ブルガリア
古都、「ヴェリコ・タルノヴォ」。(7月2日/出発から82日目)
ヴェリコ・タルノヴォは第二次ブルガリア王国に首都が置かれた古い街だ。
街の東にあるツァレヴェッツェの丘には、かつて大きな宮殿があったという。
ブルガリアの歴史は非常に古い。
先日もトラキア人について触れたが、その後は紀元前にギリシア、マケドニアによって入植され、さらに彼らの後に台頭してきたローマ帝国によって支配される。ローマが東西に分裂した後はヴィザンツ帝国の領土となるが、ブルガリア人がヴィザンツを破り第一次ブルガリア王国を建設。
300年後にはヴィザンツ帝国によって滅ぼされるが、その100年後には再び第二次ブルガリア王国が建国される。しかし14世紀の終わりにはオスマン朝によって滅ぼされ、以降500年間に及びトルコに支配されることになる・・・。
だからこそブルガリアには数多くの民族による遺跡が残されているのだが、残念ながらこのヴェリコ・タルノヴォにあった丘の上の宮殿は、オスマン朝との戦いによって完全に破壊されてしまった。丘を歩いているとその規模の大きさに驚かされる。谷にはヤントラ川が流れ、周囲には深い山々。その地の良さを利用した、最高の城塞だったに違いない。
歴史に"IF"は禁物だけど、この丘全体が宮殿だったとは!
もし現存していたら、さぞかし壮麗なものだっただろうと思う。
どのような人々が暮らしていたのだろう。どのような装飾がなされていたのだろう。
そう想像しながら歩いていると、何て残念な・・・、と思わざるを得ない。
谷から吹く風が心地よかったので、丘のてっぺんにある大主教区教会で一休みしていると、日本人のグループがやってきた。カトリック教会のとあるグループで、今回はブルガリアとルーマニアの教会を巡っているのだという。
たくさんの方が優しく声をかけてくれたが、中でもグループ率いる神父さんがとても気にしてくださった。彼も昔、三ヶ月間ヨーロッパを放浪したことがあるのだという。
「あのときの寂しさを思うと声をかけずにはいられない」と言い、自分たちのグループに昼食まで合流しないかとまで言ってくださったのだが、そっと断った。そのツアーは私も良く知っている旅行会社のツアーで、同業者の私などが一緒に歩いているだけで、添乗員さんも気が気ではないだろうから。
「あの時のつらさも忘れがたいけど、親切にされたことも忘れがたい。三ヶ月やり終えたら人生が変わるよ。がんばれ!」と背中を押してくださり、その暖かい言葉に胸が痛くなった。チェコを出て以来、およそ1ヶ月ぶりの日本語、日本人。そのみなさんが、別れ際に手を振って応援してくれたことを、私は忘れないだろう。
一瞬の出会いに過ぎなかったのに、応援してくれてありがとう!!
ブルガリア
2005年07月06日 10:56
yoshii
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