イタリア
アドリア海の女王、「ヴェネツィア」。(5月25日/出発から44日目)
ついにヴェネツィアにやって来た!!
私の長年の憧れの地、そしてイタリアで最も思い入れのある都市がこのヴェネツィアだ。
ヴェネツィアはご存じのように海の潟にぽっかりと浮かび、街には縦横無尽に大小の運河が作られている海の都。何と117の島、177の運河、そして400もの橋で成り立っているのだという。
ヴェネツィア共和国が「アドリア海の女王」とヨーロッパ中にその名を馳せたルネサンス期には、イスラーム世界との貿易によって大いに栄え、その海軍力と富とで地中海世界に君臨。その領土は遠くクレタ島・キプロス島にまで及び、天才的な政治手腕によってイスラーム世界との均衡を長年保ってきた。
ルネサンスに栄えたもうひとつの都市国家・フィレンツェとは対照的に、社会を組織化する能力に非常に長け、独自の政治システムを設けて約1000年に渡り繁栄した大都市国家だったのだ。
ヴェネツィアの政治・経済の中心地だったのが、サン・マルコ広場にあるドゥカーレ宮殿。貴族の子弟には成人になると国会議員の資格が与えられ、その中から実務担当の元老院議員100人が選ばれるのが当時の政治システム。終身制の総督(ドージェ)以外は全て1~2年の任期で交替し、権力の集中を防いだという。
その、ドゥカーレ宮殿へ行って来た。
す、すごい・・・!!!
その豪華なことといったら、ちょっと他の宮殿では見られない!!
豪華さが、ちょっと他の都市に比べて異質だ。
圧巻は国会議員たちが集ったという「大評議の間」だが、その大分手前にある謁見の間や地図の間も見逃せない。
こんな謁見の間に通されたら、どんな国の大使だって度肝を抜かれたに違いない。
その待合室さえも実に見事!!!
地図の間にはさすが海運国家というだけあって、あらゆる国と地域の当時の地図が、部屋一杯に描かれている。
この宮殿で、当時のヴェネツィアは抜け目なく国の方針を決定していたのだ。
そしてその見事な政治体制で長年繁栄し続けた・・・。
夕日に沈むヴェネツィアを眺めながら、この地で生きた男たちを思う。
日頃は冷静沈着、計算高いヴェネツィア貴族たちが、カーニバルの日だけは仮面で素顔を隠して憂さを晴らしたのだろうかと想像すると、思わず笑いがこみ上げてきた。
ドゥカーレ宮殿は本当に素晴らしかったです。
ティントレットの壁画が見ごたえがありました。
サン・ロッコ大信徒会にティントレットの作品がたっぷりあって大満足でした。
二月の寒いときでしたが、ちょうどカーニバルの時で想い出に残る旅行ができました。
マオさんも気をつけて旅行を続けてください。
2005年05月28日
22:31
ありがとうございます!!おかげさまで無事、スロヴェニア、クロアチアと国境を越えて、今日はクロアチアのプリトヴィッツェ国立公園という、全てが絵のような美しい世界遺産へと来ております!!(報告はまた明日・・・)
それにしてもドゥカーレ宮殿はすごいですね!!こんな宮殿、他でちょっと見たことがありません。ヴェネツィアで一番印象に残った場所となりました。冬のヴェネツィアもステキでしょうね、全く表情が違って・・・。
2005年05月30日
07:51
ヴェネツィア・・・私もその昔行きました。宮殿ももちろん、見て感動の雨嵐って感じでしたよ。ただ、鳩が異常に多くて、歩くのが大変だった記憶が・・・
2005年05月30日
12:27
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ティントレットの壁画が見ごたえがありました。
サン・ロッコ大信徒会にティントレットの作品がたっぷりあって大満足でした。
二月の寒いときでしたが、ちょうどカーニバルの時で想い出に残る旅行ができました。
マオさんも気をつけて旅行を続けてください。