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持ってきていた全ての靴下に穴があいた。
この三ヶ月の旅で使用していたのは三足の靴下。
ということは、一足あたり一ヶ月はいてたことになる。
(靴下の耐久日数は30日間のようだ。)
Tシャツも三枚。
一枚はお気に入りのトロント・メイプルリーブス(アイスホッケーのチーム)のシャツだが、
これも大分首周りがくたびれてきた。
黒のTシャツはあちこちほころび、何度か旅の途中で縫い合わせた。
ジーンズは一本持ってきていたが、お気に入りの大切な一本だったのに、
使い方が荒いせいか色が落ち、裾がすり切れてきたので途中で帰国させ、
母に別のジーンズを合流させてもらった。
三ヶ月間がんばってくれたThe North Faceの靴は、あちこちがすり切れみじめな姿。
常に持ち歩いたPorterのショルダーバック(兼ナップサック)も、元の色はベージュだったが、
現在はグレーがかって別物に(涙)。
ブログアップには欠かせないノートPC・ピラルク(パソコンの名前)は、最後までがんばってくれた。
昨日ダイヤルアップが出来ず、ついに最終日を目前にモデムが壊れてしまったか・・・、
と思っていたが、電話線の方が切れていたことに気づいた。
パソコンではなく、携帯していた電話線が最後の最後に息絶えたのだった。
みんな、今までよく頑張ってくれた。
一緒に三ヶ月間を過ごしてきたこれらのモノたちは、私にとっては戦友とも言える。
その中でも一番の戦友と、今日別れを告げた。
デジカメのロッサだ。
エジプトバザールの近辺は日曜日だった為に非常に混雑していた。
すられたら大変、とバックにロックをし、次はデジカメ・・・、と思っていた瞬間だった。
デジカメの入ったケースに気が集中していたのに、あっという間にすられてしまった。
抜かれた瞬間に気づいていたにも関わらず、それを防げなかったのだ。
今の今まで、こんなことは一度もなかったのが密かな私の自慢だったのに。
やっぱり最終日だから気が抜けていたのか・・・。
ロッサが無くなった時点で終わったであろうこの企画。
ロッサを失ったのが最終日だったことは不幸中の幸いとも言える。
盗まれたことがショックと言うより、あの子と一緒に帰れなかったことが悲しい。
今の今までがんばってくれたのに、最終日で私はあの子を失ってしまった。
盗んだ人がロッサを大切に使ってくれるならまだいいけど、充電も出来ずに捨てられるのが
オチだろう。ロッサが無造作に捨てられ、雨に濡れて錆びていく様子を想像するだけで、
ロッサに申し訳なくて泣けてくる。
あーあ。自分の不注意のせいだけど・・・。
家に帰るその瞬間まで旅は続いている。
まだまだ気を抜いてはいけませんよと、ロッサに身をもって言われた気がした。
今回の旅、本当に勉強することばかりだ。
ロッサをはじめ、今回の旅で一緒にボロボロになってきた仲間たち、どうもありがとう!
明日はいよいよ帰国。最後まで気を抜かず、誰も欠けることなく日本に帰ろうね。
トルコ
2005年07月11日 12:01
ブルガリアの首都・ソフィアで、列車がもうすぐ出るというのにまだ迷っていた。
ソフィアから19:00のバスでマケドニアへ行くか?
それともイスタンブールへ19:15の列車で向かうか?
昨日からずっと迷っていたことだけど、直前になっても答えが出ない。
マケドニアのオフリド行きのバスは朝の5時到着。
うーん、今日だけですでにバスに4時間以上乗っているのにきついなぁ・・・。
考えている内にだんだんそう思えてきて、結局イスタンブール行きのチケットを買いに走った。
ところが、列車は何と6時間遅れての到着。ヘトヘトになりながら、夜中の1時に列車に乗り込むハメになってしまった。
懐かしいイスタンブールに到着したのは既に夕方。
駅を降りると、今までのどの国とも違う、独特の熱気に満ちていた。
遠くのモスクからコーランを詠唱する声が聞こえる。
ボスフォラス海峡からは船の汽笛が聞こえる。
三ヶ月に及ぶ旅は、このイスタンブールで終わりを迎える。
イスタンブールは私にとって非常に感慨深い場所だ。
初めての海外旅行がこのトルコで、初めて飛行機から降り立った外国がこのイスタンブールだった。霞がかったマルマラ海、街のあちこちから延びるミナレット。行き交う人々も、そのざわめきも、何もかもが珍しくて感動したものだ。
旅行会社で働くようになって、"旅"がただの商品となり、旅に対する感動が薄れたときは、いつもこの時の感動を思い出すようにしていた。イスタンブールは、だから、私の旅の原点のようなものだ。
その原点に、再びこんな気持ちでこの地に経つことになろうとは。
どこを歩いても、何を見ても、初めてこの地を訪れたあのときから今までの10年間を振り返ってしまう。10年前の私には、今の私は全く想像できなかった。そして同じように、今の私に10年後の自分は全く想像できない。
再びこの地に立つとき、私は一体どんな私になっているのだろう。
過去と現代が交錯するイスタンブールは、こんな物思いに耽るのにぴったりな都市。
旅の終わりに、このイスタンブールを選んだのは正解だった。
トルコ
2005年07月11日 11:41
イロイロな事情により(私のサイト内・旅の記録で詳細は発表予定)、急遽予定していたリキュアの遺跡(クサントス・レトゥーン)行きをカット、ダラマン空港から一路マルマリスへと向かった私。
手違いで、バス代と朝食代だけで両替したお金をほとんど使い果たしてしまい、手元にはたったの2トルコリラ!マルマリスのバス停に降ろされたものの、ここから先どうしたら街へ行けるのか分からず途方に暮れていると、親切なおじさんがバスに乗せてくれ、おまけに「10ドルくらいでホテルを探している」という私の願いを叶えるべく、ホテルに交渉までしてくれ大助かり。ただの通りすがりの人だったのに、トルコ人は本当に親切だ。
ロドス島へのフェリーチケットを買おうと、港をうろうろしていたら、「今マルマリス湾内のショートクルーズが出発するよ」と声をかけられ、うっかりそれにジョインしてしまった。
マルマリスは日本人にはまったくなじみがないが、実は欧米客がシーズンにもなると直行便でやってくる、風光明媚なリゾート地なのだ。クルーズには英国やフィンランド、オーストラリアからきた欧米人が参加しており、アジア人は只一人、私だけだった。
クルーズのスタッフもみんな親切だったけど、傑作だったのはマルマリス旧市街にあるレストランの支配人。クルド人だというムハンマドの故郷はイラクに面した土地で、一族は広大な土地で農業をしているのだという。
「Life is beautiful!!」が彼の口癖で、自分と結婚したらいかに幸せになるかを語られた(^^
クルド人の彼が「Life is beautiful !!」を口にするまでは、数々の困難があっただろうけど、
それを想像もさせない明るい笑顔が印象的だった。
トルコ
2005年04月13日 18:38
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