめで、36度と38度。長い間浸かっていられる温度だ。
他にキラーイ温泉と同様、温度の違うミストサウナが用意されている。
ただこの温泉、観光客が多く、みんな水着!!!
ハンガリーの伝統的な温泉は基本裸なので、私もそのつもりで行ったのに、裸だったのはハンガリー人のおばちゃんたちと私だけ。みんな水着の中裸というのもハズカシイが、そんなことお構いなく温泉を堪能したけど・・・。それはちょっと、という人は水着を用意した方がいい。
ちなみにこのゲッレールトは、プールの使用料も温泉使用料の中に含まれているので、どちらも楽しみたい人は水着必携。お風呂場の手前にはシャワーもあるので、お風呂上がりに身体を洗いたい人は、シャンプーやリンス、石鹸類も持っていった方がいい。タオルはシーツのようなモノを貸してくれるので心配ない。
ブダペストは観光ポイントの合間にこうして温泉が点在しているので楽しい。
入り比べてみるのもまた一興。
明日はどの温泉にしようかな??
一日一つの温泉を巡る、なかなかぜいたくな楽しみだ。
チェコの首都・プラハから北西におよそ130km。ドイツとの国境沿いに、チェコが誇る有数の温泉地がある。草津の姉妹都市である、カルロヴィ・ヴァリィだ。
カルロヴィ・ヴァリィは谷に流れる川に沿って広がる保養地で、周囲はボヘミアの深い森に覆われ何ともよい雰囲気。道行く人は独特の温泉水飲用カップを手にし、それを飲みながら散歩をしたりひなたぼっこをしたりと、のんびり過ごしている。
ここでは温泉は浸かるモノではなく、
飲むものなのだ!!
温泉水は街のあちこちにある蛇口からチョロチョロと絶えず出ており、それぞれ含まれている成分・温度が異なるのだそうだ。私も試してみたが、とても飲めるモノではない(TT・・・。鉄のにおいがきつくて、しょっぱい。血の薄まったモノを飲んでいるカンジで、とてもカップ一杯など無理だ。
それでも人々はみなカップを手にし、温泉水を飲むことで治療をしている。医者の処方に基づき、湯治客は飲んでいるのだそう。温泉は浸かってこそ効果があるもの、と思っている私たちにはちょっと不思議なカンジだ。
もちろん浸かることも出来るが、日本の温泉とは違いプールで泳ぐ。硫黄の匂いもしないので、一見ただのプールだが、これでも立派な温泉!泳いでみたが、ちょっと時期が早かったのか、かなり寒かった(水温26度)。せっかく立派な源泉があるのだから、暖かいお湯に浸かりたいと思うのは日本人だけなのか・・・。
近くには100年近くもの歴史あるゴルフ場があって、その昔、ベートーベンやドボルジャーク、ゲーテにツルゲーネフなどの文豪も訪れた。街は美しい建物がたち並び、ただ散歩するだけでも充分に楽しい。
プラハからは列車で4時間だが、プラハ発のツアーを利用すると片道2時間半くらいで行ける。
ツアーは街のあちこちにある小さなブース、あるいはホテルのフロントでも扱っているので参加しやすい。チェコは駅名など見慣れない文字が多いし発音も難しい。バスなどはあまりに数が多くて旅行者にはちょっと敷居が高いので、ツアー参加がオススメだ。
一日自由時間があったらぜひ行ってみたい、チェコの温泉。
話のネタに、温泉水を飲んでそぞろ歩くのも楽しい。
今晩はブダペスト行きの夜行に乗って、いよいよ温泉大国・ハンガリーへ。
これからはしばらく温泉レポートを書くことになると思うので、お楽しみに!
チェコ
2005年06月17日 12:32
チェコのおみやげがあんまりかわいいので、今日はめずらしくおみやげ特集。
正直言うと今まで購入したモノたちは
・旅で使うためのオリーブ石鹸(ギリシア)
・ちょーかわいいビーズのアクセサリー(フィレンツェ)
・クロアチアの観光ガイドブック(クロアチア)
・冬に重宝しそうなハウスシューズ(スロヴェニア)
・寒くて仕方がないので購入したストール(ウィーン)
で、マルタ、スイスに至っては何も購入していない。
女の子はお買い物大好きじゃないのか!!っとつっこまれそうですが、
何しろ荷物が重くなるし、購買欲もほとんどないのが正直なところ。
そんなクールな私が、チェコに来て購買欲に火が点いてしまった!!!
だって、かわいいんだものーー!!
どのお土産屋さんにも、かわいらしい木のおもちゃや伝統的なマリオネットが売っているのだが、中でも私の心を捉えちゃったのは『MANUFAKTURA』(www.manufaktura.biz)というショップ。。数々の絵タマゴ(色とりどりのペイントがきれい!)、いろんなサイズの藍染(チェコ・スロバキア方面でも伝統的な染め物なんです)、赤ちゃんから大人にも喜ばれそうなシンプルな木のおもちゃなど、チェコの民芸品を集めたお店。
旧市街を中心に何件かお店があるので、プラハを旅行中にきっと目にするはずだ。私の場合、「ここかわいいショップだな」と入ったお店が全てこの『MANUFAKTURA』だった・・・。
どーすんのよ、あと一ヶ月も持ち歩くのか!!
と自分につっこんでみたけど、購買欲には勝てず・・・。
うっかり買っちゃったのは木のおもちゃ(カエルちゃん)、そしてハニーのロウソク。
人形が大好きな母に、例のごとく民族衣装を着たこけしのようなお人形。
ロウソクは、昨日バスで乗り合わせたシティバンクで働いているというフィリピン人に聞いたモノ。匂いもいいし、ロウは残らず全て気化するのだそう。ただのロウソクではなく、蜂の巣の型が押してある薄いシートを何重にも巻いて一本にした、ちょっと凝ったモノなのだ。
大きさの割には軽いので、チェコの後一ヶ月も旅が残っているという私のような人以外にはオススメする。トウモロコシの皮で作った素朴な人形も母に買っていってやりたかったのだが、余りに壊れやすそうなので断念。
また、昨日のフォトページにも紹介したが、チェコの人形劇は子供のためのものではなく、伝統的な芸術作品。専用の劇場もあって、毎晩のように人形劇が開催されている。街のあちこちには魔女や王様など、様々なマリオネットが売られている。
おとぎ話の国の、かわいらしいおもちゃたち。
チェコを訪れたらぜひ、こんな素朴なおもちゃ屋さんめぐりもして欲しい。
チェコ
2005年06月14日 14:29
ウィーンから列車で、いよいよチェコに入国した。
チェコといえば偉大な作曲家、ドボルジャークやスメタナを輩出した地であり、アールヌーヴォー時代の代表画家・ムハ(ミュシャ)の出身地でもある。チェコから先は私にとって未踏の地なので、一体どんな素晴らしいところなのかしら・・・、と心も弾む。
オーストリアとは隣接しているし、同じようなカンジかなと車窓から見ていたら、全く異なった光景が広がっていた。スイスのチューリッヒからオーストリアへ向かう車窓からは、切り立った山々や川が見えていたのだけれど、チェコに入ってからは絵に描いたように平坦で、緑一面の草原が目の前に現れたのだ。
広々とした草原の向こうに数本の木が生えて、その側に赤い屋根の家がぽつんとある。
まるでカレンダーで見た北海道の写真のよう。
これがかの、豊かなるボヘミアの大地!!
そして、その真ん中を流れるのがあのヴルタヴァ(モルダウ)川。
ヨーロッパの他の国とは違い戦災をあまり受けていないので、街はそのまま博物館。おとぎ話に出てくる国が現代にも生き続けている、チェコはそんな国なのだ。
小雨の降る中、そのチェコの中でも最も美しいと言われる街、チェスキー・クルムロフを訪れた。1992年にユネスコ世界遺産に指定された、ヴルタヴァ川のほとりにある小さな城下町である。
街の真ん中には、チェスキー・クルムロフ城がそびえ、ヴルタヴァ川が囲むように蛇行している。小高い丘から見下ろすと、赤い屋根に緑の木々、そしてヴルタヴァ川がにぶく光り、まるで絵そのもの。あの丘の向こうには絶対竜が住んでいるし、お城ではお姫様が王子様の助けを待っているに違いない。そんな想像をしてしまう、童話の世界が広がっている。
お城だけでなく、街のあちこちにルネッサンス時代のフレスコ画を見ることが出来るし、石畳の続く街にはかわいらしいお土産屋さんやカフェが軒を連ねているので、ぶらぶらと歩いているだけでも楽しい。
時々降る小雨によって辺りは薄暗く、どことなく不気味な雰囲気も加わって、お城のあたりは中世の時代そのもの。一時間程度の城内見学ツアーに参加すると、当時の暮らしぶりも拝見できる。
プラハからは約3時間。公共の列車やバスだと接続が悪かったり便数が少なかったりでちょっと大変なので、プラハ市内から出ている1日ツアーに参加すると良いかも知れない。
チェコ
2005年06月13日 11:43
母が帰国した。
5/18にミラノへ迎えに行き、そこから約20日間に及ぶ母娘二人旅。
とんちんかんな二人旅、一時はどうなるかと思ったけど、何とか無事飛行機で飛び立っていった。
ちょっと二人旅を振り返ってみる。
ミラノで合流した私たちはコモ湖へ向かったもののショーペロ(スト)に巻き込まれて散歩以外何も出来ない事態に。
コモからは再びミラノに戻り、列車でフィレンツェへ。フィレンツェではアグリツーリズモの宿へ泊まり、母と動物たちの糞をよけつつ森の中をお散歩したり、フィレンツェへ出て、ドゥオーモへ登ったり。
花の都・フィレンツェからは水の都・ヴェネツィアへ。
この時点で時差ぼけと移動に疲れていた母は「もう帰る」と言っていたっけ。ヴェネツィアでは3泊し、私が原稿を書いている間、母はお土産屋さんを一人でめぐっては迷子になっていた。
当初の計画ではヴェネツィアから再びミラノへ戻り、アルプスを越えてスイスへ入る予定だったのだけど、急遽変更して、列車でスロヴェニアへ。
スイスでのアルプストレッキングの為に母にはダウンジャケットまで持ってきて貰っていたのに、それらを全て日本へ送り返し、身軽になってスロヴェニアへ向かった私たち。
スロヴェニアは想像以上に美しく穏やかな国で、すっかり気に入ってしまった2人はレンタカーを借りてスロヴェニア・クロアチアを巡ることを決意。
シニアドライバー&ペーパードライバーの私たちだけど、最終的には1500km以上もの道のりを走破した。
スロヴェニアではポストイナ鍾乳洞、その向こうにある洞窟城へ。そこへ至る風景は素朴で美しく、二人して大はしゃぎ。スロヴェニアからクロアチアへ車で国境を越えたときはひとしきり感動。
クロアチアではまず、港町・リエカに宿泊し、続けて南にあるトロギールを目指して車を走らせたのだけど、私が道を間違えたことで急遽、次の目的地であったプリトヴィッツェ湖群国立公園へ進路変更。
プリトヴィッツェ湖群国立公園は本当に美しくて、母と二人トレッキングを二日間に渡って大いに楽しんだ。あんな美しい光景、生涯忘れることはないだろう。妹二人を連れてくるべきだった、と母は大いに悔やんでいた。
プリトヴィッツェから高速を走らせて350km。スプリットからトロギール、シベニクと北上した時点で、本来行くはずだったザダールをカット、その代わりにその手前の道を曲がり、幻のレースを求めて、未知の島・パグに渡り北上。パグの風景は本土とは全く違っていて、これも胸を打つ光景だった。
パグで美しいレースとすばらしい食事に出会い、大満足で北上を続け、フェリーで本土へ戻ってきた二人は、一度はあきらめたスロヴェニアの港町・ピランへ。ピランでどうしようもない水族館を見たり、シービューの部屋から美しい夕日に感動したり。
私はブログの原稿を書いてサイトを更新せねばならないので、就寝は夜中2時すぎ。母は時差ぼけもあって早く寝てしまうので、4時に起床!!起こさないでよ、お母さん!!
旅の間中、二人の生活時間が(非常に)異なっていて大変なこともあったけど、
それはそれで良い思い出。
ピランからは再び首都・リュブリャーナを目指し北上。リュブリャーナでレンタカーを一日更新した私たちは、翌日のチューリッヒ行きの寝台列車のチケットもゲットしてからさらに北上し、エメラルド色のブレッド湖へ。ブレッド湖をとりあえずドライブしようと車を走らせていた私たちの前に現れたのは、美しい門構えのホテル、ヴィラ・ブレッド。一目惚れしちゃった私たちはここに宿泊をし、極上の休日を堪能。
翌朝は再び私が道を間違えたので、ブレッド湖のさらに北にあるボーヒン湖へ。その美しさに、母は「絶対ここにまた戻ってくる!!」と誓ったほど。「おじさんおばさんでしょ、お父さんに子供たちでしょ、友達でしょ」とさっそく計画を練る母。
一時はどうなっちゃうの~!!と思っていた過酷な8日間にも及ぶドライブも無事終了し、車の前で抱き合う二人。その後は夜行列車でチューリッヒへ。
チューリッヒへ至る風景を楽しむのだと、母は4時からスタンバイしていた・・・(^^
チューリッヒではハイジのふるさと・マイエンフェルトへ。羊や山羊の糞をよけながら元気にトレッキング。翌日は天候が悪かったので良い写真が撮れず残念だったけど、ルツェルンと、氷河を頂くティトゥリス山へのツアーに参加。ガイドさんの丁寧な解説に、たまにはツアーもいいな~、と思ったり。
母はトレッキングなどで「すばらしく立派な木」に遭遇すると、何やら話しかけ願掛けをする。「何を願ってるの?」と聞くと、「お前に誰かいい人が出来ますようにって・・・」との返答。ついに神頼みどころか、異国の木にまでお願いする始末。母も哀れだが私も哀れ・・・。
ついに最終日。母を空港へ送り、ミラノでのトランジットを不安に思っている母にあれこれ説明し、母はゲートへ。ちゃんと帰り着くかしら・・、と不安に思いつつ、私もウィーン行きの列車へ乗車。車内でふとメモ帳を開いたら、母からのメッセージが。
こんなことされたら、泣けてきちゃうじゃない・・・。
ありがとう、っていうけど、私の方こそ、20日間もめちゃくちゃな旅につき合ってくれて、ありがとう。
今度は家族全員で、また旅が出来たらいいね。
帰国まであと一ヶ月、無事に帰れるよう、気を付けるから心配しないでね。
娘より、精一杯のメッセージ。
スイス
2005年06月10日 10:55
またまた、すばらしい風景に出会ってしまった。
何度もアピールしちゃうけど、スロヴェニア最高!!
クロアチアのパグ島からアドリア海沿岸を北上し、スロヴェニアのピランという港町を目指した母と私。こぢんまりとかわいらしい町並みと、美しい夕日が印象的なこの街に一泊した私たちは、首都リュブリャーナに帰る途中に、世界遺産に登録されているシュコツィヤン鍾乳洞があることを知り、急遽計画を変更してその洞窟へと向かった。
シュコツィヤン鍾乳洞は、この間訪れたポストイナ鍾乳洞から30kmほどピランよりにあり、ピランからは高速を使って約50分の道のりだ。洞窟はポストイナと同じようにツアーに参加する形を取り、個人での散策は出来ない。ただしポストイナと違い、3kmほどの滑りやすい洞窟内を2時間ほどかけて歩くので、少々きついかもしれない。
しかし、この鍾乳洞は最高で、
母も大絶賛!!
ポストイナ鍾乳洞も面白いが、こちらもまた、随分趣が異なって面白い。この鍾乳洞は手前に鍾乳洞、奥に地底湖があり、その中をひたすら探検する。
まるで映画「ロード・オブ・ザ・リングス」の世界そのもので、地底湖の周囲には足下を照らす為の薄暗いライトが点灯し、あたりには水蒸気が立ちこめて何とも幻想的。今にも水晶を掘り出すドワーフたちが出てきそうだ。洞窟城にしろ、この鍾乳洞にしろ、外の昔ながらの牧歌的な風景にしろ、あの映画の世界そのままが、このスロヴェニアにはある。
そして、本日のハイライトは
ブレッド湖!!実はこのブレッド湖には、あまり期待をしていなかった。観光客は多そうだし、クロアチアでプリトヴィッツェ湖群国立公園に行ってしまった私たちを満足させてくれるのかしら・・・??と失礼なことを考えていたのだ。
ところが嬉しいことに、それを見事に裏切ってくれた。う、美しい~!!
下手な形容詞しか思い浮かばないので、またまた私の感想は割愛。(どうぞ写真をご覧下さい。)何度も言わせて頂くが、本当に映画の世界そのもの、どこを切り取っても絵になっちゃう風景が広がっている。
今日のホテルはどこへ泊まろうか~、なんて車を走らせていた私たちを釘付けにしたのは、美しい門構えのホテル、ヴィラ・ブレッド。このホテル、その昔はチトー元大統領の別荘で、昭和天皇もお泊まりになったという由緒あるホテルなのだ。
部屋の3分の2はスイートルームというぜいたくな作りで、ブレッド湖の最も静かなエリアに属している。
お値段はユーロの国に比べれば割安感があるとはいえ多少の予算オーバーだったが、
ここに泊まることに決めた。部屋には湖と森が目の前に広がる、すばらしい眺望のテラスがあり、
母と共に大満足!!
ホテルの庭を湖の方に下っていくと専用の船着き場があり、そこで専用の手漕ぎボートを無料で貸してくれる。エメラルドグリーンの湖水をすべるように、ボートで湖の真ん中にある島へ渡ったり、湖畔をゆったりと散歩したり。朝はフルーツをつまみながら、ブログの原稿を書いたりで、今までにない優雅な休日を味わった。
ブレッド湖のホテル、ヴィラ・ブレッド。
極上の休日を味わいたいなら、この静かな湖畔へどうぞ。
先日手に入れたダルマチア地方(クロアチアのアドリア海沿岸)の写真集の中に、「パグレース」なるものの写真があり、母がそれをめざとく見つけた。
母ときたらこの手のモノに目がない!!
レースだの刺繍だの織物だの何だのと、その手のモノが大好きなのだ。
母自身は自称人形作家で、日本人形やら西洋人形やらをせっせせっせと作っている。
「パグ島はどこにあるのかなぁ?この近くにあるんだったらフェリーで立ち寄っても楽しそうよね♪」と、すでに行く気満々。地図を広げて場所を確認すると、ザダールというアドリア海沿岸の真ん中にある街の側で、橋でパグ島へ簡単に行けるようだ。パグ島はアドリア海沿岸に張り付くようにある細長い島で、島の北部へ行けば再びフェリーで本土へ戻れることも分かった。
よし、単に本土を北上するよりも、島を北上してフェリーで渡った方が絶対面白い!と私も大乗り気でこの日のドライブはスタート。パグ島に関する情報はこの時点で何もない。あるのは一枚の写真で、女性がレースを編んでいる姿だけ!!トロギールからシベニクに立ち寄った後、高速を降りてこの「パグ島」なる未知の島へと渡った。
本土から島へ橋で渡り、北上を続ける。道は狭くて多少ガタガタだが、その風景は本土とは全く違って素晴らしい。思ったよりも簡単に目的地に着くことが出来た。クロアチアにしろスロヴェニアにしろ、道路標識が非常にしっかりしているので、地図がなくてもほとんど迷うことなく目的地に着くことが出来る。戦後間もないこともあり、道路が所々完成していないところもあるが、現在着々と建設中で今後の道路状況はさらによくなるだろうと思う。
パグ島の中心・パグはドイツ人やイタリア人が訪れるちょっとしたリゾート地で、澄み切った海岸線を持つ街だ。まだ6月の頭だが、既に海水浴できるくらい気温はあがっていて、ホテルにチェックインしたらさっそく泳ぎに行ってしまったほど。ホテルの人は日本人は初めてだと言っていたから、隠れたアドリア海のリゾート地だ。
パグ・レースは一体どこにあるんだろう?と街を歩いていたら、レース博物館を発見。ところがシーズンオフのため、今は開いていないのだという。「博物館はダメだけど、この通り沿いに歩いていけばおばあさんがいて、彼女がきっと編んでいるから見せてもらいなよ」とバーのお兄さん。さっそくその通りへと出かけてみた。
パグはとっても小さな街で、中心に教会、その横に例のレース博物館がひっそりとある。その中心からちょっと入った路地に、そのおばあさんの家はあった。窓をのぞき込むと、小さなおばあさんが独特の道具を使って一生懸命レースを編んでいた。その指裁き、見事!!まるで人間国宝だ。パグの女性が独特の民族衣装を身につけてレースを編んでいる様子を、その後別のパンフレットや写真集で見かけたので、ここのレースはクロアチアの中でよっぽど有名なのだろう。
こういった細かい細工が大好き&詳しい母曰く、「すばらしいもの」。お値段もやはり相当で、母は欲しいけど・・・と一晩悩んだが、最終的にその芸術品を手に入れた。繊細なそのレースは、大きなもの(左の写真)を編むのに6ヶ月以上かかるのだという。
何の情報もなかったパグ島だが、シーフードは最高、人々はハートフル、刺繍は素晴らしく、景色も文句なし、という滅多にない素朴でステキな場所だった。レースを求めて・・・、そんな旅もおもしろい。
クロアチアの西側は細長くアドリア海に面しており、そのあたりをダルマチア地方と呼ぶ。ダルマシア犬の生まれ故郷で、この地方には古くはギリシア・ローマ時代からの遺跡が点在し、それらを利用してさらに発展した中世の街が、今なお当時のままの姿で存在している。
その代表はクロアチアの南部にあるドブロブニク。以前から私が「一番美しい街」とイチオシしている街で、この旧市街からの風景は言葉に出来ないほどにすばらしい。そのドブロブニクで手に入れた写真集で他の都市の写真を見て以来、いつかダルマチア地方の古都を巡りたいと夢見ていた。
ぜひ行ってみたいと思っていた街の一つ、スプリットは先日訪れたプリトヴェッツェ国立公園から更に300kmは南下せねばならない。
そのスプリットから古都を巡りながら海岸線を北上すると、今回のドライブ走行距離はおよそ1500kmにも及び、メインドライバーのシニアな母と、サブを務めるペーパードライバーの私で、その距離を果たして乗り切れるものかとかなりの不安があった。そこで、「もうプリトヴィッツェ湖群国立公園で大満足。あとはもうあきらめるよ」と母に言ったら、「いいわよ、がんばるわ!行きましょう!」と言ってくれたのだ!!
ちなみに、ヴェネツィアの時点で「もう満足だから帰ろうかな」と言っていた母なのだ・・・。
疲れ切ってそんな気力はないだろうと思っていたのに、私の古都巡りにつき合ってくれると言ってくれたのだった。
そんなわけで、行ってきました、古都巡り!!今回は、北部にあるクロアチア最大の貿易港リエカ(川崎市の姉妹都市)、世界遺産の街スプリット、そして同じく世界遺産を持つ古都シベニク、小さな島に遺跡がたくさん詰まったトロギール(聖ロヴロ大聖堂が世界遺産)、そして再びスロヴェニアに戻り、スロヴェニアの最西端の港町・ピランを巡った。
ちなみに、本日で走行距離は1200km以上。
2人合わせて3m未満のちびっ子二人組、よくがんばりました・・・!!
古都の美しさを言葉にするのは少々気が引けるので、やはり写真をご覧下さい。
本日も頑張ってアップしました!
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