ルーマニア
ラテンなルーマニア人。(6月22日/出発から72日目)
今のいままで、”ルーマニア人”と接触する機会は全くなかった。
仕事柄、世界中の人と話すチャンスがあったし、実際たくさんの国の人と出会ったけれど、その中にルーマニア人は一人もいなかったのだ。
だから、私の中にあったイメージはかなり貧弱なモノで、ルーマニアといえばドラキュラ、なんとなく靄がかかったような薄暗いお城。あるいは、チャウシェスクによる恐怖政治。こちらはほんの15年ほど前の出来事だから、記憶にも新しい。
ハンガリーからルーマニアへ向かう列車では、一人の青年と同室だった。
ヨーロッパの列車では男女の区別なくキャビンが用意される(簡易寝台)。
だから、女の子一人とおじさん5人ということもあるし、逆に女の子4人に男の子一人ということも。今回はスキンヘッドの男性と相部屋だった、というわけだ。
見た目はちょっと怖いがとても親切だった彼は、ルーマニアに生まれたが米国へ移民として渡ったのだという。今回は12の時にルーマニアを出て以来、実に13年ぶりの帰国。恐怖政治を強いられ最も貧しかった頃に、彼の両親は国を出る覚悟を決めたのだろう。
ルーマニア出身の著名人は誰だったかと調べたところ、体操選手のコマネチがいた。当時すでにオリンピックの金メダリストだった彼女は、1989年にルーマニアを脱出、アメリカに亡命している。
非常に厳しい時代を生き抜いてきて、今のルーマニアがあるのだ。
アメリカに移民してからの生活も、彼らにとって決して楽ではなかったはずだ。
だから、今回の祖国への帰国には、様々な思いが去来していることだろう。
「ほら、街があるけど、ほとんど廃墟でしょ。あれは人々がみんな他の国へ逃げて、まだ戻ってきていないんだよ」と、彼は指さす。
経済状態は今なお深刻。EU正式加入を目標にがんばっているが問題は山積みだ。
ルーマニアに入った途端、駅に止まると物乞いがやってくる。
これまでの国々にはなかったことだ。
しかし、以外だが人々は明るい!
というのも、中欧唯一のラテン民族で、「スラブ人とはワケが違う(ルーマニア人談)」そうなのだ。「踊るの大好き、歌うの大好き」で、女の子を見ると話しかけずにはいられないらしい!
「特に日本人は大好きで、男の子たちはじっと君を見つめるかも知れないが怖がらないで。単に興味があるだけで悪気はないんだ!」とは、宿を世話してくれたギギさん。
ルーマニアにしろ、トルコにしろ、日露戦争で大国ロシアをちっぽけな日本が負かした、というイメージが未だに強い(巷ではそう言われている)のか、日本に対して親近感を持ってくれている。
レストランで食事をしていると、ウェイターが「日本から来たのか!あー、もっと時間があれば、町中を案内したのに・・・!」と、こうである。イタリア人やスペイン人のように馴れ馴れしくない(失礼!でもすぐ手を握るしね・・・)、ちょっとシャイだけど一人でいる女の子をほおっておけない、そんな人々なのだ。
女の子たちのファッションや化粧、髪の毛の染めかたなどは、ウクライナ人を彷彿させる。私は長年ウクライナ人と一緒に船上で働いてきたので、そんな彼らには親しみがわく。
ラテンだけど、トルコやロシアといった、全く別の文化が混ざり合っているカンジだ。そうルーマニア人に言ったら「そんなことはない!」と言っていたけど・・・。
やっぱり直接人々と話してみないとその国のことは分からない。
今までのイメージと違ったものを発見することに、旅の醍醐味はあるのだ。
ルーマニア
2005年06月26日 21:28
yoshii
|