●96窟●
大仏殿とよばれる43mの大建築の中にあるのが莫高窟のシンボルとなっているこの96窟。砂の壁に朱色の9層の楼閣がとてもよく映える。楼閣の中には高さ35.5m、幅12.5mの弥勒大仏がある。
中に入ると胴より下しか見えない。それほど大きいのだ。顔を見ようとすると首を思いっきり後ろに曲げないと上まで見ることができない。
中国で5番目に大きいこの大仏はもともと唐代に山を削り泥をかぶせて色をほどこしたもの。何度も修復を重ねたためか真っ白な顔に真っ赤な口紅をさした唇だけが歴史を感じさせないが、全体的には唐代の仏像建築の面影を残す。
●130窟●
こちらも唐代の様式そのままの仏像。高さ29mで中国で2番目に大きい仏像である。大仏は顔だけで7mもあり、96窟の修復の繰り返しとは違い、この弥勒大仏は右手の修復のみでほぼ全体的に唐代のまま現存されている。
ここは莫高窟最大の壁画があることでも有名。大仏の両脇に高さ15mの巨大な菩薩像が描かれている。上部には飛天が舞っていて、これも莫高窟最大の飛天像である。
壁の下側にもたくさんの素晴らしい壁画が描かれており、見所満載。
ここは大仏の顔の高さまで登ることができ正面から拝むことができるが、ガイドツアーに参加していると最初から顔まで登りたいと申請しないかぎり登る時間はない。壁画の鑑賞などがあるので人でにぎわっている。
今日はもっともおいしくなかったレストランメニュー・・・イスラム教の人は豚肉を食べない・・・だから羊?っていうのもよくわかりませんが、とにかくこの一番上・・・とってもおいしそうに見えますが、誰も食べていませんでした。
ジャガイモとにんじんと骨付き羊肉の煮込みスープなんですけど・・・じゃがいももにんじんも羊の味しかしない・・・さらに、スープも羊の味!もちろん、骨付き羊肉は煮込まれてさらに羊独特のお味・・・というわけで、羊が好きな方にはもってこいのメニューですね。
下にあるのは中国の野菜だと思うんですけど、塩味のきいた野菜の軽い煮込み料理。食感は・・・ちんげん菜の茎の部分を細く切ったらこんな味では?と・・・
そして、好評を得ていたのは・・・写真でみると何これ?と思う人が多いと思いますが、茶碗蒸し?しょうゆベースソースがけ?です。
茶碗蒸しのような食感。もちろん、卵系の味がします。上にかかっているソースも甘しょっぱいというか茶碗蒸しによくあっています。最初、デザートかと思ったのですが普通の食事でした。
上に散らばっているのは青ねぎの刻みとクコの実です!
レストランメニューはどこも同じようなのが出てくるんですけど、いつも一品は光るものがある!それがこの茶碗蒸しごときでしたね。すごい人気で即完売?されちゃいました!トルファンで食べれます!
莫高窟には現在492窟現存しております。そのうち、一般観光客が見学可能なのが40窟。その中でも一日でガイドと一緒にまわれる窟は10窟前後。ガイドさんがもっている窟の鍵にもより、さらに日によっても見学窟は違ってくる。ここでは私が見学した窟を紹介していきたい。
●17窟●
莫高窟は南区と北区に分かれています。北区は莫高窟を開削した画家たちが住んでいたといわれているところで近年、発掘調査が進んでいます。そして、この17窟は観光客に開放されている南区の北側に位置しています。ここは私は残念ながら見学することができなかったのですが、20世紀最大の発見がされた窟なので最初にご紹介したいと思います。
17窟は16窟の中にあり、16窟は「三層楼」の第一層にあたる場所にあります。
1900年、敦煌文書が発見された「蔵経洞」第17窟。当時、この界隈に住んでいた僧侶により発見されました。ただ、残念なことにこの僧侶によりほとんどの経典は外国に売られてしまいました。
ここは映画にもなった井上靖の「敦煌」でも西夏侵攻の混乱をさけるため、この文書を蔵経洞に運び込むというシーンがある。文書が蔵経洞に封じ込まれたのは西夏が敦煌を征服した以前ではないかという定説から成り立っているが、16窟の壁画を見るとその様式から西夏のものであり、そうなると敦煌文書が密封されたのは西夏の支配後となる?こうなるとなぜ、敦煌文書が蔵経洞に封じ込められたのか?謎はまだまだ続く・・・ちなみにこれはまだ謎のままです。
写真は経典の発見された17窟「蔵経洞」
約3m四方ほどのこの石窟の中に、六朝から北宋時代の経典、図画など4万点あまりが積まれていた。その様子は想像を絶するものがある。
●57窟●
莫高窟入り口まん前にある窟がこの57窟。
絵葉書などには必ず入っている美菩薩が有名。透き通るほど色白な肌、うっすらピンク色の頬、少し伏し目がちな目線、やさしく微笑む口元、しなやかな姿態、やわらかな指先、そしてそのすべてを彩る金色装身具・・・莫高窟最高の美菩薩であり、美人窟とも呼ばれている。右からみても左からみても同じ方向に向いている視線。観光客を魅了していた。
本窟右側に乗象入胎図が描かれている。乗象入胎図とはある夫人が夢で、釈尊が白象に乗って天から人間界に降りてきたところとガイドさんが説明していた。初唐時代に描かれた壁画は画風が法隆寺のものと似ている。300年前に描きなおされたおかげで今も色彩豊かな壁画が残る。
日曜日のNHKスペシャル
「新シルクロードの道」
第6集 敦煌 石窟に死す
はご覧になられましたか???
私は日曜日を逃してしまい、昨晩0:15からの再放送を見ました!敦煌は行った場所だし、逃しちゃいけない!と気合を入れていたはずなのに、当日、突然の飲み会で・・・
という理由はさておき、昨晩仕事を終わらせてぎりぎりセーフでテレビの前へ・・・
皆さんはこのシルクロードの道のどんなところが好きですか?
私は、ヨーヨー・マ氏が手がけた音楽、シルクロードアンサンブルのあのメロディーが大好き♪
シルクロードの映像ととてもマッチしている。
彼がこの音楽を作るうえで考えたことは
1.異なる文化に心を開き、東西の音楽を融合させる
2.旅を通じて、互いの体験を分かち合う
3.自らの伝統文化の素晴らしさを他の人に伝える、文化大使としての役割を担う
ということだ。
あの映像と音楽の融合が見ているうちに本当にシルクロードにいってるような錯覚に陥ってしまうのがすごい!ぜひ、BSハイビジョンで見たいと思ってしまった。
あとは、ナレーション担当の「松平 定知」さんのあの独特の深みをおびた声。これがまた映像にマッチしている。
シルクロードの神秘的な雰囲気を余すところなく伝えている番組だ!
さて、今回の「敦煌 石窟に死す」
の中で始めて知ったのが莫高窟には観光客がこぞっていく、壁画の宝庫南区と許可がないと入れない莫高窟の壁画を影で支えた職人さんが住んでいた北区。
南区の壁画の映像などは写真撮影禁止だったのであ~、行った行ったなどと思いながらきれいだな~と思ってみていましたが、北区はその華やかさとはうってかわって閑散としていて、絵師たちが住んでいたような跡だけが残り何か寂しささえ感じられた。
ようやく、北区の発掘調査が近年始まったばかり。
また、敦煌にいくことがあれば北区にも行ってみたい、そう思った。
ハミは新彊ウイグル東部の中心地!中国は貧富の差が激しいとよく言われますが、富裕層だな~と思うとき。それがこの小型犬を連れて、散歩をしている家族!
中国は野良犬もたくさんいて、野良犬のほとんどはかなり凶暴な顔つきで、体はシェパードぐらい?色は総じて黒(←たぶん、洗ってないから)。まあ、野良犬に噛み付かれたというニュースもしばしば聞かれるので凶暴な犬が多い!
が、その反面、このような愛くるしいチワワのような小型犬も目立つ。
これはチワワかな~と思ったんですけど、ガイドさんいわく
「チベット犬の一種」
だそうな。
けど、チベット犬ってもっと、毛がロングで上品だと思うんだけど・・・
中国では今、この小型犬を連れて散歩するのが一部でブームとなっているらしい。番犬としてではもちろんなく、室内犬としてかわいがられている模様。
屋台などがあるほうではなくて、デパートなどがあるエリアではよくこのチベット犬もどきをつれて散歩している家族を見かけた!
かわいいけど、どこか生意気そうな顔つきな気がするのは私の気のせいか・・・
ハミでもたくさん見かけました!トルファンと敦煌にあるので相当小さい古びた街なんだろうな~と思っていったらどっこい!かなりこぎれいな人たちがうようよいました!
ハミ
2005年06月20日 17:03
しばらく屋台メニューなどをアップしてきたので、この辺でレストランメニューをご紹介!
手前は日本で言う「豚の角煮」。味付けがしょうゆベースなのですが、少し濃い目に煮込まれています。豚肉の下にある野菜が何か不明だったのですが、シソ?だったような・・・食感がそんな感じ。これはご飯とばっちり合いました!
そして、奥が豚肉とにんにくの芽の炒め物。味付けも日本の定食屋さんで出るような味付け。これはお勧めです!
豚肉シリーズ第3弾がこれ!トマトで煮込んだものなんですけど、これがまたなんともいえない味。こしょうと塩が日本のものと違うのかな?脂っこくなく、トマトの酸味がいい感じにきいていて、食事のときに必ずでてくる包子(肉マンの肉が入ってないもの)にとてもよく合う。新彊ウイグルで有名なラグメンがありますが、この麺の上にもよくかけて食べているみたいです。実際、おいしかった!太麺とからめて食べるとグッドです!
←食べかけです・・・
あまりにおなかがすいて食べてる時に写真をとるの忘れて!
しまった!!!と思い、いきなりとり始めた!それぐらいおいしかった。
まず、手前はセロリと赤唐辛子の炒め物。右横がおなじみチンジャオロース!左横もおなじみ、川魚の焼き煮込み。だと思います。いつも焼いてから煮込んでるのかな?と思うのですが、今回は唐辛子がばりばりきいていて、ぴりっと辛く、美味!真ん中がもやしのバターいためと上にちょこんとのってるのが、チンゲン草とマッシュルームのバターいため。このバターいため特集は旅行を通じてお世話になり、どこも当たり外れなくおいしかった!
基本的にこのような日本人向けメニューはあきもこないし、おいしい・・・でも、たまに出てくる羊系のものはみんな食べていなかった・・・たとえば、羊とジャガイモ、にんじん、たまねぎを煮込んだものは絵的にはおいしそう!なんだけど、実際はすべて羊くささが野菜に残り、あまりおいしいとは言えない・・・
あまっていました・・・羊がいまいちという方は無難な中華料理系を食べたほうがいいですね!あと、屋台でおなかをこわし気味の方もレストランでこういった普通の中華を食べるのもいいです!屋台に比べると高いですが、なかなかリーズナブルです!
観光地にはお土産やは必須!
ここシルクロードでもお土産の屋台はところ狭しと並べられている。どの観光ガイドブックを見ても、
「値切ること!」
と書いてありますが、これ、ほんとです!
まず、定価の3倍の値段を言ってくるのがほとんど!
交渉すればするほど安くなるので必ずしてくださいね!
さて、トルファンのオアシス水路<カレーズ>の近くにあるお土産やさん!
ここもまあ、しつこい!
日本語で
「100元(=約1300円)、100元」と叫んでる。
ありえませんから!そのうち
「二個でいくら、三個でいくら」と下がってくる。
ほんとここの商売人って・・・懲りないな~と思う。
このカレーズでは子供向けの毛皮のジャケットがこのようにずらーーーと並んでいる。実際問題、欲しいかといわれると欲しくないし、二枚も三枚もいらない・・・カラフルなジャケットが多いけど、日本ではきれませんね・・・
そして、高昌故城もお土産やがすごい!バスをおりて駐車場からずらーーーとお土産やが。そして、ここが一番、しつこい!
若い子がたっくさん、歩みよってきて
「あなた、かわいい!だから○○円」
という。全員に言ってますからね。はっきりいって。
さらに、写真をとったら、というか撮ってもいい?と聞いた。
「いいよ~」っていってポーズとるから、なんて気さくなと思ったら、
「お土産かって!」
と言う。そういうことですか・・・
気をつけてくださいね!ここのお土産や!
でも、この子。私たちが観光しにいった場所まで追いかけてきて、一緒に歩いている。さらに、帰り、私たちがロバの馬車で帰っているときは砂みちを走って追いかけてくる。
さすがに、その商売根性というかひたむきさに負けて、購入してしまいました・・・・
刺繍のバック←お母さんが作ったと言っていた。
ミニ鐘←銅とかいっていたけど、
おまけで5個もつけてくれたから間違いなくパチもん!
彼女が腕にぶらさげているこの鐘です!
キーフォルダー←怪しいお坊さんが描かれていた。
これでしめて、80元=約1040円
ある意味、ぼられているような気がする。
彼女らの作戦にひかかったゆきんこである・・・
何回も海外旅行に行っているのに子供が売ってるのに弱く、ついいらないものを買ってしまうのであった・・・
トルファン、滞在中のこと。夜の街をぶ~らぶら歩く。
トルファンは治安がいいので、一人で歩いていても特に問題はない。というより、こんなに美しい人たちがわんさかいる街で、ゆきんこのようなちんちくりんにちょっかいかけるやつもいない。
しかも、いかにも金なさそ~な汚らしい格好をしていたら逆に無視される・・・
とぶらぶら面白探しをしていたときのこと!
通りにずら~~~っとビリヤード台が!!!
ここ、昼間は普通に車が通っています。夜は通行止め?
しかも、ビリヤードのために???
ビリヤードって中国のお国芸でした?
と思い、しげしげと見ていると・・・
え~~~!ボールが台の上から飛び跳ねてるんですけど!!
ということで、もちろんポケットに入るはずもなく、かなりの勢いでつくので、ボールがあっちに飛びこっちに飛び・・・
ものすごいビリヤードを見てしまった。私も全然下手だけど、この人たちよりはうまい!と思った。だって、テーブルの上から飛び出ないもん!
ビリヤードでかなり驚きながら、またさらにぶ~らぶら。
すると、また、なにやら怪しい遊びをしたおじ様たちが・・・
中国版チェス台?なのかな?
こまが異常に大きくて、よくわからないけど、とにかく笑いながらあ~だの、こ~だのいいながらすっごい盛り上がってる。将棋とかみたいに頭使う競技なのか???
とにかく、トルファンは老若男女問わず、夜更かしが好きみたい!屋台もなんだかんだと3時くらいまで空いていたし・・・
ちなみにこの写真は夜ですけど、昼間も男子は店番をしながらこんなことしていました。女子のほうが一生懸命、店頭で働いています。どこの国にいっても!
女子は働きものだ~!日本はどうなんだろう?
96窟の「9層楼」です。「莫高窟」の「莫」は、「瀑布」の「瀑」からきています。砂「漠」の「高」い場所にある石「窟」という意味で、その名の通り、鳴砂山の東端の断崖に開削されています。莫高窟の写真で有名な9層楼も遠くから眺めると、「砂漠の大画廊」と呼ばれている由縁がわかります。
さて、莫高窟の開削が始まったのは、前秦の建元2年(365年)、楽?(人偏に尊)によって造営が始められたとされています。
早いものは北涼期に作成され、北魏・西魏・北周・隋・唐・五代・宋・西夏・元の10の王朝の支配と保護の下で拡大と発展をしてきました。
敦煌の石窟は前時代の上に作ってしまう場合も少なくないことから、楽?時代の石窟は確認されておらず、今日確認できる最古の石窟は430年頃のものだそうです。未だに研究途中の窟も多く、また下層にある前時代の壁画などが科学的に解析されるようになれば、更に過去に遡ることが出来るようになると思われます。
各時代によって、窟の構造、彫刻様式、壁画の画題などに相違が見られ、中国仏教の美術史を一箇所で学べてしまう。特に壁画は内容、保存状態ともに素晴らしく、総面積は45,000㎡。すべてを横に並べると30kmの長さになるというから驚き。
ここは、イスラム勢力の支配下には殆ど入らず、支配者が変わろうとも一貫して仏教保護政策を通し、さらに、非常に乾燥した気候が壁画の保存に適していたことから多くの壁画が現在まで非常に良い保存状態で残されています。
残念ながら、西洋人による「発見」、私たち日本人も含めた多くの国に貴重な財物が盗掘にあってしまい、この地からなくなってしまったこと、一部の壁画や塑像は清代から中華民国以降の雑な改修によって芸術性が激しく損なわれてしまっていること、そして近世の「落書き」が多い事は非常に残念なことです。
あの有名な第17窟から発見された経典の大半を各国に「売り渡した」のは、当時この地に住んでいた僧侶だそうです。
現在、一般の人が見学できるのは40窟。これらをガイドの案内とともに見学しますが、ガイドによって持っている鍵の窟があるので、当日行ってみるまで、どの窟を見学できるかはわかりません。
これから、ブログに私が見学した窟について書いていきたいと思います。カメラは見学前に預けなければいけないので、買ってきたポストカードをスキャンしてみようと思います。
ハミはトルファンと敦煌の間にある新彊東部の中心地ではあるが、小規模都市であることと、特に大きな見所もないので通り過ぎる観光客が多い!
が、わがゆきんこ隊?はバス移動のため、ここで一泊することになった。夜、やはり大好きな屋台めぐりに繰り出す!
早速、発見したのでこの串焼きやさん。
ハミの中心地にある「ハミうりの少女」が後ろに見えてるのがわかりますか?ということで、ここは中心地の屋台です。
どこの都市の屋台もこういう風に目の前で肉をさばいて、串を通していくのだが、ここのは迫力満点!
血がとびかっていた・・・食欲もうせます。
やはり羊が主流で香辛料もばりばりかかっています。
ビールがないと絶対に食べれない代物。
屋台の中でもひときわ人のにぎわいがあったのがこの火鍋!
上海にいくと、ありとあらゆるところにある火鍋もここでは屋台で具材をいろいろ選んで食べれる。
おいしかったのは、
胡瓜、蓮根、椎茸、貢菜、ネギ、アヒルの腸、砂ずり、牛肉の塊、豆腐状の血の塊?!
具は、どうやって選ぶかというとテーブルに紙切れがおいてあって、食べたい具材をチェックして店員に渡すというもの。ですが、中国語表示なので、全然わかりませんでした。
二層になってるのが火鍋の特徴。
白いスープのほうが、鶏がらスープ
赤いスープのほうが、唐辛子ばりばりスープ。
赤いほうのははっきりいって普通の舌の方にはおすすめできません。あと、私のように腸が弱い方にもおすすめできません!
激辛です!
鶏がらスープは普通においしく召し上がることができます!激辛が好きなかたにはもってこいの一品ではないでしょうか?
そして、この火鍋やさんのおすすめの一品は火鍋の残りスープを面に絡めて、ゆで卵とぐちゃぐちゃにして食べるこの一品!
このときに赤いスープがぴりっと辛味が出ておいしい!でも、決してたくさん入れないでください!味がすべて赤いスープになってしまいます。
太めの麺にたくさんのダシが効いた、スープにからめて食べる!絶品です!
ハミでしかこの食べ方は見ませんでしたので、ハミによる方はぜひ、屋台でご賞味ください!
敦煌市街の西、党頂河西側に残る旧敦煌城遺跡跡で、敦煌が昔、沙州と呼ばれていたことから、沙州故城とも呼ばれている。
敦煌の「敦」は、盛んな、「煌」は、「大きい」という意味で、「大きくてとても盛んな街」という意味。
紀元前111年に敦煌郡がおかれて以来シルクロードの要衝都市として栄え、軍事上の重要な基地として東西文化交流の場として、大きな役割を担ったのだろうなと都市の名前からも伺える。
敦煌故城は「中国西北部古代建築芸術博物館」とも言われています。建築風格は今から800年前の宋代の資料に基づいて再建されました。城内には唐と宋代の敦煌街、高昌街、甘洲街、などの大通りに沿って、修造されています。
古城内は競馬、弓引きゲームなどができるようです。
その中でもやはりお目当てはコスプレ!
入り口からまっすぐに伸びる大通りの最初の門をくぐった左側にあります。一人5元でさまざまな衣装に着替えることができます。孫悟空、猪八戒、三蔵法師・・・私はもちろん楊貴妃!
自分で選んで写真も・・・と思っていましたが、ここは自分で写真をとらないといけないようです。
また、入り口のゲートの上は展望台になっています。階段を登って、故城内を一望できるほか、永遠と続く砂漠も見ることができます。
陽関 敦煌 [シルクロードの見所]
敦煌市内から郊外を出るとすぐゴビに出ます。片道一車線の舗装道路がまっすぐどこまでも続き、遠く蜃気楼がゆらめく。
よく、ゴビ砂漠と日本では言いますが、ゴビ(戈壁)とは砂礫の原で、砂漠と区別しています。砂漠は本当に砂だけのことだそうです。
陽関は古代シルクロードの軍事通商上の重要関門。入り口は閑散としており、昔の格好をした兵隊が門番をしている。
すぐ近くに建設中の関連施設がありました。近日中にオープンするとのこと。
ガイドさんいわく、
「でも、いつも近日中って言ってます」
とのことなので、ほんとにいつかはわかりません。
さて、この入り口から関所があるところまでミニカーにのって上まで登ります。
ミニカーを降り、関所まで歩くと、赤褐色の台地に烽火台が残っています。ここを警備した兵隊たちのさまざまな想いが頭をよぎり、郷愁を誘う。
かつて軍事上最も重要視された烽火台は、風化が進み、歴史を感じせずにはいられない場所でした。
←全部で5つある「のろし台」の中の4番目に位置し、最後の泉がある場所。もとは9.4mもあった高さが、いまでは2mぐらいしかありません。
昼は狼の糞を、そして夜はタキ木を燃やして、情報を伝達していたそうです。狼の糞は重いので、煙がまっすぐ上に伸びるそう。
そして、唐代の詩人、王維が友と別れるのを惜しんで、
「西のかた陽関を出づれば故人無からん」
と詠った吾妻屋があります。
ここからの景色は悠久のシルクロードという言葉がぴったりの荒涼とした景色。シルクロードにかかわる歴史上の人物たちの壮絶なドラマが思い描かれます。
ここから西はタクマラカン砂漠で泉はなく、「タクマラカン砂漠」は、ウイグル語で「入ったら出られない」という意味です。
また、この地から兵器や陶器などの遺物が発見され、「骨董砂漠」とも呼ばれています。
今日、トルファンの ベゼクリク千仏洞についてアップした!
そして、ふと思い出したことがあった。ベゼクリク千仏洞と敦煌の莫高窟の中はとても暗い・・・
よくガイドブックなどでも
「懐中電灯は必須」
と書かれている。
が、これが災いした・・・
ゆきんこは取材もかねていったので、ガイドの話は事細かに聞いて、質問がある人といわれれば、ひたすら聞きまくる、ガイドにしてみたらいわゆる、「うざい」存在・・・
そんなゆきんこ・・・この懐中電灯のおかげで迷いまくった。
なぜかというと、
ガイドさんが説明するときに懐中電灯で照らす壁画を他の何十人もの人も同じような場所を照らすので一体どれがそのお話の壁画なのかよくわからなくなるということ!
一緒になってその場所を照らしたら、照らしてる場所が広範囲になってほんと厄介だ・・・
ガイドさんがこの壁画の男子ですが・・・なんていってもいっぱい男子が描かれている壁画でどれがなんなのかわかるわけがない(--;)
そして、ガイドさんが照らしているところを照らしている人はまだいいとして、ガイドさんの話を聞いてなくて、単に壁画を見ている人はいい加減なところを照らしては一人でふむふむといっている・・・
ゆきんこは思いました。
確かに、懐中電灯は必要な気もしますが、ガイドツアーにのっかる人はいらないと思います。そんな真っ暗というわけでもないですし・・・余計な荷物も少なくてすむ・・・
敦煌
2005年06月03日 16:05
ベゼクリク千仏洞窟の目の前に広がる砂漠・・・ここではらくだにのって砂漠の上を歩くことができる。
シルクロードのイメージどおりの写真をとることができるポイントです。
入り口は、売店横の階段に沿って斜面を降りていく。崖に沿ってテラス状の回廊があり、ゆっくりと下っていくと洞窟にたどりつく。
ベゼクリクとはウイグル語で「美しく飾られた家」。当時、王族や貴族のための寺院とされていました。ベゼクリク千仏洞は、唐・五大十国・宋・元のおよそ7世紀にも渡る長い年月を経て、常に西域仏教の中心となっていました。現存する洞窟は57個、うち40個余りの洞窟に壁画が残っている。総面積は1200㎡。最盛期は回鶻人(ウイグル人の祖先)が高昌を支配していた時代で、この時代にほとんどの洞窟が制作されたといわれています。
現在、公開されているものは全部で8窟。
その中で見所として私が記憶に残った窟を紹介します。
<17窟>
中に入ると長い洞窟のようになっています。壁画がびっしりと描かれていますが、残念ながら剥ぎ取られた後のほうが目立っています。ハスの葉の台座に座っている仏像はとてもおだやかな顔をしています。22枚の絵物語も見所の一つです。
<20窟>
ベゼクリク千仏洞のハイライトです。王室寺院で入り口目の前に王族の絵が飾られていますが、これはコピー。本物はベルリン博物館に保存されています。入り口付近に長い壁画を模写した絵が飾られています。これはこの20窟の奥に描かれている絵物語を模写したものです。この絵物語は書くと長くなってしまうのですが、ある男が馬に助けられました。この馬はとても美しい馬。街の貴族たちがねらっているが見つけることができない。男は助けられた代わりに馬のことを内緒にするように言われたが、貴族たちの賞金に目がくらみ、馬の居場所を教えてしまうという話。ガイドさんが絵に懐中電灯をあてて、詳しくお話してくださいました。
<27窟>
壁全体にお釈迦様の絵が描かれていて、色合いもかなりきれいに残っています。真正面に描かれているハスの台座にのってるお釈迦様の絵はかなり保存状態がいいです。
<31窟>
27窟に比べ中が広く、壁画の壁も大きく見やすい。ハスの花が全体に描かれている。
<33窟>
仏教の法律を守る8人が真正面に描かれています。一人一人の表情がまったく違うのでよく見る価値があると思います。中央付近にモンゴル人がいるのですが、見つけることができるでしょうか???
<39窟>
一番新しい窟です。お釈迦様の立像が飾られています。観音菩薩の絵物語も描かれている。
ここベゼクリク千仏洞は20世紀初頭、ほとんどの壁画が外国人に盗み取られてしまい、現在は一部しか残っていません。何枚もの仏像の絵が真四角に切り取られ、地肌が見えていたことはとてもショッキングな出来事でした。
しかしながら、これら石窟内に残る仏像や壁画は、当時のウイグル文化を知るための貴重な資料となっており、大変な価値を認めたヨーロッパ人によって「保存」されたと評価する見方もある。そのままその場所に置いていたら、消失または散逸していたかもしれなかったと言われているからです。
ただ、一個人の意見として、博物館で展示されているより。元あった場所に同じように保存され、見学することができたらもっとよかったなと思った観光地でした。
高昌故城からベゼクリク千仏洞窟までは約22km。
車窓からはシルクロードらしい景色が続く。
車窓の風景で一番のポイントだと思う。
早速、バスを降りて写真撮影。シルクロードの道がいかに険しく、つらい道だったのかがうかがえる。
ベゼクリク千仏洞へ入っていくにつれ、褐色の山は高く、谷は深くなり、道は山の横腹を延々と上がってゆく。真っ青な雲ひとつない空、両側の山は赤褐色、崖は所によっては90度くらいに屹立している・・・
千仏洞の手前にはこんなテーマパークも?孫悟空らしきものや最近、作ったのであろうものがあちこちに点在している。この先の千仏洞窟の手前にはもっと、本物っぽく作られた孫悟空と三蔵法師の銅像があるのでこちらで写真をとったほうがいいと思う。
ガイドさんも
「ここはあまり人気ないですね・・・」
などと連れて行く気はさらさらない。
← さて、先ほどお話した孫悟空の銅像
その後ろに三蔵法師と猪八戒が続いている。
ベゼクリク千仏洞窟の入り口、駐車場奥にいます。
この銅像だけ、ポツンと柵の中に収められていてなんだかちょっと変な感じもなきにもしあらず・・・
車窓の景色が必見の場所なので高昌故城から行かれる方、ツアーに参加されている方はこの順番だと思いますのでここは寝ないでしっかり車窓をチェックしたほうがいいポイントですね!
高昌故城の フォトアルバムや 見所などをみていただくとわかるように、この日はあまり天気がよくなかったです。
というわけで灼熱の太陽の下ではなくなんとなく涼しい風にふかれて、のんび~りと観光しておりました。
が、ここはこの講堂ぐらいしか見るところがなくあとは荒涼とした赤茶けた土の日干しレンガがずらーーーと永遠にあるだけ。
というわけで、ぶらぶらしていたら・・・
「ふんころがし」発見!
最初、ふんころがしって思わなかったんだけど、じーーーとみてなんだこれ?と思っていたら後ろから
「ふんころがしじゃん!」と言われ、
ほー、これがかの有名なふんころがしさんですか!
なんて思ったものであります。
そもそも、ふんころがしとは中東ヨーロッパ方面に分布する糞虫であるスカラベ (和名、タマオシコガネ) 類の、動物の糞を適当な大きさにちぎって、丸めて、後足で器用に転がしながら巣穴に運ぶ習性を見てできた言葉。古代エジプト文明では、糞玉を転がすこの虫を太陽を運ぶ神の化身と考えて信仰の対象にしていたと言うお話は有名ですよね。
そして、この中国の砂漠のふんころがしさんは糞を転がすどころかこんなに日本人に囲まれてもうんともすんとも言わない。
すごすぎ!
というかこれはほんとにふんころがしさんなのだろうか?誰か教えてください!
アスターナ古墳群は高昌故城に住んでいた、麹氏高昌・唐代の貴族の墓地。トルファン市街から36km、高昌故城の北方約1km、火焔山の南麓にあり、500基近くの墳墓が並んでいる。
入り口は最近できたばかりのようで真新しい。目の前に十二支の動物が着物をきて円形にたっている。
今まで古い仏像などを見てきた後でこれを見ると、現代人が作ったものだななどと思ってしまう。
ここの入り口の横からいよいよアスターナ古墳群へ。
干上がった土地にぼこぼこと土山が点在するなんともあっさりした場所。古墳群といわれないと、何かの工事現場か何かかと思ってしまうくらいあっけない。
アスターナ古墳の一古墳の地下室へ通じる階段。このさきにミイラ化した当時の貴族が眠っている。
漢民族の国家、高昌国の古墳群。その数は数百にも及ぶ。
現在、公開している墳墓は3基。
高昌国時代の貴族の古墳群ということもあり、墓の中から絹織物、文書、陶器、貨幣、壁画などが発見されている。「憩い」「眠り」を意味するアスターナ古墳の遺体はミイラとなって保存され、今に歴史を伝える。
ウイグルの博物館のミイラもそうだが、ここの乾燥した土地のおかげで、保存状態は素晴らしい。手や足、目の形、髪の毛までしっかり残っている。
トルファン市街約40kmに位置し、周囲を約5kmと広大な敷地に荒涼とした風景が続く高昌故城。
城内には数多くの寺院の遺構が点在しています。イラン様式のドーム型の講堂、インド式の仏塔、当時の修行僧たちの住居跡など。菊氏高昌国から西ウイグル帝国にかけておよそ1000年の間、栄えた国としての城址が残されています。
入り口からロバにのって講堂などがある中心部まで行く。
交河故城に比べると破損が激しく、単なる日干し煉瓦が続く土地という感じしかしない・・・
周囲を高い城壁で囲まれた城塞都市であることを考えると、このあたりにかなり強力な敵がいた証拠。
遺跡が残るのは西半分で、東半分は更地になっていて当時の面影はまったくない。今も9つの城門は残っているのだろうか?
残りの部分も塔状の土盛りが残るだけで、想像力を豊かにしないと人が住んでいた建物には見えない。
中心地にいくとようやっと形らしいものが見えた。この講堂は628年、玄奘三蔵が、仏教の経典を求めてインドへ行く途中、高昌城に立ち寄り、国王麪文泰(きくぶんたい)の懇願をうけて1ヵ月間にわたり仁王般若経を講義したといわれています。
講堂横には仏塔の跡。中心には仏像を収めた凹みがたくさんある四角い塔があり、仏像の跡があるが、仏像はやはり盗人に持ち去られてしまった。
まさに「故城」。灼熱の太陽が照りつける荒野。背後には火焔山が立ちはだかる。所々に塔のような物は残っているが、もはや完全な千年以上昔のミイラ都市。唐によって滅ぼされた高昌国。いまや、その面影を残すものはほんの少ししかない。
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