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96窟の「9層楼」です。「莫高窟」の「莫」は、「瀑布」の「瀑」からきています。砂「漠」の「高」い場所にある石「窟」という意味で、その名の通り、鳴砂山の東端の断崖に開削されています。莫高窟の写真で有名な9層楼も遠くから眺めると、「砂漠の大画廊」と呼ばれている由縁がわかります。
さて、莫高窟の開削が始まったのは、前秦の建元2年(365年)、楽?(人偏に尊)によって造営が始められたとされています。
早いものは北涼期に作成され、北魏・西魏・北周・隋・唐・五代・宋・西夏・元の10の王朝の支配と保護の下で拡大と発展をしてきました。
敦煌の石窟は前時代の上に作ってしまう場合も少なくないことから、楽?時代の石窟は確認されておらず、今日確認できる最古の石窟は430年頃のものだそうです。未だに研究途中の窟も多く、また下層にある前時代の壁画などが科学的に解析されるようになれば、更に過去に遡ることが出来るようになると思われます。
各時代によって、窟の構造、彫刻様式、壁画の画題などに相違が見られ、中国仏教の美術史を一箇所で学べてしまう。特に壁画は内容、保存状態ともに素晴らしく、総面積は45,000㎡。すべてを横に並べると30kmの長さになるというから驚き。
ここは、イスラム勢力の支配下には殆ど入らず、支配者が変わろうとも一貫して仏教保護政策を通し、さらに、非常に乾燥した気候が壁画の保存に適していたことから多くの壁画が現在まで非常に良い保存状態で残されています。
残念ながら、西洋人による「発見」、私たち日本人も含めた多くの国に貴重な財物が盗掘にあってしまい、この地からなくなってしまったこと、一部の壁画や塑像は清代から中華民国以降の雑な改修によって芸術性が激しく損なわれてしまっていること、そして近世の「落書き」が多い事は非常に残念なことです。
あの有名な第17窟から発見された経典の大半を各国に「売り渡した」のは、当時この地に住んでいた僧侶だそうです。
現在、一般の人が見学できるのは40窟。これらをガイドの案内とともに見学しますが、ガイドによって持っている鍵の窟があるので、当日行ってみるまで、どの窟を見学できるかはわかりません。
これから、ブログに私が見学した窟について書いていきたいと思います。カメラは見学前に預けなければいけないので、買ってきたポストカードをスキャンしてみようと思います。
敦煌市街の西、党頂河西側に残る旧敦煌城遺跡跡で、敦煌が昔、沙州と呼ばれていたことから、沙州故城とも呼ばれている。
敦煌の「敦」は、盛んな、「煌」は、「大きい」という意味で、「大きくてとても盛んな街」という意味。
紀元前111年に敦煌郡がおかれて以来シルクロードの要衝都市として栄え、軍事上の重要な基地として東西文化交流の場として、大きな役割を担ったのだろうなと都市の名前からも伺える。
敦煌故城は「中国西北部古代建築芸術博物館」とも言われています。建築風格は今から800年前の宋代の資料に基づいて再建されました。城内には唐と宋代の敦煌街、高昌街、甘洲街、などの大通りに沿って、修造されています。
古城内は競馬、弓引きゲームなどができるようです。
その中でもやはりお目当てはコスプレ!
入り口からまっすぐに伸びる大通りの最初の門をくぐった左側にあります。一人5元でさまざまな衣装に着替えることができます。孫悟空、猪八戒、三蔵法師・・・私はもちろん楊貴妃!
自分で選んで写真も・・・と思っていましたが、ここは自分で写真をとらないといけないようです。
また、入り口のゲートの上は展望台になっています。階段を登って、故城内を一望できるほか、永遠と続く砂漠も見ることができます。
陽関 敦煌 [シルクロードの見所]
敦煌市内から郊外を出るとすぐゴビに出ます。片道一車線の舗装道路がまっすぐどこまでも続き、遠く蜃気楼がゆらめく。
よく、ゴビ砂漠と日本では言いますが、ゴビ(戈壁)とは砂礫の原で、砂漠と区別しています。砂漠は本当に砂だけのことだそうです。
陽関は古代シルクロードの軍事通商上の重要関門。入り口は閑散としており、昔の格好をした兵隊が門番をしている。
すぐ近くに建設中の関連施設がありました。近日中にオープンするとのこと。
ガイドさんいわく、
「でも、いつも近日中って言ってます」
とのことなので、ほんとにいつかはわかりません。
さて、この入り口から関所があるところまでミニカーにのって上まで登ります。
ミニカーを降り、関所まで歩くと、赤褐色の台地に烽火台が残っています。ここを警備した兵隊たちのさまざまな想いが頭をよぎり、郷愁を誘う。
かつて軍事上最も重要視された烽火台は、風化が進み、歴史を感じせずにはいられない場所でした。
←全部で5つある「のろし台」の中の4番目に位置し、最後の泉がある場所。もとは9.4mもあった高さが、いまでは2mぐらいしかありません。
昼は狼の糞を、そして夜はタキ木を燃やして、情報を伝達していたそうです。狼の糞は重いので、煙がまっすぐ上に伸びるそう。
そして、唐代の詩人、王維が友と別れるのを惜しんで、
「西のかた陽関を出づれば故人無からん」
と詠った吾妻屋があります。
ここからの景色は悠久のシルクロードという言葉がぴったりの荒涼とした景色。シルクロードにかかわる歴史上の人物たちの壮絶なドラマが思い描かれます。
ここから西はタクマラカン砂漠で泉はなく、「タクマラカン砂漠」は、ウイグル語で「入ったら出られない」という意味です。
また、この地から兵器や陶器などの遺物が発見され、「骨董砂漠」とも呼ばれています。
ベゼクリク千仏洞窟の目の前に広がる砂漠・・・ここではらくだにのって砂漠の上を歩くことができる。
シルクロードのイメージどおりの写真をとることができるポイントです。
入り口は、売店横の階段に沿って斜面を降りていく。崖に沿ってテラス状の回廊があり、ゆっくりと下っていくと洞窟にたどりつく。
ベゼクリクとはウイグル語で「美しく飾られた家」。当時、王族や貴族のための寺院とされていました。ベゼクリク千仏洞は、唐・五大十国・宋・元のおよそ7世紀にも渡る長い年月を経て、常に西域仏教の中心となっていました。現存する洞窟は57個、うち40個余りの洞窟に壁画が残っている。総面積は1200㎡。最盛期は回鶻人(ウイグル人の祖先)が高昌を支配していた時代で、この時代にほとんどの洞窟が制作されたといわれています。
現在、公開されているものは全部で8窟。
その中で見所として私が記憶に残った窟を紹介します。
<17窟>
中に入ると長い洞窟のようになっています。壁画がびっしりと描かれていますが、残念ながら剥ぎ取られた後のほうが目立っています。ハスの葉の台座に座っている仏像はとてもおだやかな顔をしています。22枚の絵物語も見所の一つです。
<20窟>
ベゼクリク千仏洞のハイライトです。王室寺院で入り口目の前に王族の絵が飾られていますが、これはコピー。本物はベルリン博物館に保存されています。入り口付近に長い壁画を模写した絵が飾られています。これはこの20窟の奥に描かれている絵物語を模写したものです。この絵物語は書くと長くなってしまうのですが、ある男が馬に助けられました。この馬はとても美しい馬。街の貴族たちがねらっているが見つけることができない。男は助けられた代わりに馬のことを内緒にするように言われたが、貴族たちの賞金に目がくらみ、馬の居場所を教えてしまうという話。ガイドさんが絵に懐中電灯をあてて、詳しくお話してくださいました。
<27窟>
壁全体にお釈迦様の絵が描かれていて、色合いもかなりきれいに残っています。真正面に描かれているハスの台座にのってるお釈迦様の絵はかなり保存状態がいいです。
<31窟>
27窟に比べ中が広く、壁画の壁も大きく見やすい。ハスの花が全体に描かれている。
<33窟>
仏教の法律を守る8人が真正面に描かれています。一人一人の表情がまったく違うのでよく見る価値があると思います。中央付近にモンゴル人がいるのですが、見つけることができるでしょうか???
<39窟>
一番新しい窟です。お釈迦様の立像が飾られています。観音菩薩の絵物語も描かれている。
ここベゼクリク千仏洞は20世紀初頭、ほとんどの壁画が外国人に盗み取られてしまい、現在は一部しか残っていません。何枚もの仏像の絵が真四角に切り取られ、地肌が見えていたことはとてもショッキングな出来事でした。
しかしながら、これら石窟内に残る仏像や壁画は、当時のウイグル文化を知るための貴重な資料となっており、大変な価値を認めたヨーロッパ人によって「保存」されたと評価する見方もある。そのままその場所に置いていたら、消失または散逸していたかもしれなかったと言われているからです。
ただ、一個人の意見として、博物館で展示されているより。元あった場所に同じように保存され、見学することができたらもっとよかったなと思った観光地でした。
高昌故城からベゼクリク千仏洞窟までは約22km。
車窓からはシルクロードらしい景色が続く。
車窓の風景で一番のポイントだと思う。
早速、バスを降りて写真撮影。シルクロードの道がいかに険しく、つらい道だったのかがうかがえる。
ベゼクリク千仏洞へ入っていくにつれ、褐色の山は高く、谷は深くなり、道は山の横腹を延々と上がってゆく。真っ青な雲ひとつない空、両側の山は赤褐色、崖は所によっては90度くらいに屹立している・・・
千仏洞の手前にはこんなテーマパークも?孫悟空らしきものや最近、作ったのであろうものがあちこちに点在している。この先の千仏洞窟の手前にはもっと、本物っぽく作られた孫悟空と三蔵法師の銅像があるのでこちらで写真をとったほうがいいと思う。
ガイドさんも
「ここはあまり人気ないですね・・・」
などと連れて行く気はさらさらない。
← さて、先ほどお話した孫悟空の銅像
その後ろに三蔵法師と猪八戒が続いている。
ベゼクリク千仏洞窟の入り口、駐車場奥にいます。
この銅像だけ、ポツンと柵の中に収められていてなんだかちょっと変な感じもなきにもしあらず・・・
車窓の景色が必見の場所なので高昌故城から行かれる方、ツアーに参加されている方はこの順番だと思いますのでここは寝ないでしっかり車窓をチェックしたほうがいいポイントですね!
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