トルファンからハミに行く道すがらに見える「火焔山」(車窓から撮影のため、少しガラスが反射しています)
地殻運動によりできた長いヒダの入った褐色の山肌は、夏場になると地表から立ち上る蜃気楼などの影響で山全体が燃えるように見えるため、火焔山と呼ばれるようになった。
「西遊記」の作者が一番初めに名づけたとも言われている。
西遊記というと孫悟空。この火焔山で有名なお話というと、玄宗一行がこの燃え盛る山に行く手をはばまれ、孫悟空がこの山の火を消すことができる「芭蕉扇」を手に入れるため、この芭蕉扇の持ち主の鉄扇公主と戦う話だ。
私がいったときは春先でうだるような暑さではなく、天候も曇りでしたので、ただの褐色の山だったのですが、夏になると太陽の影響もうけて赤く燃え上がるように見えるそうです。
トルファン市街地西約16kmに位置する交河故城は前漢時代(約3000年前)の車師前国の都だった場所。ヤルネズ川が2本に分かれまた合流する高台にある城址遺跡です。長さは1650m、幅は300mで周りは切り立った30mの絶壁に囲まれている。故城は西北部の寺院遺跡、東北部の居住区、東南部の行政区の3つの部分からなっている。
交河故城の入り口の下側に故城の全景模型が展示されている。とにかく広く、限られた時間内では奥のほうまで行っている暇はない。むやみやたらに歩くことはできないので、一日ツアーに乗るか車をチャーターする必要がある。
交河故城の看板を抜け早速、入り口に入るといたるところに日干し煉瓦が点在している。この観光地はとにかく歩く。そして、説明を聞かないと何がなんだかわからないくらいすべて日干し煉瓦。
10分ほど大通りを歩き、遺跡の中央に位置する大仏寺の跡に到着。このあたりは寺院遺跡が点在していて、特に仏塔は数多く残っている。
交河故城には仏塔が200あまりあったが、この仏塔が最も大きいもの。中心に仏像を収めた凹みがあり仏像の形がなんとか確認できたが、仏像の多くは20世紀の初め、盗賊に盗まれてしまった。ここの仏像は腰が細いので唐の時代よりも前の仏像と推測されている。
中心大道の脇に牢屋の跡もある。地下牢で周りの壁が切り立っているので逃げ出すことはできない。故城の屋敷の下半分はほとんど地下室になっていて、上部は土をかためて作られている。井戸やかまどの跡も残り、当時ここで暮らした人たちの息吹を感じられる。
今回は取材ということで、特別に地下低院をみせていただいた。外はうだるような暑さなのに、この地下に入った瞬間、ひんやりとした空気に包まれた。地下低院は普段のパッケージツアーでは見ることができず特別ツアーなどに参加しないと見ることはできない。そして、この地下低院にいくまでの道のりはかなり長く、大体住居地区から徒歩10分。日陰もなく、灼熱の太陽の下を歩かなければいけない・・・かなり覚悟がいる。
地下低院の帰り、交河故城のはずれに行ってみると、切り立った崖の下に緑溢れる畑が見えた。交河故城の人たちは城の外で農業を営み、自給自足の生活をしているとのこと。
日干し煉瓦の故城に現れる緑にとても癒された瞬間でした。
葡萄棚が続く青年南路沿いにある「トルファン賓館」で5-10月の夜9時から民族舞踊ショーを行っている。
このトルファン賓館に宿泊するパッケージツアーなどに参加される方はウェルカムダンスももれなくみることができる。
ウイグル族の女子のダンスは手の動きがたとえると、バリ舞踊のようななめらかな手の動きをする。そして、その手の動きにあわせて顔を横にくいっくいっと動かす。
その微妙な動きに目を奪われる。
ダンスの後ろでは民族楽器を使っての生演奏。
これも見ごたえがあります。
ウイグル族の舞踊ショーは大体、男性二名、女性数名で行われているようです。男性の特徴は
とにかくまゆげを動かす
おもちゃのようにまゆげを動かすんです。
全員でダンスもしますが、もう一つの特徴としてあるのが「求愛ダンス」男性がひたすらおいかけて、女性が逃げる。
そして、どうにかこうにか求愛を受け入れてもらうという感じのストーリー性のダンスをしていました。
基本的に女性はみんなエキゾチックな顔立ちをしていてきれいです。衣装も赤や青といった原色。浅黒い顔にぱっちりした目鼻立ちによく合っています。
この乾燥したシルクロードには3つのオアシスがある。
1.河川の水を利用したもの
2.湧き出る泉を利用したもの
3.カレーズと呼ばれる地下水路を利用したもの
トルファンは3番のタイプのオアシス都市である。
カレーズとはペルシャ語で「地下水、(掘って水を通す施設)」を意味する。作り方は山脈の水源を掘り当て、その後等感覚に竪穴を掘り、それを横穴でつなげていく。そして、この横穴には緩やかな傾斜をつけ、人々が生活する場所へ水が届くようにするという仕組みだ。
トルファンではいたるところで堅穴の穴が掘られ、横穴と横穴をつないだ地下水が町を流れる。その数、約1000ヶ所以上にも及ぶといわれている。
砂漠の命の水、カレーズの総延長は天山山脈の麓から3000キロ以上。天山山脈の雪解け水に恵まれるトルファンの葡萄は甘くてとてもおいしい。葡萄棚が延々と続き、葡萄干しを作る茶色の乾燥室がトルファン郊外に見られる。
観光客用に開放しているカレーズで遊ぶ子供たちも無邪気。
彼は水を汲んでいるようだが、スコップに穴が開いていて水がなかなか汲めない。なきそうになっていました。カレーズの水は透き通っていて冷たい。砂漠に生きる人たちにとってこの水は命の水。このカレーズを見るとシルクロードの人たちが作り上げたオアシスに感動することでしょう。
ウルムチの中心地に位置する標高934mの紅山を中心としたウルムチ市民憩いの公園。山の名前の由来は山肌が褐色だったことからです。
公園の入り口はいくつかあり、バスで「紅山公園」行きにのるとメインゲートの前が終点。観光バスでは鎮龍塔に登る手前の駐車場まで登ってくれる。
鎮龍塔近辺の見所は ウルムチ旅行記を参照ください。
この塔は、幾度となく氾濫したウルムチ河の龍を鎮める(中国の人は河が氾濫すると龍の仕業と思っていた)ために建てられた塔です。
毎日、ウルムチ市民でにぎわってるこの公園。
ウルムチ市内を一望でき、ごみごみしたウルムチ中心地からほっとできる場所です。
2005年5月現在、改装中の新彊ウイグル博物館。外観が体育館のような感じで、ふるぼけていたので、写真は改装中の博物館の横にあった新彊じゅうたんを作っていた女性。
「楼蘭美女のミイラ」で有名な博物館。雰囲気はこちらのブログのほうが伝わります。
所蔵文化財は5万点を超える。現在の仮施設ではすべてを展示しておらず、改装前に人気のあった展示物を展示している。
1.新彊エリアに住む各民族の衣装や住居の模型の展示
2.新彊エリアで発掘されたミイラをガラスケースで展示
3.新彊エリアの歴史をパネルや発掘品で時代をおって展示
中でも見所はやはり「ミイラ群」
仮施設の中にも15-20ほどのミイラがガラスケースに入れられて展示されている。この一帯は砂漠の乾燥地帯だったため、ミイラの保存状態が非常によく、髪の毛やまつげがそのまま残ってる。
なお、新オープンは2005年10月。
さらに見所は 「楼蘭美女のミイラ」を超える「美女ミイラ」が近年、発掘され、この新オープンでお目見えする。
この時期にウルムチにいかれる方は必見です!
ウルムチ市内から北東に約90km、車で約2時間でいける中国のスイスと呼ばれている「天池」。
モンゴル語で「聖なる山」を意味する「ボゴダ峰」(標高5445m)の中腹、標高1980m地点にある湖で、南北、約3400m。最大幅は約1500mの大きな半月型(ひょうたん型?)の湖。山からの雪解け水の影響で季節により面積が変わる。
夏は20分ほどかけて湖を回る遊覧船も運航される。冬は湖が凍ってしまうので運休。写真は4月下旬。まだ、湖は凍っていました。
ここは「穆天子伝」西王母と周の穆王(ぼくおう)が出会った場所と記されており、著名な景勝地として知られていた。
ウルムチの市外を出るとあっという間に荒涼とした景色になり、山が近づくにつれ、緑が増えてくる。山水が流れる渓流沿いのくねくねした、まるでいろは坂のような道をバスはひたすら上り続ける。
森というより草原のような山道の通り沿いにはカザフ族のゲルがあちこちに見え隠れする。地元の少数民族の人々がスコップを片手に作業をしている風景を車窓から見ることもできる。
湖畔の駐車場が終点。そこから徒歩、もしくはミニカーで移動することになる。天池ミニバスで2分ほど登るとそこには万年雪をたたえたボゴダ峰。目の前には太陽に反射し、深い青色をした天池を望むことができる。
ここの自然景勝地は自由気ままに散策することもできるが、もうひとつの楽しみ「乗馬」がある。ここの一帯は遊牧民族「カザフ族」の住居エリアで彼らが馬を貸している。写真撮影をしていると何人もの人に話しかけられる。ここで注意が必要なのは値段交渉。基本は1-2時間馬に乗り湖畔を走る。少し上にある、カザフ族の「ゲル」を訪問したり、丘の上から天池を望んだりする。相場は大体、1時間:30-40元といったところ。
なお、ここのゲルには宿泊も可能。朝夕の天池の景色を堪能できるのはここに宿泊した人だけ。思いっきり堪能したい!と思われる方は遊牧民の生活を体験でき、かつ、カザフ族の食生活も経験することができるので試してみるのもいいかもしれません。
また、カザフの人たちはとっても気さく。写真をとってもいいですか?というと笑顔で応対してくれる。デジカメでとった場合はその写真を見せてあげると喜ばれます。
写真は観光客相手に乗馬をすすめてきた親子です。
明・清朝には故宮の北に地檀、東に日檀・西に月檀・南の天檀は天を祭り、歴代の皇帝が五穀豊饒を天に祈願し、明の永楽18年(1420年)に造営されました。
以前は禁苑(皇帝の庭)だった公園で北京で一番大きな規模を誇っています。もとは地檀と同じように、城外に築かれましたが、明代嘉靖年間に外城を造くり、内部に組み込まれる形とななりました。この巨大な敷地の中央部分に、皇帝の祈願の建物が集まっています。
祈年殿は正月の祭事の中心となる建物で、明・清時代には皇帝が毎年、豊作祈願をしてきた場所です。円形の木造建築で、天を突く急な角度の円形の屋根が印象的。三層の大理石の壇上に立ち、高さ38m、直径30m。ここは回音壁と言い、左右に分かれて立ち、ひそひそ話が反対側の人にはっきり聞こえるという壁もあります。
この天檀公園は観光地であるとともに市民の憩いの場でもあります。公園の中には社交ダンス?見たこともない不思議な行進をしてる人、中国のおば様達の笛団や羽チャッチボール遊びなど至る処で思い思いにくつろいでる風景を見ることができます。
中でも太極拳が活発に行われていて、いたるところで目にすることができます。
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