リラの僧院はブルガリアが誇る世界遺産で、日本のグループツアーなら必ず寄るメインの観光地だ。それなのに、ここへ行くまでの道のりを確認するだけで、前日3時間を費やした。
ある人は「中央駅のバスターミナルから出てる」というし、宿泊したホステルのお姉さんは「朝早くに直通バスが、町はずれのバスターミナルから出ている」という。
仕方がないので双方のバスターミナルに行って確認(ちなみに双方は片道30分以上離れている)。
ホステルに宿泊しているような人なら、誰でも同じ質問をすると思うのだが、それでも「分からないけど多分ある」というブルガリア人・・・。バスの発着所も、時間さえも決まっているのに・・・。
正解は南西にある「オフチャ・クペル・バスターミナル」から10:20の出発。終点のリラ村まで行き、
そこから12:40のバスでリラの僧院へ行くことになる。オフチャ・クペル・バスターミナルへは、
中央バスターミナルから19番のトロリーバスを利用。
たった3行のインフォメーションを集めるのに3時間。
いやはや、観光するのも一苦労・・・。
閑話休題。
先日、ヴェリコ・タルノヴォで出会った日本人グループの方たちが、「リラの僧院はとても良かったけど、観光客が多すぎて想像していたものと違い、ちょっとがっかりだった」「泊まらないとリラの僧院の雰囲気は味わえない」とおっしゃっていたので、泊まることにした。
リラ村に到着したのは13時過ぎ。月曜日のせいか、観光客はあまりいない。団体は一組もなかったからか、僧院内は非常にひっそりとしており、怖いくらいだ。
宿泊したい旨を告げてチェックインしたが、宿泊者名簿には私一人!こ、こんなところでヒトリボッチ!?お坊さんたちも泊まるんでしょうね??お化け出ないよね??本当に一人だったらどうしよう・・・。と不安が募る。
15:00にソフィア行きの直行バスが出て、それに大方の観光客は乗って去ってしまった。夕方になるとさらに人が減ってゆき、本当に寂しくなってきたが、隣の隣に一組の家族が泊まることが分かり、ほっとする。良かった~。(結構本気で怖かった)
夜のリラの僧院は、水の音しかせず、本当に静かで厳かな雰囲気に包まれていた。
朝のリラの僧院は、信者さんたちが次々とやってきて結構賑やかだ。
宿泊者が私以外にいることが分かってからは、たっぷりとその雰囲気を楽しんだリラの僧院。結果的にはすばらしいリラの僧院滞在になった。ただし、僧院以外は本当に何もないので、夜の孤独に耐えられない人は宿泊をやめた方がいいかもしれない。
サイトの更新がままならない、ルーマニアとブルガリア。
インターネットカフェを探すのに四苦八苦している。もっと普及しているのかと思ったのだけど・・・。
ルーマニアはそれでも、シナイアやブラショフでアクセスできたから良かったが、ブルガリアでは皆無!!首都ソフィアをさんざん歩き回って探したが、全く見つからない。
仕方がないので、電話回線付きのホテルに泊まったが、セットアップしてから気が付いた、アクセスポイントがないことに・・・。
大抵海外から自分のプロバイダーを経由してアクセスする場合に、そのプロバイダーが契約している海外アクセスポイントにつなぐことになる(海外ローミングサービス)。そのアクセスポイントを提供してくれるのが、GRICとiPass(GoRemote社、ipass社)。このおかげで世界150カ国でアクセスできるというスグレモノ!
なぜかGRICは今まで一度もつながったことがなく、iPassをいつも利用している。たぶん設定が悪いんだろうけど、iPassで全く問題ないので気にしていなかった。
ところが、そのiPassのリストにブルガリアがない!!!
セルビア・モンテネグロがあるのに??
ブルガリアは世界150ヶ国にもれているんだろうか・・・??
GRICには一応、ソフィアのアクセスポイントが存在するが、やっぱり何度やってもつながらない。この分では最悪、トルコへ行ってからのアップになりそう・・・。
そんなわけで、ブログの更新も大幅に遅れております。
イチオウ、日々書いてはいるんですけどね!
ゴールまでついにあと一週間。
このヒトリゴト日記が、帰国までにアップ出来れば良いのだけれど・・・。
ヴェリコ・タルノヴォは第二次ブルガリア王国に首都が置かれた古い街だ。
街の東にあるツァレヴェッツェの丘には、かつて大きな宮殿があったという。
ブルガリアの歴史は非常に古い。
先日もトラキア人について触れたが、その後は紀元前にギリシア、マケドニアによって入植され、さらに彼らの後に台頭してきたローマ帝国によって支配される。ローマが東西に分裂した後はヴィザンツ帝国の領土となるが、ブルガリア人がヴィザンツを破り第一次ブルガリア王国を建設。
300年後にはヴィザンツ帝国によって滅ぼされるが、その100年後には再び第二次ブルガリア王国が建国される。しかし14世紀の終わりにはオスマン朝によって滅ぼされ、以降500年間に及びトルコに支配されることになる・・・。
だからこそブルガリアには数多くの民族による遺跡が残されているのだが、残念ながらこのヴェリコ・タルノヴォにあった丘の上の宮殿は、オスマン朝との戦いによって完全に破壊されてしまった。丘を歩いているとその規模の大きさに驚かされる。谷にはヤントラ川が流れ、周囲には深い山々。その地の良さを利用した、最高の城塞だったに違いない。
歴史に"IF"は禁物だけど、この丘全体が宮殿だったとは!
もし現存していたら、さぞかし壮麗なものだっただろうと思う。
どのような人々が暮らしていたのだろう。どのような装飾がなされていたのだろう。
そう想像しながら歩いていると、何て残念な・・・、と思わざるを得ない。
谷から吹く風が心地よかったので、丘のてっぺんにある大主教区教会で一休みしていると、日本人のグループがやってきた。カトリック教会のとあるグループで、今回はブルガリアとルーマニアの教会を巡っているのだという。
たくさんの方が優しく声をかけてくれたが、中でもグループ率いる神父さんがとても気にしてくださった。彼も昔、三ヶ月間ヨーロッパを放浪したことがあるのだという。
「あのときの寂しさを思うと声をかけずにはいられない」と言い、自分たちのグループに昼食まで合流しないかとまで言ってくださったのだが、そっと断った。そのツアーは私も良く知っている旅行会社のツアーで、同業者の私などが一緒に歩いているだけで、添乗員さんも気が気ではないだろうから。
「あの時のつらさも忘れがたいけど、親切にされたことも忘れがたい。三ヶ月やり終えたら人生が変わるよ。がんばれ!」と背中を押してくださり、その暖かい言葉に胸が痛くなった。チェコを出て以来、およそ1ヶ月ぶりの日本語、日本人。そのみなさんが、別れ際に手を振って応援してくれたことを、私は忘れないだろう。
一瞬の出会いに過ぎなかったのに、応援してくれてありがとう!!
ネセバルという、美しい遺跡の町があるらしいから行ってみたい、というようなことを話していたら、ヴァルナ行きのバスを運転していたおじさんが、「それならヴァルナから直通で出ているよ」と教えてくれた。
次の目的地は決まった。ネセバルだ!
ネセバルは3000年もの歴史を持つ古代都市。ユネスコの世界遺産に登録されているということくらいしか知識はなかったが、行ってみることにした。
ホテルが意外に居心地がよく、町からのアクセスもそんなに悪くないので、ネセバルへは日帰りで行くことにした。この暑い中、なんの情報もないネセバルで、荷物を担いでホテル探しをする気力はなかった。またまた途方に暮れるのは目に見えていたからだ・・。
ネセバル行きのバスは、中心地から市バスで5分くらいのところにあった。
日本だと、バス停は大抵駅前にあるので大変便利なモノだが、ヨーロッパではほぼ間違いなく町の外れに鉄道駅やらバス停やらが点在しているので、目的のバスを探すまでがやっかいだ。情報を元にようやくそのバス停へ行ったのに、実は違ってました・・・、ということもしばしばある。
バスを二本乗り継ぎ、ようやくバスステーションに到着したが、ブルガリアで使われているキリル文字は判読が非常に難しく、ネセバルの文字が探せない。近くのバスドライバーに「ネセバルへ行きたいのだけど、どのバス?」とジェスチャーで聞いてみる。
すると、「ネセバル行きは出てないよ。ブルガスへいかなきゃ」と言うではないか!またガセネタだったよ!!とがっくりしつつ、ブルガス行きのバスを探そうと切符売り場へ行くと、「ネセバル行きは20分後に出るよ」とおばさんが無愛想に教えてくれた。なんだ、やっぱりあるじゃん~、と一安心。
ネセバルへは2時間弱で到着した。ヴァルナから約100kmの道のりだが、ルーマニアにはなかった冷房車で快適だった。ブルガリア人は親切な人が多く、英語が出来る人は積極的に話しかけてくれる。「どこへ行くんだ、困ったことはないか」・・・、これは久しくなかったことだ。
ルーマニアでは、確かに親切な人が何人もいた。しかし人によってはあとからお金を要求してきたりと嫌な目にあったこともあったので、うかうか親切に甘んじられないという現実の厳しさもあったのだ。
ネセバルの旧市街はほとんど島のようで、細い道で陸地とつながっている。
世界最古の黄金文明を築いたというトラキア人によって作られ古代から繁栄してきたが、その交易上・戦略上の重要性から、ギリシア、ローマ、ビザンツィン、ブルガリア、そしてトルコと多くの民族に支配されてきた。2時間もあれば全て見て回れるような小さな島だが、その中にはその時代の支配者による建造物がたくさん詰まっている。
街には一階は石造り、二階は木造という、昔ながらの独特な家が建ち並ぶ。その大部分がホテルやお土産屋、そしてレストランとなっており、その家々の間に、ローマ時代、ビザンツィン時代の建造物が顔を出す。個性的な装飾がなされた14世紀の教会には緑色の陶磁器が埋め込んであり、なかなか見事だ。多くの民族に支配された割には保存状態もとてもいい。(詳細は写真集のページで!)
ネセバルからヴァルナへの最終バスは18:00発。
お昼は海辺のレストランでブルガリア料理を、午後はぶらぶらと街をお散歩。
夕方はバス停の前のレストランで、絵はがきを書きながら一休憩。
充実した一日だった。
ブルガリアのヴァルナに何とか到着した。
トゥルチャからおよそ11時間に及ぶ長旅を経て・・・。
ルーマニアで出会ったギギさんの情報だけを頼りに、クリスチャンからトゥルチャ、トゥルチャからコンスタンツァ、コンスタンツァから国境を越えてヴァルナへ。
ドナウデルタの小さな村、クリスチャンからトゥルチャへはフェリーでの移動。行きは高速船で2時間弱だったのに、帰りはドナウ川を遡ることもあって3時間強かかった。
昼過ぎに到着し、トゥルチャでコンスタンツァ行きのバスのチケットを買おうとするが、レイ(現地通貨)が足りない!ユーロもドルもダメ、何件かお店に走り、外貨で買い物をしてお釣りを現地通貨でもらおうと試みるが、これもダメ!出発5分前、ようやくATMを見つけ現地通貨を引き出し、何とかチケットを購入。(この時点で既に体力を使い果たしたカンジだ。)
バスに揺られること2時間で次の町・コンスタンツァへ到着。コンスタンツァは思ったよりもずっと大きな街で、到着したバスステーションから次のバス、ブルガリアのヴァルナ行きを探すのが大変だった。
いろんな人が親切に助けてくれるが、全部情報が違う・・・(ありがち!)。最終的にこのバスステーションではなく、鉄道駅の前から出ていることが判明し、そこまで市バスで移動する。この市バスでまた一苦労。バス停のおばさんが教えてくれたバスが反対方向だったこともあって、この間の乗り継ぎだけで一時間かかる・・・。
何とかヴァルナ行きのバスを取り扱っている会社を見つけ、「ヴァルナ行きのバスに乗りたいんですが」と声をかける。すると「次は明日だね」とのお答え!ひぇ~、やっぱりそんなにうまくいかないか・・・と思っていると、別の女性が「あら、イスタンブール行きのバスが寄るわよ」と言ってくれた。
ラッキーなことに15分後に出発するという。朝食以来何も食べていないので、バス停付近で食料を用意し、バスに乗り込む。ここからヴァルナまでは5時間、到着は夜8時過ぎ。何とか日のあるうちに到着できそうだった。
このバスはルーマニアからブルガリア、そしてトルコ国境を越える国際線なのだ。
バスの中はすでにブルガリアを通り越して、トルコの香りがぷんぷんと漂っていた。
バスは見事なほど満席。15分前でチケットが買えたのがウソのようだ。隣にはルーマニアで働いているというイタリア人が座った。彼もヴァルナで降りるのだという。英語を話すので非常に助かった。
日本に電話をしたくてテレカを二枚も買って用意していたのに、あまりに移動が多くてそのヒマがなかったが、気が付いたらすでに国境。まずい!またテレカが無駄になる・・・、と思い、バスが国境を越える手続きをしている間に電話をしてしまおうと、電話ボックスに走る。「よしよし・・・」とテレカをさし、のんきに電話をかけ始めると、何とバスがみんなを乗せて国境を渡ってしまった!!
「ちょっと待って~、私がいるのよ!!」
と慌てて走ってゲートを通過。大丈夫、大丈夫と、国境の警備員たちが笑ってる。
さっきまで他の人たちもタバコを吸ったりして外に出ていたのに、いつのまにバスに乗り込んだんだろう??
国境エリアではルーマニア・ブルガリア側と、手続きで一時間以上かかった。
そこからバスで2時間、ようやくヴァルナに到着した。
ヴァルナに関する情報が全くないので、隣の席に座っていたイタリア人からいろいろと情報を入手。ヴァルナはブルガリア1の黒海沿岸リゾート、ホテルなどはたくさんあるらしい。
でも到着して分かったけど、リゾートホテルは当然海沿い、町中にはあまりない。ゴールデンサンドというリゾートエリアまで車で30分かかるという。それは困ったな・・・、と途方にくれていると、彼が親切にも、彼の友人のブルガリア人に、電話で適当なホテルを聞いてくれて、私をタクシーでホテルまで送ってくれた。
何て親切なイタリア人・・・!!
シチリア出身だという彼に、何の仕事でルーマニアやブルガリアを移動するのかと聞きたかったが、ちょっとヤバメなカンジ(電話の内容とか荷物とか・・)がしたので、敢えてその話題には触れなかった。
ホテルは町からかなり離れていたが、三つ星のきれいなホテル。ルーマニアでは全く縁のなかった近代的でクリーンなホテルだった。夕食をとる気力がなかったので、母が持ってきてくれたフリーズドライのおかゆを作って食べる。
あー、とにもかくにも、無事ブルガリア最初の夜を迎えることが出来た。
今日もまぁ、ハラハラさせられる一日だったけど、ラッキーな一日だったともいえるだろう。日本まであと2週間。明日は何が待っているのだろう・・・。
|