今日は書くことがいっぱいあって困っちゃうな~。
午後はヨーロッパ最大のエトナ火山を見に行く予定なので、午前中は散歩して、その後こうして原稿を書いているだけなのだけど。
今宿泊しているユースのスタッフは、
誰も彼もが本当に優しくて親切。
ぜひバックパッカーにオススメしたいので、詳細をご期待下さい!
今し方サイトの更新のためパソコンに向かっていたら、「時間があったら僕の漢字を教えて欲しい」という。漢字で当て字を作り、それをタトゥーにするのだそうだ。彼の名は「フランチェスコ」。
えー、これを当て字!?超難しい・・・。しかし、彼の目は期待にキラキラとしているので断れない。いろいろ漢字を出して当て字を作成してみた。
「富蘭茶守鼓」。何だか見ているだけで笑いがこみ上げてくるのだが、私なりの精一杯の名前。チェなんて漢字、無いんだよね~。"腐乱""不乱"もまずいし。。紙に書いてあげると、非常に嬉しそう。これが彼のタトゥーになるのかと思うと、責任の重さを感じちゃう。
これを見ていたもう一人のスタッフ、サンティナ(女の子)も当て字を作って欲しいという。「珊手奈」。これが私の精一杯の当て字。私ってセンスないなぁと、苦笑しながら紙を渡すと何度もお礼を言われた。いやぁ~、こんなんでいいのかなぁ・・・。
シチリアで、こんなタトゥーを見かけた方。命名したのはわたしです・・・。
センスなくって、ごめんね(^^
イタリア
2005年04月28日 13:40
シチリアの朝は活気で溢れている。
私の宿泊しているユースホステルのすぐ裏に、魚や野菜、肉を売っている市場(メルカート)があり、昨日写真のページでご紹介したカターニアの美しい町並みとは全く異なった世界が広がっている。
日本人心がうずいてしまうのは、やっぱり魚市場!何たって新鮮、水揚げされたばかりのウニやマグロ、タコやイカが並び、伊勢エビやシャコはピチピチとはねていて、どれも本当においしそう。あんまりおいしそうだったので、じろじろ見ていると、ウニ売りのお兄さんが試食させてくれた。
う、うまい~!!!日本のウニと違ってかなりこぶりだが、直接スプーンですくって食べさせてくれた。ああ、至福。。
これは自炊しかないな。これだけおいしそうな食材が並んでいるというのに買わない手はない。ホステルにはキッチンがあるので、作ることには何の不自由もない。ギリシアからずっと持ち歩いているタマネギとニンニクも使ってしまいたいし、カターニアでの滞在中は自分で作ることに決めた。
となると、さっそくお買い物だ!何を買おうかしらと歩いていると、陽気な魚屋のお兄さんに声をかけられた。エビをむいて、このまま食べろと言う。これがまた、おいしい~!生のエビをつまみぐいなんて、なんて幸せなのかしら。
続いて、小さなイワシも頭を取ってくれて食べろと言うのだった。イワシを生で市場でつまみぐい・・・。醤油を持ち歩くべきだった!なかなか想像していなかった光景だ。「生臭いだろうからコーヒーをごちそうしてあげる(イタリア語が全く分からないため想像ですが)」と、お兄さんが一杯おごるためにバールへ連れて行ってくれた。
お兄さんのお店で試食もさせて貰ったしと、エビとイカを買おうとしたら、「好きなだけ持ってけ!」という。何て気前がいい人たち・・・。他にも、レモン一個買おうとしたら「いいよ、あげる」とくれたり、「オレンジジュースでも飲む?」とコップにそそいでくれる人がいたり。
メルカート、なんていいところ!!
やさしくていい男たちであふれている、朝の市場。
チャンスがあったらぜひ、行ってみて欲しい!
イタリア
2005年04月28日 13:36
あーあ、やってしまった。。。
MP3プレイヤーを、駅のベンチに置いてきてしまったようだ。
ギリシアでは音楽を聴く気分ではなかったが、イタリアは数多くの作曲家を排出した、いわば音楽の都。さっそくレスピーギの「シシリアーノ」でも聴くかと、取り出したのがまずかったのだ。
私はモノへの感情移入が非常に激しい。
プレイヤーを失ったことで、旅の道連れをなくした気分だ。
ギリシアでは長袖のシャツをバス停で落としたことに気づかず、朝になって真っ青に探しに行った。見つけたときは旧友に会えたようで本当に嬉しかった。「おまえ、よく無事で!!」と再会を喜んだものだが、今回は置いてきてしまったのがイタリア本土。もう戻れない・・・。
あーあ、本当に残念。自分のまぬけさに腹が立つ。
昨夜からの夜行列車での移動、列車からおりて、フェリー乗り場までのバスでの移動、フェリーに乗って、カターニアへの移動、カターニアから中心街までの移動と、今回の移動は14時間にも及んだ。そのうち待ち時間だけで4時間・・・。そんなだから、頭がぼーっとしていたのだろう。
あーあ、これから音楽の聖地、オーストリアも待っているというのに・・・。
チャイコフスキーで癒された日々もこれで終わりか・・・。
そう考えると何だか悲しくなって、列車でふて寝。
車掌に起こされ、あわてて起きあがると、目の前にすばらしい光景が広がっていた。風光明媚なリゾート地として知られる、タオルミーナだ。あんまり美しくて、落ち込んでいたことを忘れた。メテオラで受けた精神的ショックからもすっかり立ち直っていた私。
調子がいいほど、ショックからの回復が早い。そんな自分がちょっと好き。
イタリア
2005年04月27日 21:19
マテーラの駅から洞窟住居群のあるサッシ地区を目指し、歩いた。
ところが行けども行けどもサッシ地区が見えてこない。えー、地図によるとこの辺りなのに・・・。あたりを見回すと、地下に向かうような階段があり、そこが入口となっているようだった。
ひんやりとしたトンネルをくぐり、サッシ地区へと出た。
そこはもう、別世界だった。まるで別の惑星の、乾いた谷に作られた住居のようだ。町をあちこちと散策したが、人に出会うことはほとんどなかった。一人でこの町をさまよっていると、ここが明るい南イタリアであることを忘れてしまう。誰もいない、静かに永い眠りについているような町・マテーラ。この谷を一歩でも出ると、いつもの美しい南イタリアの町並みが広がっているのだから、不思議なカンジだ。
迷路のようなこのサッシ地区で、一番有名なのがサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会。さすがにこの周りには観光客がたくさんきていて、「あぁ、ここは世界遺産だったな」と思い出した。
この現実感のない町を散歩するには、暑いけど、人がいない昼間がいいかもしれない。
イタリア
2005年04月26日 20:45
今日も心に染みる、すてきな一日だった。
1996年に世界遺産に登録されたアルベロベッロは、イタリア南部観光の最大の目玉と言ってもいい。その独特なかわいらしい家々に、多くの人は旅情をそそられることだろう。
トゥルッリは真っ白な壁に、円錐形のグレーの屋根を持つ独特な建築物だ。一見おとぎの国の、妖精でも住んでいそうな夢のある家に見えるが、実はその昔、封建制度がとても厳しかった時代に貧しい人々が唯一許された建築方法だったという。家は冬も夏も常に気温が一定になるように工夫され、貴重な水を得るため、トゥルッリの屋根を伝って地下にある井戸に雨水が貯められるようになっている。今はメインストリートに面したほとんどがカフェやレストラン、お土産屋さんとして機能しているので、観光客は気軽に中を見学できるようになっている。
中でも、旧市街の目玉である、サンタントニオ教会(トゥルッリ建築の教会)の手前にある、5軒が連なった見事なトゥルッリが目に入った。かわいらしいシンボルが屋根に描かれ、キレイに手入れがされている。中を覗くと、美しい織物のお店だった。
一見、ただのお土産屋さんだが、実は奥に特別なコーナーがある。他のお土産屋さんには置いていない、麻の上等の織物のコーナーだ。このアルベロベッロは、岐阜県の白川郷と姉妹都市の関係にあり、このお店のオーナーであるマリアは、その関係のイベントで今年1月に来日している。日本でテレビや雑誌でも取り上げられたという見事な織物は、ちょうど今、日本橋の三越で特別コーナーが設けられて販売されているのだそうだ。
そのマリアの見事な織物を見ていると、日本人女性に声をかけられた。レッチェでガイドをしているミキコさんだ。その麻布に織り込まれた色鮮やかな繊維は、ミモザやオリーブ、椿にプルーン、藤の花にバジリコなど、自然のもので染色されており、それぞれ模様にも意味がある、と教えてくれた。昔、この辺りの女性は、女の子が産まれると、結婚するまでに少しずつ、こうしたリネンを用意したのだそう。決して安いモノではないが、テーブルクロスで織り上がるまで2週間かかる、手の込んだものなのだ。
取材で来ている、良いホテルがあれば教えて欲しいと申し出ると、いくつか紹介してくれた。旧市街を歩き回って、トゥルッリに泊まれるようなホテルを探そうと思っていたのでありがたかった。ステキなホテルを3軒取材できたので、トゥルッリに泊まってみたいという方、お楽しみに!その他にもマッセリアと呼ばれる、封建制度時代の君主の家を改築した宿泊施設や、アルベロベッロに住む人々の持っている部屋を民宿として貸し出し、ホテルよりも安く泊まれる宿泊施設もあり、そんなアレンジも今後やっていきたいねと話す。うーん、あれこれと夢が膨らむなぁ!!他の旅行社ではまだやってない、ステキなアレンジが可能かも知れない!!
とアレコレ話しながら、ミキコさんにマリアの住居スペースも見せて貰った。ちょうどお昼前でいい匂い。コーヒーをごちそうになって取材をすすめていると、マリアがやってきてお昼も食べて行けと言ってくれた。ずうずうしいが、このチャンスを逃す手はない。さらにうちに一泊して行きなさいと言ってくれもした。ありがたかったし、そうしようかなとも思ったが、明日の夜行列車のチケットの購入や、仕事のことも考えるとそうはできなかった。
そうこうしているうちに、東京から石造りの建築物に関する取材に来ている、取材チームがやってきた。ミキコさん、実はこのチームの通訳をしていたのだ。私も(ずうずうしく)その取材に同行させて貰い、トゥルッリの構造について詳しく話を聞かせて貰った。(詳細は「旅の記録」の方にアップ予定!お楽しみに~!)
マンマ・マリアのトゥルッリに戻ると、お昼の支度が出来ていた。うーん、いい匂い!アンティチョークとポテト、アスパラを卵とパルメジャーノチーズでとじ、オーブンで焼いたモノだ。これが本当においしい。お店のゴハンもおいしいが、手作りのマンマの味は格別だ。さらに貴重であろう、生ハムを惜しげもなくふるまってくれた。お客にしかださないという赤と白のワインも開け、取材チームにミキコさん、マンマと共に盛り上がる。私なんてお店にいただけの、通りすがりの日本人にすぎないのに、彼女は本当にステキなランチタイムを提供してくれた。デザートには甘いメロンとスイカ、もちろんコーヒーも。
暖炉がぱちぱちという、すばらしいトゥルッリの中で頂いたマンマのゴハンと、今日偶然出会った人々に感謝せずにはいられない。
これだから、旅はやっぱりやめられない。
今日であったみなさん、本当にありがとう!!!
イタリア
2005年04月26日 05:54
ようやくバーリに到着した。床に横になって仮眠を取ったものの、疲れは相変わらずたまっていた。服もきっとダニだらけ(女の子の話とは思えませんが(-_-)、衣類を落ち着いて洗濯するため、どこか良さそうなホテルでゆっくりしたかった。精神的にも肉体的にも、今の私には休養が必要だ。
ステキなホテルに巡り会えた私は、一日中ホテルから出ることがなかった。熱いシャワーを浴びて、昼寝して。旅を始めて、初めて電話回線のついている部屋を借りたので、さっそくつないでみた。大成功だ。この原稿も、今日は直接アップしようと思っている。22日からこのリアルタイム日記の原稿を書く気力が無く、さぼっていたので、まるまる原稿を書くことに専念。服もジーパンとTシャツからスカートと白いシャツに替え、久しぶりに口紅も塗ってみた。泥だらけだった昨日とは大違いだ。お気に入りのミュールに履き替えて、ホテル内にあるレストランへ昼食を取りに出かけた。
ギリシアファンのみなさん、本当にごめんなさい。。
でも、ぶっちゃけて言っちゃいますね。
「イタリア、まぢでおいしい~!!!ブラヴォー!!」
前菜もパスタも、ホントに絶品。ホテルのレストランだしと、あまり期待していなかったのだが、これがおいしい!!とくに前菜、ズッキーニのオリーブオイルとニンニクとの和え物や、天ぷらのようなもの、キノコのソテー、キッシュ。あまりにギリシアとは違う!!船でたった9時間、アドリア海を越えただけなのに・・・。あんまりおいしくて、お腹がはち切れそうになるまで食べてしまった。こんなに楽しく、おいしく食べたのは久しぶりだ・・・。さすが食のイタリア、これからが本当に楽しみだ!
原稿を書いている合間に、音楽でも聴こうと持ってきた音楽ファイルをMP3プレイヤーにコピーした。CDやMDで持ってくるのは重すぎるので、パソコンにMP3ファイルをたくさん入れてきたのだ。
聴いたのは「チャイコフスキー交響曲4番」。 なぜチャイ4(オーケストラ用語では、このように訳す)かというと、帰国後すぐに演奏会があるから(私、チェロ弾きなんです)。演奏会に参加するつもりは全くなかったのだが、指揮者のセンセイに「出てね」と言われ、「はい」と返事をしてしまったのだ!聴いているうちに、原稿を書いているどころでは無くなった。スコア(全楽器の楽譜が書いてある冊子、持参です!)を取り出して、チェロパートをうたう。「レードドーシシーラレドーシシーラー♪ふんふん」と一人うたっている光景は異様だろう・・・。
あー、チェロが弾きたくなっちゃった・・・。
音楽でこんなにも癒される自分を、新たに発見したような気分だ。
旅行も今日でちょうど2週間。安息日にはちょうどいい。怒濤の数日間だったけど、すっかりチャイコフスキーとイタリア料理、それにステキなホテルで癒された私であった。
イタリア
2005年04月25日 05:34
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