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何でもランキング★大発表!!(6月23日/出発から73日目) [ルーマニア]

今日はこれまでの2ヶ月に渡る旅を振り返ってみる。

というのも、今日は午後から結構雨が降っていて外に出られなかったので、張り切ってブログの原稿を書いたり写真を加工したりしたのにネットカフェがお休みだったのだ!!

これって結構がっくりなんだよねー。
だって、一生懸命書いたのにアップ出来ないんですよぅぅぅ。
この先の旅情報も手に入れたかったのにぃぃぃ。

とうだうだしてみたがどうしようもない。
寝るには時間が早いので、今回の旅をちょっと振り返ってみることにした。

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1.最も心に残っている所
デルフィ(ギリシア)とアッシジ(イタリア)。どちらも神に祈りを捧げる聖地。
町が非常にこぢんまりとしていて、どちらも散策しやすく過ごしやすかった。歩いているだけでも心が静まる、そんな場所。

3.最もおいしかった所
シチリアの屋台。アーティチョークの丸焼きは絶品だし、パンに挟んでくれた巨大なステーキもジューシー。そして格安(これポイント)!!

4.最もすばらしかった文化遺産
うーん、これは難しいなぁ。プラハ(チェコ)の旧市街の町並み、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿、ロドス島(ギリシア)の城塞、メテオラ(ギリシア)の修道院群あたりでしょうか。

5.最もすばらしかった自然遺産
プリトヴィッツェ湖群国立公園(クロアチア)。あの美しい湖水は忘れられない。
2日あれば充分に散策できる広さも魅力。足下を流れる清流に、心洗われた。

6.最もお気に入りの国
総合的にスロヴェニア。豊かな自然、かわいらしい街々に、美しい海とすばらしい文化・自然遺産。バランスが取れていてパーフェクト。食事もおいしい。

7.最も大変だったこと
ギリシアのメテオラからイタリアのバーリまでの移動。大変なことはあまりブログには書かないようにしているんだけど、この時ばかりは書いてしまいました・・・。

8.最もがっかりなこと
シチリア島で、一番楽しみにしていたモツィア遺跡に行けなかったこと!私がいたトラパーニから車で30分もあればついたのに、交通の便が非常に悪かった為、行けなかった。

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とりあえず、こんな所でしょうか。

残すところあと3週間。これらを越えるすばらしいことに出会えることを期待しつつ、この貴重な旅を楽しもうと思う。
authoryoshii  linkLink   
categoryルーマニア  time2005年06月26日 21:32

ラテンなルーマニア人。(6月22日/出発から72日目) [ルーマニア]

今のいままで、”ルーマニア人”と接触する機会は全くなかった。
仕事柄、世界中の人と話すチャンスがあったし、実際たくさんの国の人と出会ったけれど、その中にルーマニア人は一人もいなかったのだ。

だから、私の中にあったイメージはかなり貧弱なモノで、ルーマニアといえばドラキュラ、なんとなく靄がかかったような薄暗いお城。あるいは、チャウシェスクによる恐怖政治。こちらはほんの15年ほど前の出来事だから、記憶にも新しい。

ハンガリーからルーマニアへ向かう列車では、一人の青年と同室だった。
ヨーロッパの列車では男女の区別なくキャビンが用意される(簡易寝台)。
だから、女の子一人とおじさん5人ということもあるし、逆に女の子4人に男の子一人ということも。今回はスキンヘッドの男性と相部屋だった、というわけだ。

見た目はちょっと怖いがとても親切だった彼は、ルーマニアに生まれたが米国へ移民として渡ったのだという。今回は12の時にルーマニアを出て以来、実に13年ぶりの帰国。恐怖政治を強いられ最も貧しかった頃に、彼の両親は国を出る覚悟を決めたのだろう。

ルーマニア出身の著名人は誰だったかと調べたところ、体操選手のコマネチがいた。当時すでにオリンピックの金メダリストだった彼女は、1989年にルーマニアを脱出、アメリカに亡命している。

非常に厳しい時代を生き抜いてきて、今のルーマニアがあるのだ。

アメリカに移民してからの生活も、彼らにとって決して楽ではなかったはずだ。
だから、今回の祖国への帰国には、様々な思いが去来していることだろう。

「ほら、街があるけど、ほとんど廃墟でしょ。あれは人々がみんな他の国へ逃げて、まだ戻ってきていないんだよ」と、彼は指さす。

経済状態は今なお深刻。EU正式加入を目標にがんばっているが問題は山積みだ。
ルーマニアに入った途端、駅に止まると物乞いがやってくる。
これまでの国々にはなかったことだ。

しかし、以外だが人々は明るい!
というのも、中欧唯一のラテン民族で、「スラブ人とはワケが違う(ルーマニア人談)」そうなのだ。「踊るの大好き、歌うの大好き」で、女の子を見ると話しかけずにはいられないらしい!

「特に日本人は大好きで、男の子たちはじっと君を見つめるかも知れないが怖がらないで。単に興味があるだけで悪気はないんだ!」とは、宿を世話してくれたギギさん。

ルーマニアにしろ、トルコにしろ、日露戦争で大国ロシアをちっぽけな日本が負かした、というイメージが未だに強い(巷ではそう言われている)のか、日本に対して親近感を持ってくれている。

レストランで食事をしていると、ウェイターが「日本から来たのか!あー、もっと時間があれば、町中を案内したのに・・・!」と、こうである。イタリア人やスペイン人のように馴れ馴れしくない(失礼!でもすぐ手を握るしね・・・)、ちょっとシャイだけど一人でいる女の子をほおっておけない、そんな人々なのだ。

女の子たちのファッションや化粧、髪の毛の染めかたなどは、ウクライナ人を彷彿させる。私は長年ウクライナ人と一緒に船上で働いてきたので、そんな彼らには親しみがわく。
ラテンだけど、トルコやロシアといった、全く別の文化が混ざり合っているカンジだ。そうルーマニア人に言ったら「そんなことはない!」と言っていたけど・・・。

やっぱり直接人々と話してみないとその国のことは分からない。
今までのイメージと違ったものを発見することに、旅の醍醐味はあるのだ。
authoryoshii  linkLink   
categoryルーマニア  time2005年06月26日 21:28

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