プリトヴィッツェ湖群国立公園は日本ではかなりマイナーかもしれないが、世界遺産にも登録されている、非常に美しい湖と滝がある国立公園だ。公園内には大小16の湖、92の滝が存在し、1990年代の内戦の際に危機にさらされたが、再び整備されて毎年多くの人々がその美しい湖を一目見ようとやってきている。
その美しさに息をのむ。
上流地域は繊細な滝が足下を流れ、それが小さな湖にそそがれる。苔むした岩の間からしみ出す清流、木の間を縫うように流れる清流。それらはやがて一つの流れとなり、川となって、下流の湖にそそがれる。上流の繊細な流れと、下流のダイナミックな流れ。それらは全く異なった姿をしていて飽きることがない。
言葉で書いてもその美しさ・神秘さを表現するのは非常に難しいので、
ぜひフォトアルバムを見て欲しい。(今回ははりきって19枚もアップしてしまった!)
ただし、見たら絶対行きたくなること必至なので、覚悟するように!(^^
トレッキングコースはたくさんあって、2時間~6時間と、それぞれの体力に合わせて気軽に出来るようになっている。中には4歳くらいの子供を連れて散歩をしている夫婦や、杖をつきながらのんびりと歩いている老夫婦などもいて、誰もが楽しめるようになっている。美しい風景に疲れも飛んでしまうハズだ。
一日で見て回ることも出来るがちょっとキツイので、オススメは一泊してトレッキングを二日に分けること。また、5月下旬の時点で日中はかなり暑いので、サングラス・帽子などの対策も大切だ。
湖の周りにはホテルが3軒あり、ニジマス料理などが楽しめる。
首都ザグレブから約3時間。日本からの直行便はないので、ちょっと時間がかかってしまうが、
クロアチアは遺跡やアドリア海だけでなく、こんなすばらしい自然も堪能できる国。
ちょっと惹かれているあなた、ぜひ訪れてみて下さい!
車を手に入れた私たちは、さっそく高速に乗って今日の目的地・ピラン(アドリア海沿岸の小さな港町)を目指して出発した。
でも地図をよく見ると、ピランの手前にポストイナ鍾乳洞の表示が。これって、ヨーロッパ最大の鍾乳洞じゃない・・・!!冒険家になりたかったくらい冒険ごっこが大好きな私にとっては見逃せないポイントだ。
母も行ってみたいというので、早くも本日の目的地が変更になった。途中、一度方向を間違えて再び高速に乗り直したものの、一時間ちょっとで目的地・ポストイナ鍾乳洞に到着した。
ポストイナ鍾乳洞は全長27kmにも及ぶ洞窟で、中は全部で7層になっているのだという。勝手に見学することは出来ず、見学は一時間おきにあるツアーに参加し、専門のガイドさんに連れて行ってもらう仕組みだ。洞窟内は常に8度なので、厚手の羽織るものがないとかなり寒い思いをする。
ツアーはまず、2kmほどトロッコに乗って洞窟の奥へと入っていく。これがかなりのスピードで、その辺の遊園地のアトラクションなどよりもずっと面白い。頭上には様々な形の鍾乳石が垂れ下がっていて迫力満点だ。
トロッコを降りると、英、仏、独、伊、スロヴェニア語と各言語別にグループを分け、それぞれが各ガイドに従って探検する。一口に鍾乳石といってもいろいろな形・色があってとても面白い。
洞窟内には普段は真っ暗な川の底に住んでいるという、目が完全に退化した両棲類「Proteus Anguinus」が生息しており、洞窟の最後に彼らの姿も見ることが出来る。ガイドの話に寄れば10年以上何も食べていない上に、100年くらい生きるのだとか!(ガイドブックには1年以上何も食べなくても生きられる、とあったけど・・・)
とにかく、私たちの想像を絶するような世界が、この暗黒の世界に広がっているのだった。
鍾乳洞の後は、鍾乳洞からさらに10kmほど行ったところにある洞窟城へ。
これがまた、すばらしかった。洞窟城もさることながら、そこへ至る風景、そして洞窟城を取り巻くのどかで清々しい風景が最高なのだ。
まるで、ロード・オブ・ザ・リングスの世界に迷い込んでしまったかのよう・・・。そのまま映画のセットになりそうなお城だ。中は当時の様子を再現した人形が置かれていて、不気味さもそのまま味わえる。入り組んだ城内を歩いていると、ふと人形が動きそうな気がして、かなりスリリングだった。
洞窟城のあとは進路を変更し、一路クロアチアのリエカへ。途中車で国境を越え(感動!!)、夕方にリエカへ到着。久々の運転&左ハンドル、右側通行ということもあって、母と共に口も利けぬほどぐったり。夜はパソコンを開けることもせず(こんなこと、旅が始まって以来初めて!)眠りについてしまった・・・。
みなさん!!!!
素晴らしい国に出会ってしまいました・・・。
本来は、ヴェネツィアから一度ミラノへ戻り、ミラノから北上し、アンデルマットで氷河特急に乗ってスイスを10日間くらいかけて巡るハズだった・・・。
しかしイタリアに長く滞在しすぎて、すでに3ヶ月の旅程の半分が終わろうとしていた。
ひぇぇぇ~。「地中海・中欧・東欧」がメインのハズなのに、まだ地中海どまり!!
残りの国々はどうするんじゃ~!!
と、ほえていたら、母が「じゃ、予定変えれば?」とヒトコト。
そうか、変えちゃっても良いのか!氷河特急に乗るつもりでスイスのユーレイルフレキシーパスまで買っていたのだけど、それは帰国後に払い戻ししてもらうことにして、計画を急遽立て直した。
スイスでの氷河スキーと楽しむつもりで、母にダウンジャケットまで持ってきて貰ったし、母はスキー手袋まで準備していたのにもかかわらず、スイスは全てカット。
ちょっと未練もあったのでそれらを払拭すべく、スイス関係の衣類などは全て日本に送り返してしまった。スイスへ行く気だった母、スロヴェニアなんてどこよそれ?という母には申し訳なかったが、これでもう後戻りできないのだ!!
ヴェネツィアからスロヴェニアの首都・リュブリャーナまで、列車でおよそ4時間。そのうち1時間以上はパスポートチェックにかかるので、実質は2時間半くらいの移動時間。そう、ヴェネツィアからとっても近いのだ。
それなのに、イタリアの国境を越えた途端、今までになかった牧歌的な風景が広がっていた。国境を越えただけで、こうも違うのか!!と驚いてしまう。
新緑の美しい森を越え、遠くには赤い屋根の家々が広々とした牧場に点在し、牛や山羊がのんびりと草をはむ。そんな絵本のような光景に、列車の中で母と大はしゃぎ。スロヴェニアはオーストリア、イタリアとの国境にあるユリアン・アルプスを北に、西はアドリア海に面し、イタリア・クロアチアと国境を接している。
アドリア海に面した港町では美しい紺碧の海が、そして北部では美しく険しい山々が楽しめ、小さな国土にも関わらずヨーロッパ最大の鍾乳洞がある、そんな観光資源を多く持つ国なのだ。
首都リュブリャーナはオレンジ色の屋根がかわいらしい、こぢんまりとした都市で、背後にはユリアン・アルプスがまるで壁のように立ちはだかっている。街の中心にはかわいらしいお城があって、そこからの風景はまた格別だった。
スロヴェニアといえば「それってチェコの隣??」と言われそうなほどマイナーな国だが(ましてや首都・リュブリャーナなんて地理クイズにしか出てこないような地名)、実はすばらしく美しい国。
列車からおりて首都をちょっと散歩しただけなのに、もうここに住みたくなってしまったほど!世界中200以上の都市や港に行ったと思うが、その中でもベスト5に入るくらい気に入ってしまった。
人々は礼儀ただしくとても親切、道路などもきれいに整備されていて、標識なども非常に見やすい。これならレンタカーも可能かしらと母に相談し、車を一週間借りてアドリア海沿岸をドライブすることに決めた。スロヴェニアからクロアチアへ抜け、アドリア海に点在する美しい古都を巡りながら再びスロヴェニアへ戻ってくるのだ!
明日から母との珍道中がさらにバージョンアップ!!
どうなっちゃうのか、私たち!?
明日からのレポートをお楽しみに(^^
(もちろん、ペーパードライバー&シニアドライバーのため、かなりゆっくりなドライブになること必至ですが!)
ついにヴェネツィアにやって来た!!
私の長年の憧れの地、そしてイタリアで最も思い入れのある都市がこのヴェネツィアだ。
ヴェネツィアはご存じのように海の潟にぽっかりと浮かび、街には縦横無尽に大小の運河が作られている海の都。何と117の島、177の運河、そして400もの橋で成り立っているのだという。
ヴェネツィア共和国が「アドリア海の女王」とヨーロッパ中にその名を馳せたルネサンス期には、イスラーム世界との貿易によって大いに栄え、その海軍力と富とで地中海世界に君臨。その領土は遠くクレタ島・キプロス島にまで及び、天才的な政治手腕によってイスラーム世界との均衡を長年保ってきた。
ルネサンスに栄えたもうひとつの都市国家・フィレンツェとは対照的に、社会を組織化する能力に非常に長け、独自の政治システムを設けて約1000年に渡り繁栄した大都市国家だったのだ。
ヴェネツィアの政治・経済の中心地だったのが、サン・マルコ広場にあるドゥカーレ宮殿。貴族の子弟には成人になると国会議員の資格が与えられ、その中から実務担当の元老院議員100人が選ばれるのが当時の政治システム。終身制の総督(ドージェ)以外は全て1~2年の任期で交替し、権力の集中を防いだという。
その、ドゥカーレ宮殿へ行って来た。
す、すごい・・・!!!
その豪華なことといったら、ちょっと他の宮殿では見られない!!
豪華さが、ちょっと他の都市に比べて異質だ。
圧巻は国会議員たちが集ったという「大評議の間」だが、その大分手前にある謁見の間や地図の間も見逃せない。
こんな謁見の間に通されたら、どんな国の大使だって度肝を抜かれたに違いない。
その待合室さえも実に見事!!!
地図の間にはさすが海運国家というだけあって、あらゆる国と地域の当時の地図が、部屋一杯に描かれている。
この宮殿で、当時のヴェネツィアは抜け目なく国の方針を決定していたのだ。
そしてその見事な政治体制で長年繁栄し続けた・・・。
夕日に沈むヴェネツィアを眺めながら、この地で生きた男たちを思う。
日頃は冷静沈着、計算高いヴェネツィア貴族たちが、カーニバルの日だけは仮面で素顔を隠して憂さを晴らしたのだろうかと想像すると、思わず笑いがこみ上げてきた。
イタリア
2005年05月28日 11:36
フィレンツェでは、「トスカーナの休日」を実践するため、アグリツーリズモの宿に泊まりたいと思っていた。アグリツーリズモとは、最近イタリアではやっている、農家の一部に滞在するスタイルの宿。とれたての野菜やおいしいお肉が食べられたり、中には飼っている馬に乗せてくれたりするアクティビティなどもある、注目のステイスタイルだ。
今回宿泊したのは、すてきな若夫婦の運営する、とってもおしゃれな宿「Il Castelluccio」。石造りのがっしりとした外見だけど、中のインテリアはとってもステキ。庭には夜になるとライトアップされるプールがある。フィレンツェから車なら40分、バスでも1時間ほどで、近くの街のバス停まで迎えに来てくれる。今年の10月には近くで110軒も店舗が入る予定の大きなアウトレット・ショッピングモールが出来るのだとか。
フィレンツェから一時間きただけなのに、辺りは深い山々、近くには小川が流れている。牛や豚を飼っていて、一日に二回、首につけられた鈴を鳴らしながら放牧から戻ってくる。時間のない日本人の旅行スタイルからは少しはずれてしまうけど、こうしたトスカーナのいなかで、何もせずのんびりするのもいい。
料理もおいしくて、二日目はわざわざ魚介類を仕入れてシーフード料理を作ってくれた。ゲストは日本人は私たちが初めてで、ほとんどはドイツとフランス、それにオランダからやってくるのだという。お酒が飲めない私には分からないが、この地方はワインの名産地でもある。楽しそうに会話する他のゲストたちの顔から、おいしいお酒なんだなと想像できる。
朝食には生ハムとチーズ。フレッシュなオリーブもおいしい。入れたてのカプチーノは、オーナーのマンマが作ってくれる。みんな笑顔がきれいで、サービスも気持ちがいい。
高速の入口が近いので、シエナやピサ、サンジャミーノ等へも一時間以内で行くことが出来るとのこと。今回は日数も少なかったし、レンタカーを借りることが出来なかったのだが、次回来るときは絶対、一週間くらいのんびりとここにステイして、車であちこちまわりたいと思った。
できれば、大好きな人と(^^
イタリア
2005年05月23日 23:26
母がたくさんの日本食と共にミラノへやってきた。
私がヨーロッパにいる間に、どうせなら一緒にくっついて旅行をしてしまおうと企んだのだ。
しかし私としては大助かり。
なぜなら母がいる間はホテル代等をおごってくれるから(T_T
もう水しか出ないシャワーとは、当分お別れなのだ(T_T
日本食も合流したし、一ヶ月ぶりにお風呂に入ったし(今までシャワーオンリーでした)、
昨日はオペラの殿堂・スカラ座(スカラ座の本劇場は現在工事中)の「オテロ」を見に行ったしで
大満足だったのに・・・。
それを見事に裏切ってくれたのは旅行者の大敵・ショーペロ(ストライキ)。
アルベロベッロで知り合ったミラノ在住の日本人の方から事前に教えて貰っていたから助かったものの、知らなかったら母と二人、今日一日荷物を持って大パニック、右往左往していたに違いない。
本日、ミラノ市内・近郊の交通網はショーペロによって麻痺。
今日はミラノから私鉄でコモへ向かう予定だったのに、バスも鉄道も動いていない(涙)。仕方がないのでタクシーでコモへ向かった。タクシーなど、母が合流しなかったらあり得ない交通手段。一人だったら無理してでも(泣きながら)荷物を担いで何とかコモに向かおうとしていたに違いない・・・。
コモに着いてホテルにチェックインを済ませた後、遊覧船に乗ろうとして乗り場に向かったら、何やら職員たちがとっても楽しそうにしている。私が売り場に入っていくと、「今日はショーペロ!だから運行してない!」ととっても陽気に答えてくれた。そう、ショーペロは彼らの一大イベント、一種のお祭りなのだ(悲)。ケーブルカーもショーペロ。バスもショーペロ。そう、何もかもショーペロで、コモでは徒歩での移動以外、何も出来ないのだった。
ちなみに、私がアッシジに滞在していた時にもショーペロで国鉄は日に1・2本しか動かなかった日があったし、母がミラノへ飛行機でやってきたときも「空港職員がショーペロの可能性アリ」と聞いていて、果たして無事に荷物と共に空港から出てくるかしら、とかなり心配になった。結局キャンセルされたようで問題はなかったけれど(空港で巻き込まれると、荷物が2時間経っても出てこない、中は大パニック、などいろいろ弊害があるようです)。
おそるべし、ショーペロ。
ショーペロという言葉を知らないと痛い目にあうので、イタリアに旅行する際は(特に5月?)ショーペロの可能性も、ちょっと頭の片隅に入れておくといいかもしれない。
イタリア
2005年05月20日 22:46
見てしまった、ついに。
スリの現場を。
ミラノ中央駅といえば、イタリア全土の中でも屈指のスリ被害現場である。
人混みがヒドイ上、犯人の手口は非常に巧妙、果たしてどれだけの日本人が泣かされてきたことか・・・。ガイドブックにも再三に渡って「気を付けるように!!」とあるのが、このミラノ中央駅だ。
そのミラノ中央駅に、今日到着した。
ホテルはミラノの郊外にあり、地下鉄2号線で移動せねばならない。
事前に行き方を頭にたたき込んでいたので、駅でガイドブックを広げるなどということは一切なかった。背中にはバックパック、前にはカメラや現金などが入ったバッグを手で抱えている状態だ。
2号線のプラットフォームに電車が入ってきて、ドアが開いた。降りる人のためにもちろん道をあける。すると、隣にいた女の子がすっと横に立った。彼女もよけるために近寄ってきたのだから特に気にすることもない。
ところが、その瞬間、彼女の手が動いた。左手に上着をかけ、その下に右手を組んでいる状態なので、普通にしていたら彼女の右手の動きが分からない。しかし、私の意識は鞄に集中していたので、彼女の手が、彼女の上着の下で動いたのが分かった。彼女の上着が、ちょうど私の鞄のファスナーの上にかかっていて、その上着の下でそっとファスナーを開けていた。あちこちで人がぶつかり合う混雑した状態であれば、まず気づかない方法だ。
ちなみに私の鞄は、大切なモノが入っている所は全てロックされており、ナイフで切られでもしない限りは開けることが出来ないようになっている。バックパックも同様に、大きな錠がついていて、さらに雨よけのカバーがしてあるので、ちょっとやそっとでは手が出ないようになっている。
彼女はまだ、中学生くらいのポニーテール頭の金髪の女の子。危険なカンジは全くせず、普通の女の子のように見える。一体なぜ、スリなどをするようになったのだろう・・・と悲しくなる。
彼女が何も入っていない鞄のファスナーを半分くらい開けたのを見届けてから、「何にもないでしょ?」と言ってあげた。彼女はびっくりして逃げていった。深追いは禁物だ。荷物がなければ警察に差し出すのも良かったが、あいにく重いバックパックを担いでいた。近くに仲間がいて、彼女に気を取られている内に被害に遭うということもありえる。
ミラノ初日で、うわさのスリ現場を目撃してしまったことで、私の心は改めて引き締まった。一人旅だと常にピリピリとしているものだが、これが誰かと話しながら電車を待っていたり、ガイドブックを広げて確認したりしていたら間違いなくやられていただろう。
おそるべし、ミラノ中央駅。
改めて防犯に心を配ろうと気づかせてくれた、見事なスリ事件だった。
イタリア
2005年05月18日 15:27
クレモナといえば、かのストラディバリを始め、数々の名匠たちを輩出した、いわば弦楽器の聖地。そう、いちおー、"チェリスト"の私にとっては押さえておかねばならないポイントだ。私の使用しているチェロの弓も、このクレモナからはるばる日本へやってきた。フランス製の弓だが、クレモナの展示会で楽器屋さんが手に入れたものだという。
弦楽器と言えば非常に高価なものだが、実はこの弓というのも意外に高価なものだ。楽器本体の1/4~1/2が目安、つまり、100万円の楽器であれば、25~50万の弓が相場だというのだから、普通の人は結構ビックリするだろう。あんな棒に一体何の価値があろうかと・・・。
あんな棒っきれだが、やはり値段のはるものは断然良い。音と弾き具合が全く違うのだ。良い楽器は音色も違うというのはきっとみなさんもお分かりになると思うのだが、弓だけでも実はびっくりするほど違いがある。弓にも個性があって、柔らかいモノ、硬いモノ、それぞれバランスが微妙に違うし、音色も異なるのだがら不思議だ。
良い弓を手にしたときは、まるで自分がうまくなったかのような錯覚に陥ってしまう。それほど弦楽器は弓にしろ楽器本体にしろ、その材質、ニス、バランス、そして仕上げ、それぞれが複雑にからみあって作り上げられる非常にデリケートなシロモノなのだ。
その最高峰がみなさんもご存じのストラディバリ。17世紀後半の巨匠で、その価値はプライスレス、300年以上を経てもなお、世界最高峰。彼は最高の楽器を作り出しただけではなく、弦楽器を現在の形に進化させた人物でもある。
そんな彼の、世界最高峰の絶妙なバランスの設計図が、このクレモナにあるストラディヴァリアーノ博物館にあった。弦楽器の表に開いているf字型の穴を「f字孔」と呼ぶが、その型や、弦を支える駒の型まで展示してあり、弦楽器奏者としては非常に興味深い。この型紙で(ほんとに型紙!)あの名器を作り上げたのか・・・!!とあれこれ想像して楽しくなった。
楽器は見るものではなく、弾くモノ・聴くモノなので、楽器に余り興味が無い方にはあまりおもしろいのもではないかもしれないが、ここには他ではお目にかかれないような美しい象眼が施された楽器や、本体側面に唐草模様の描かれた優美なバイオリンなども展示してある。クレモナの町自体もこぢんまりとしており、駅から歩いて回れる範囲に見所が集中している。ミラノから列車で1時間~1.5時間なので、ちょっと足を延ばしてみるのはどうだろう。
クレモナでも、今晩コンサートがあるとのことだったが、夜9時からの開催。残念ながらヴェローナに帰らねばならなかったので、それを聴くことは叶わなかった。クレモナで弦楽4重奏でも聴けたら最高だったのだけど・・・!!
イタリア
2005年05月17日 15:26
ヴェローナといえば、かのロミオとジュリエットの舞台として名高い。シェイクスピア自身はヴェローナを訪れたことはなかったそうだが、この街のあちこちにロミオとジュリエットゆかりの場所(!?)が残されている。古い町並みと赤い屋根、あちこちから聞こえてくる教会の鐘の音が印象的な、
小ぎれいでおしゃれな街だ。
そのヴェローナで有名なのが、古代ローマ時代の円形劇場で行われるオペラ。もしかしたらやっているかも・・・と期待して行ってみたが、まだ時期が早かった。舞台ではオペラ「アイーダ」の舞台設営の真っ最中で、開催は6月以降とのこと。残念だが、今回はあきらめるしかなかった。
未練がましく円形劇場の周りをウロウロしていたら、「5/15 アレーナ(円形劇場)でコンサート」のポスター。演目はベートーベンのエグモント序曲、モーツァルトのピアノコンチェルトK.491、シューベルトの交響曲第4番ハ短調「悲劇的」(しぶい!)。ちなみにエグモントはベートーベンの序曲の中で私が最も好きな曲だ。
ポスターはイタリア語だからよく分からないけど、どうも17:00開演らしい。それにしてもこの大きなアレーナの一体どこで??野外でシューベルトってありなの??謎は深まるばかりである。
これは行くしかないでしょう!と開演30分前にアレーナに行ってみたところ、受付の人が「それはテアトロ(劇場)でやるのよ」と教えてくれた。テアトロはブラ広場(ヴェローナのメイン広場)の片隅にひっそりとあった。よくよくポスターを見てみると、演奏が「ヴェローナのアレーナ交響楽団」によるもので、アレーナが会場ではなかったのだ!!(おかしいと思ったよ・・・)
ひっそりとして目立たない劇場だけど中はとても豪奢なもので、ジーパンで入場する自分が恥ずかしかった。ボックス席貸し切りで13ユーロと日本と比べるとかなり安い。何てベートーベンって重厚なのだろう。何てモーツァルトってきらびやかなのかしら。シューベルトの柔らかな旋律にもうっとり・・・、と本当に楽しいひとときだった!MP3プレイヤーをなくしたときから音楽は自分の頭の中で再生するしかなかったので、飢えた心がようやく潤った感じだ。
ヴェローナに来てからというもの、頭の中は常にチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」、あるいはプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」が流れていたのだが、この夜の私の頭の中はずっと、ベートーベンだった。
次はぜひ、イタリアものを聴きたい!!
イタリア
2005年05月15日 15:25
すごいイベントがアッシジの聖フランチェスコ聖堂で行われたことは先日の日記の通り。あんまり運が良くて卒倒しそうだ。本当にたまたま、開催日に居合わせただけなのだから!
お坊さんと神父さん、そして雅楽師による前代未聞のコラボレーションは、聖フランチェスコ聖堂の上部教会で行われた。
上部教会は、ジョットの見事なフレスコ画で有名で、日本人も大勢訪れるアッシジのメイン観光スポット。信者にとっては今でも聖フランチェスコが眠る大切な聖地で、何百年も前から数多くの人々が巡礼に訪れている場所なのである。
その夜は、内部が美しくライトアップされており、感動的だった。昼間よりもずっとジョットの絵がはっきりと見えるし、何より薄暗い日中よりも、おごそかな雰囲気だ。コンサートが始まると、客席側のライトは落ちて、舞台にスポットがあたる。グレゴリオ聖歌隊の賛美歌の後、山伏のホラ貝が会場内に鳴り響き、そして袈裟を身につけたお坊さんの入場が声明と共に始まった。
う~ん、すごい。。
目を開ければそこは大聖堂、つぶればそこはお寺の中。
摩訶不思議な空間が、そこにはあった。
ふと気づくと、隣に人が立っている気配。
な、何と東儀秀樹、その人だった!
白地の袍がまぶしい烏帽子直衣姿の彼は、微動だにせず口元に笙をあてている。そこだけまた、別の次元につながっているようだった。
笙(しょう)の演奏が始まった。
17本の竹から構成される笙はパイプオルガンのルーツとも言われているが、今までそれを意識して聞いたことは無かった。しかし今回は本当に驚かされた。始めは雅楽の旋律だったと思う。気が付くとそれはグレゴリオ聖歌のメロディーになり、それに合わせて聖歌隊がうたいだした。その音色はまさに、パイプオルガンそのもの。笙は循環呼吸で演奏されることも初めて知った。普通フルートなどの管楽器は1メロディー吹いたら息継ぎをするものだが、笙は息継ぎがなく常に音が出ている状態なのだ。つまり、息を楽器に吹き込みながら同時に呼吸をしなければならない。
ちなみに、お経に節を付けて歌う天台宗の声明とは世界最古の典礼音楽で、雅楽は世界最古の合奏音楽、またグレゴリオ聖歌も7世紀には確立されたという。どれも1000年以上の歴史を誇る古い音楽で、それが一堂に会したのだった。
グレゴリオ聖歌の終わりの方で、天台宗の声明が重なるように入り、さらに東儀氏の演奏が入る。この先滅多に聞けないようなハーモニーがこの特別な大聖堂で聴けるチャンスを、心から楽しむ一晩となった。
翌朝は早起きして朝のミサに出かけた。前日、出会った日本人の神父・ルカさんが「信者じゃなくても参加OK」と言ってくれたからだ。数ヶ月前だっただろうか、NHKのドキュメンタリーで、イタリアのパイプオルガン職人を取り上げた作品を見て以来、イタリアに行ったらぜひ聴いてみたいと思っていたが、そのチャンスにはまだ恵まれていなかった。それが実現したのだった。
何とオルガン奏者はルカさんその人だった!
昨日とは違う、下部教会で行われたミサは厳かそのもの。
パイプオルガンが教会内に響き渡り、それに合わせて神父たちが地の底から響くような低い声で唱和する。
ああ、何て神への祈りの歌というのは美しいのだろう。
賛美歌も、お経も、コーランも、それぞれに美しい。
人間の信仰心が生み出す、特別なものだからだと思う。
パイプオルガンと歌がやむと、教会内は静まりかえる。
外からは鳥のさえずりが聞こえてきて、本当に天国のような空間だった。
*写真がなくて残念。聖堂内は写真撮影禁止なんです!!
イタリア
2005年05月14日 12:40
アッシジに到着したのは、すでに20:00を回った頃だった。
ローマに午前中に着いたのに、2時間もあれば行ける距離なのに・・・。
相変わらずイタリアの電車は接続という概念がないのだった。
それでも、駅に到着した途端、私は元気を取り戻した。
駅からアッシジの中心地に向かうバスから見た風景がすばらしかったからだ。
アッシジのあるウンブリア州は「緑のハート」という異名があるほど、緑豊かな場所だ。ピンクがかった石を積み重ねた家々、新緑が美しく瑞々しい山々、そしてすがすがしい空気。どれもが心をなごませる風景だった。
そのバスの中、お二人の日本人に出会った。
聞くと、明日から個展を開くのだというミラノ在住のアーティストと奥様で、開催場所はアッシジの中心地。明日のオープニングパーティーにご招待いただき、その日は別れた。
翌日の午前中は小雨だったが、それさえもしっとりと美しかった。
地中海方面ではあまりなかったことだが、ここでは常に小鳥のさえずりが聞こえる。統一されたピンクがかった石造りの家々は、どれもきれいな花を小窓に飾り、道も丁寧に掃き清められている。特に目的が無くても、複雑に入り組んだ旧市街の小径を歩いているだけで充分楽しめる街なのだ。
日本人の観光客はメインの聖フランチェスコ聖堂に行って移動してしまうことが多いのだが、ここでも一泊することをオススメする。
アッシジといえば、第二のヴァティカンとも言われるカトリックの聖地。そのメインが聖フランチェスコ聖堂だ。12世紀の終わりに聖フランチェスコが清貧を説いた教えを広めて以来、ここは聖なる場所なのだった。
町中での散策を充分に楽しんだ後、アーティスト・Ichiro Fukushimaさんの個展オープニングパーティーに出かけた。こうして海外で活躍されている日本人に出会うと、心からエールを送りたくなる。プロとして個展まで開くようになるまでは、容易な道では無かったはずだ。パーティーでは巻きずしなども用意してくれていて、帰り際に3食分くらいのお料理を包んでくれた。ゴハンを見るのも一ヶ月ぶりだ。本当にありがたかった。
そのパーティで、聖フランチェスコ聖堂の神父さんに出会った。何と日本人だ!普通の格好をしていたので、普通の観光客かと思い声をかけたら、神父さんだったのだ。いろいろ話していく内に、今晩聖フランチェスコ聖堂で大イベントがあることが分かった。
何と!雅楽界のスター、東儀秀樹が演奏するのだという!!!
しかもタダ!以前から天台宗と聖フランチェスコ聖堂とは交流があったようなのだが、今夜は更に雅楽も加えて、3つの異なった宗教が音楽による交流を行い、平和への祈りを捧げるというのがテーマ。
お坊さんと神父さん、そして雅楽師による前代未聞のコラボレーション、それが聖なるフランチェスコ大聖堂で開催!!ひぇ~~~!!
果たしてどんな音楽になるのか??
長くなっちゃったので、明日の日記にて。こうご期待!
イタリア
2005年05月13日 12:36
マルタ共和国は、マルタ本島、ゴゾ島、コミノ島、そしていくつかの無人島からなっている。マルタ本島も非常に海が美しいのだが、なかでもとりわけ美しいのはゴゾ・コミノ島だ。
ゴゾ・コミノ島とも、観光スポットへの島内のバスは少ない。
最大の目玉であるジュガンティーヤ遺跡へは午前中のみ、しかも一時間に一本という不便さ。この暑さでバスの時刻を気にしながら島内観光をするのは難しいと思い、ゴゾ島を一日かけて巡るツアーに申し込んだ。おかげで、非常に楽で楽しい一日となった。
ゴゾ島にある博物館、ジュガンティーヤ遺跡、カリプソの洞窟、首都ビクトリアなどをめぐるツアーだったのだが、中でも印象的だったのは昼食時に訪れたシレンディ湾。
その美しさ、半端ではない。波一つない穏やかな湾には、マルタ特有の極彩色の漁船が浮かび、紺碧の海は岸壁からでも泳いでいる魚を目視できるほとの透明度。
湾にはおしゃれなレストランやホテルが並んでいるのだが、静かでおだやかな海と同じように、
のんびりとしたムードが漂う。
湾の右側にちょっとした洞窟へつながる遊歩道があって、そこへ行った。私はお弁当持参で来ていたので、美しい場所を探して食べようとランチタイムをそれは楽しみにしていたのだ!
洞窟を抜けると、期待通りの美しい海が広がっていた。足下には魚が泳ぎ、エビの姿も見られる。何てすばらしいのだろう!!
朝早くに用意したトマトとタマネギのスライス、それにベーコンとレタスをピタパンにはさみ、美しい海に足をひたしながら、いただく。
こぼれおちたパンくずをねらって、魚たちが集まる。
こんな穏やかな時間、一体どれくらいぶりだろう・・・。
ギリシアからずっと、忙しくし過ぎてしまい、地中海の美しさをのんびりと堪能することがなかったような気がする。
美しい海とすばらしい遺跡、それに世界遺産の町並み。
マルタは、せっかちな私までもをとろけさせてしまうような、そんな魅力に溢れている。
マルタ
2005年05月10日 22:25
マルタには、30もの巨石神殿が存在する。
歴史の教科書には古代四大文明が一番に挙げられているが、それよりもさらに時代を遡る古い遺跡だ。今日はその中でも、マルタの南、海に面しているハガール・キムとムナイドラ神殿へ行って来た。
マルタの日中はめちゃくちゃ暑い。太陽だけでなく、遺跡のような木陰もないところでは照り返しもひどく、観光は困難だ。だから今日も朝一番で行こう、と勢い込んで首都・ヴァレッタへ向かったのだが、ハガール・キム方面へのバスの出発は9時45分。ハガール・キム遺跡の先にある、ブルーグロッタという青の洞窟へ遊びに行き、そのあとで遺跡に向かったので、必然的に遺跡への到着は、太陽が強烈な12時に近かった。
ちなみにほぼ全てのバスの終点・始発は首都ヴァレッタ。私のいるサン・ジュリアンから現地への直行便はなく、とにかくどこへ行くにもヴァレッタで乗り換えねばならないという、分かりやすいけど時間のかかるシステムなのだ。しかし島自体が小さいので、それでも間に合っているのだった。
ハガール・キムとムナイドラ神殿が建てられたのは紀元前3600年前から2500年前だという。今から5000年以上も前だ。何十トンもある石がそこかしこに積み上げられ、訪れる人を威圧する。現在の技術を持ってしても、何の重機も使わず、接着剤も使わないで積み上げるのは難しいのだそうだ。それを、5000年もの昔、ここに住んでいた人々はやってのけたのだった。高度な文明を持っていた彼らが、その後どうしたのかは謎のままだという。
遺跡の中央には巨大な石が白く光り、その向こうには紺碧の海が広がっていた。
数多くの巨石の中には、生け贄を捧げたとされるテーブルや、生け贄をつないでおくための穴があいた石柱などがある。人類の黎明期とも言える時代に、これらの巨大神殿を造った謎の人々。ふとたたずんでいると、どこからともなく聞こえてくる祈りの声が石にこだまし、古代にタイムスリップしそうになる。
炎天下で歩き回り頭がやられてしまったのか。
しばらく石の影で、古代から聞こえてくる人々の声に、耳をすませた。
マルタ
2005年05月09日 23:22
ついにアコガレのマルタへ上陸した!!
マルタはロドス島に拠点を構えていた聖ヨハネ騎士団が、スレイマン大帝によって追われ、何十年もヨーロッパの各地を点々とした後、ようやく腰を落ち着けることの出来た場所だ。
(聖ヨハネ騎士団に関しては、ロドス島の中で結構触れたので割愛する。)
行く先もないままみじめにあちこちを放浪し、ついにこの地を得たときの喜びはどんなだっただろう。心の中はオスマントルコへの復讐、そしてキリスト教世界を見返してやりたいという気持ちで一杯だったに違いない。
時の騎士団長はスレイマンへの報復を誓う、ジャン・ド・ラ・ヴァレッテ・パリゾン。殺伐としたマルタ島を堅牢な城砦へと作り変え、43年ぶりに再びスレイマン大帝と刃を交わし、今度はマルタを守り抜く。マルタの首都、ヴァレッタはその彼の名を冠しているのだ。
だから、ロドスからマルタへやってきた私には、余計に感慨深い。
ラ・ヴァレッテを追って(??)ついに来ちゃったわ、とひとしきり興奮する。
マルタの魅力は、騎士団によって作られた城塞だけではない。マルタからは「巨石神殿群」と呼ばれる数々の遺跡が発見されており、それらはエジプト文明よりもずっと古いとされ、科学的に証明できない謎に満ちている。
他に、地中海の紺碧に輝く海、数々のアクティビティと、遺跡も自然もリゾートも、全部兼ね備えている小さなワンダーランドなのだ!!
そのマルタ島で、コンドミニアムを借り、暮らすように過ごしている。
私の借りたコンドミニアムは、サン・ジュリアンという一番のリゾート街にあり、左側の岬にウェスティン、右側の岬にヒルトンがある湾の中心に位置している。部屋は海に面してはいないけど、歩いてすぐ海に行けるし、近くにはスーパーやバー、カフェが軒を連ねている。
スーパーで買い物をしていたら、2人の日本人の女の子に出会った。聞くと、彼女たちはこの近くの語学学校で英語を勉強しているという。
最近マルタは、短期の語学留学で注目を集めているのだ。日本語で会話をするのが1週間ぶりの私は、迷わず2人をランチに誘った。部屋に戻り、スーパーで買ったイカとほうれん草のトマトベースのパスタを作り、アボガドのサラダを用意した。久々の日本語での会話は楽しいものだった。
こんな風にホームパーティーが出来るのも、キッチン付きのコンドミニアムならでは。
マルタではいつもの旅には無い、ゆったりとくつろいだ滞在にしたい。
マルタ
2005年05月07日 21:55
シチリアで非常に困っている問題は食事だ。いや、正確に言うと、食事の時間だ。
最近日中の観光が続いたので、お昼を食べ損ねる事態が生じていた。
バスの時間がうまくいかず、これを逃すと2時間後などという場合は、お昼カットで移動してしまう。とりあえず移動しておいて、あとで適当に何か食べようというつもりで。
ところが、シチリアではこれが通用しない(悲)
たぶん、大きな都市だったら通用するのかも知れないし、場所によってはあるんだろうけど、日本のように、駅の構内にいつも何かしら食べ物屋さんがあるとか、駅の周りにお店があるワケではない。はっきり言うと、お昼を食べ過ごしてしまうと、開いているお店はジェラテリア、つまり、甘いモノ屋さんだけなのだ。。。
そんなワケで、トラパーニでの3日間の滞在中、お昼ゴハンを食べることは一度もなかった。一日目はクロワッサン、二日目はアーモンドミルクとクッキー、三日目はジェラートのブリオッシュサンド。甘いモノが好きならいざ知らず、私はどちらかと言われなくても、「甘いモノ苦手」。そう、苦手なのだ・・・。
ちなみに、シチリアでのスタンダードな朝食はコルネット。いわゆるクロワッサンで、中にたっぷりあま~いリコッタチーズや、ジャム、チョコなどがこれでもかと入っている!!!(悲)
甘いモノが好きな人には天国だが、普段ほとんど食べないような私には、結構な地獄だ。
で、これだと18:00にはすっかりお腹が空いてしまう。
ところが、イタリアのご飯屋さんは20:00を過ぎないと開かない。
そんな時間まで、待ってられるか!!!
で、結果、トラパーニでは自炊が可能だったこともあり、早々に自分で作って食べてしまった。ちなみに、一日目はツナとトマトのパスタ、二日目・三日目はスパゲッティ・カルボナーラと目玉焼き。ちなみにカルボナーラとは、イタリアで言うところの「卵かけご飯」。つまり、卵だけで夕飯をすませたのだった。。。
本当はトラパーニでクスクスというアフリカ料理を食べることを楽しみにしていた。ところがレストランが開くまで私のお腹は待っていられなかったのだ。結局一度も食べることないまま、トラパーニを去ることになってしまった。
この数日間の体力の消耗は、この食生活にあったと思う。
途中ですぐにエネルギーが切れてしまって(ガス欠だと自分で認識できる)、猛烈な眠気と震えまで生じてくるのだ。さらにこの太陽の下で遺跡観光などしているのだから、たまったものではない。
パレルモに到着したときも、お腹が空きすぎてふらふらだった。
周りは市場だし、何か食べるものがあっても良さそうだが、残念ながら生ものだけ。しょうがない、トマトとキュウリでも買って食べるか。もう15:00、レストランの開店まであと5時間も待たねばならない・・・。
そう思いながら歩いていたら、目に入ったのが中華料理屋さん!
まさか、開いてるわけないよね・・・とそっとドアを押すと、何と中でゴハンを食べている人がいる!お店の人が手招きをしている!
そう、唯一こんな時間にゴハンを提供してくれるのは、中華料理屋なのだった。
しかも安い。パスタ一皿分で、チャーハンと豚肉の椎茸とタケノコ炒めが食べられた。すごい!中華料理万歳!!
中国で食いっぱぐれると言うことはまずない。砂漠のど真ん中を旅した時くらいだ。どこにだって、何時だって食べ物には事欠かない、それが中国なのだ。
ひ、久々にご飯食べた・・・(涙)
たけのこ、一体何日ぶりかしら・・・(涙)
今日も夕食に行ってしまった。理由は同じで、18:00の時点でレストランが開いていないからだ。私のホテルのある界隈は日中は市場に面していて、非常に活気があり人通りがあるのだが、夜は絶対一人歩きできるような場所ではない、と直感で思った。だから、日のある内に食事を済ませたかったのだ。今日は餃子と春巻き、ビーフンで、これまたパスタ一皿よりも安いくらいだ。
お店の人がイタリア語で「おいしい?」と聞き、私は中国語で「おいしい」と返す。
食べ慣れた食感に、妙な安心感と、お箸をあやつる自分に、アジア人を実感する。
全然言葉は分からないけど、中国語の字幕で大体話の内容が分かる韓国の時代劇を見て、心が和んだ。
中国人は世界中、大抵の所でがんばっている。
アジア人の私たちには、とてもありがたい存在だ。
イタリア
2005年05月05日 22:22
第一次ポエニ戦役は、紀元前264年に始まり、実に25年にも及んだ。
第一次ポエニ戦役前は、西シチリアはカルタゴの支配下にあった。
シチリアにセリヌンテ、アグリジェンド、シラクサ等数多くの植民地を作ったのはギリシア人だ。そのギリシアが衰退を始めると、当時圧倒的な海軍力を誇ったカルタゴがその半分を支配した。東側はというと、独立していた。メッシーナと強国シラクサの支配が及んでいたのだ。
そこに台頭してきたのがローマ人。戦争を始めた当時は海軍さえ持っていなかった弱小国のローマが、第一次・第二次ポエニ戦争を経て、ついに大国・カルタゴを滅亡させるのである。
私が宿泊しているトラパーニはカルタゴの最後の拠点であった所だし、その沖ではかつて新興国ローマと、地中海最大の海運国カルタゴが、総力を結集して戦ったのだ。
今、私がいるのは、そんなカルタゴの支配が及んだ土地なのだった。
第一次戦役後、カルタゴは400年にも渡って築きあげてきたシチリアでの全ての権益を失った。
第二次戦役では、かの有名なカルタゴの勇将・ハンニバルと、ローマの名将・スキピオが国の命運をかけて戦う。当時カルタゴの支配下にあったスペインから、ハンニバルが象を率いてアルプスを越えたのは有名な話だ。
ハンニバルが象と大軍を率いてアルプスを越えたのは、弱冠29歳の時だったという。その明晰な頭脳と、冷静な分析力、そしてずば抜けた情報収集力で、ローマを何度も敗北に追いやった希代の戦略家だ。
写真で見た、モツィアから出土した「モツィアの若者」(紀元前5世紀)像に、そんなハンニバルの姿を(勝手に)重ねていた。等身大だという、大理石で出来たすばらしい彫刻。がっちりとした体躯に、精悍な顔立ち。美しいやわらかなプリーツの入った衣装をまとい、腰に手を当てて立っている姿に、きっとハンニバルはこんなだったに違いない、と勝手に思いこんでいた。
だから、モツィアに行くことは、私にとってはハンニバルに会いに行くようなものだった。モツィアはトラパーニとマルサラの間にあり、現在は塩田となっている港から小舟で渡る。端から端まで歩いても15分だという小さな島は、まるごとカルタゴの遺跡なのだ。
カルタゴの本拠地であるチュニスの遺跡は、そのほとんどが破壊されてしまったと言うから、モツィアの方が期待できる。何より、彼が待っていた。
セリヌンテ遺跡へ行く途中、このモツィアへの船着き場に、偶然行くことが出来た。私をセリヌンテまで送ってくれたドイツ人二人が、この塩田の見学をしたくて立ち寄ったのだ。船が狭い水路に数隻待機していて、そのうちの一隻がまさに観光客を乗せ、モツィアに行くところだった。その様子を見て、「私も明日、あそこへついに行けるのだ!」と胸を躍らせたものだ・・・。
結果は、自力ではアクセスが悪すぎて、行くことが出来なかった。(理由に関しては5/4のヒトリゴト日記をご覧下さい。。)本当に残念だけど。目の前にまで行ったのにも関わらず、モツィアに行けなかったことが悔やまれる・・・。
今回は運がなかったのだ。
まぁ、またいつか、彼に会える日もあるだろう。
そういい聞かせて、カルタゴゆかりの地、トラパーニを後にした。
イタリア
2005年05月04日 22:14
全く、シチリア時間には参ってしまう。
時の流れが別次元なのか、
果たして私たちとは考え方がまるで違うのか、
全く理解できないのだけど、シチリアのバスの時刻表はスゴイ。
バスの時間には、ちゃんとバスが出発する。
せいぜい誤差は30分くらいで、まぁ、これはたいしたことはない。
私が怒りを通り越して、笑ってしまった時刻表をお見せしよう。
先日訪れたセリヌンテ遺跡(シチリア西部最大の観光スポット!)へのバスの時刻表は以下の通り。ちなみに、トラパーニからセリヌンテへ行くには、カステルベトラーノという街を経由せねばならない。
【往路】
トラパーニ → カステルベトラーノ
6:00、6:55、12:50、14:10、17:30 発
カステルベトラーノ → セリヌンテ
6:30、8:30、12:45、14:05、16:30 発
【復路】
セリヌンテ → カステルベトラーノ
7:00、9:30、13:10、14:30、17:00 発
カステルベトラーノ → トラパーニ
5:50、7:00、12:45、13:00、13:30 発
なお、トラパーニ → カステルベトラーノ間の所要時間は一時間、
カステルベトラーノ → セリヌンテ間は約20分だ。
なるほどね、じゃあ、がんばって6:55に乗って、カステルベトラーノで8:30のバスにのれば、遺跡に9:00前に着くな。帰りは14:30に乗って・・・、あれ??
おかしい。カステルベトラーノからトラパーニへのバスがない。
なんと終バスは13:30なのだった。セリヌンテから13:10のバスに乗るという手はあるけど、このバスが着くのはバスターミナルではなく鉄道駅。鉄道駅からトラパーニ行きのバスが出るバス停は、かなり離れているので、やはりトラパーニ行きの終バスには間に合わない。
日本だったら、絶対うまく接続している。
うまく接続してなくても、終バスが13:30なんてありえない。。っていうか、乗るなってことか!?
このエリアでは一番を誇る、超有名観光地なのに・・・。
実は、これはセリヌンテだけではない。セジェスタ遺跡へ行ったときも、見事にちんぷんかんぷんなタイムテーブル。どうりで乗客は往復私一人のハズ。だって、本当に使いにくいんだもの!!
極めつけ、一番楽しみにしていたモツィアの遺跡(島まるごとカルタゴの遺跡!)には、結局行くことが出来なかった(とほほ)。
前日何度も時刻表を確認したのに、見落としていたことがあった。
ガイドブックに、トラパーニからマルサラ行きのバスに乗って塩の博物館まで行き、そこから船に乗り換えるとあったので、それを信じ切ってしまっていたのだ。実際は、トラパーニからマルサラへ行き、そこから塩の博物館へ、さらに船でモツィアへ行かねばならなかったのだ。
朝、宿のおじさんに「今日はモツィアへ朝いって、この便に乗って帰ってくるね!」と告げたところ、おじさんが「え、それは違うよ」と指摘してたので、事実が判明したのだった。
トラパーニからモツィアへの渡し船が出るポイントまで、車ならたったの20分だ。
なのに、バス・列車・船を駆使しても、そこにたどりついたはいいが、帰ってくるのに夜遅くなってしまいそうなタイムテーブル。今日はパレルモに移動しておきたかったので、モツィア遺跡へ行くのを断念せざるを得なかった。行く気満々で目覚めたのに、ほんとうに残念だ・・・。
そんなわけで、シチリアでの一週間、バスの時間に振り回されっぱなしでした・・・。
イタリア
2005年05月04日 22:10
みなさんにはまだ報告していないけど、この数日間スゴイ勢いで観光してます★
4月27日エトナ火山、28日シラクサ、29日タオルミーナ、30日トラパーニの塩田、5月1日セジェスタ遺跡&エリーチェ。明日はセリヌンテ遺跡、明後日はモツィア遺跡&マルサーラ、その次はアグリジェンド、そしてマルタにひとっ飛びの予定。
つまり超タイト&ハードスケジュールな一週間なのです!!!
こう書くと楽しそうですが、実際はかなりヘトヘト、勘弁してくれ、というカンジです・・。予定では現在滞在中のトラパーニからチュニジアへ船で渡ろうと思っていたのですが、週2便で日程が合わず断念。マルタへ行くためにカターニア方面へ戻ろうとも考えていたのですが、それではまた日数がかかってしまう・・・、ということで、日程調整の救い神!飛行機を使ってマルタINを目指します。
あれこれ日程調整に悩んでいたのに、飛行機を使うと2日はかかるところがたったの50分!!
便利な世の中だなぁ・・・。
つまり、ブログの原稿も写真もおいついていないワケです(涙)。
日々更新を目指す以上、それも含めて日程を組まねばならないのですが、こんなにも原稿書いたり写真を加工したりすることに時間がとられるとは思っていませんでした、正直なところ。
他にもシチリアの信じられないバスのタイムテーブルやら、私の疲れやら、計算外のことがたくさんで、日記が追いついていないのが現状です。
マルタに行ったら落ち着いて整理しますので、もう少々お時間をくださいね。
書きたいことは山のようにあるのですが、今はもう、眠くてたまらないのです・・・。
イタリア
2005年05月03日 22:03
5/2にはセジェスタ、5/3にはセリヌンテと、シチリアを代表するギリシア時代の神殿群が残る遺跡へ行って来た。
アクセスははっきり言うと「最悪」。
個人旅行の場合、かなりの覚悟が必要だ。もっとはっきり言うと、効率よく回るためにはツアーをオススメする。数人で行動するなら、車をチャーターするなども良いと思う。とにかく公共手段を使って訪問するには、かなりの労力・忍耐力が必要だ。
セジェスタはトラパーニの内陸にあり、山の中腹に広がる遺跡だ。周囲にはアーモンド畑とブドウ畑が広がり、途中の道には羊が草をはんでいたりして、非常にのどかな光景が広がっている。山の頂上付近には保存状態の良い劇場が、下にはほぼ完全な状態で、ドーリス式の神殿が建っている。
セリヌンテは海に面した広大な遺跡。シチリア最大の神殿群だという。
そのほとんどが崩落しており、実際に形をとどめているのはE神殿だけだが、それでもころがっているその柱に、当時の神殿の巨大さが見受けられる。
言葉で説明するのは非常に難しいので、写真のページにセリヌンテの神殿群をアップ。
どうぞご覧下さい!!
イタリア
2005年05月03日 08:46
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