~e-旅ネットメールマガジン「旅のおもしろネタ」6/21号より~
ドナドナを歌いながら、うとうととしていたら、起こされた!
何~?私の予想ではもっとかかるはずなんだけどね~・・・
と思ったら終点とか言っている・・・
しょうがないので重いバックパックを背負い、よーーく見てみると・・・
何もない・・・・・・
アテネって白い色ともうすピンクともつなかいあわ~い色のパルテノン神殿が街中のどこにいても見えるって思っていたんだけど・・・
それに、首都にしてはかなり閑散としているような・・・
というわけで、バスの運転手に
「アテネ?」
と聞いたら、アテネにほど近い違う都市(←と言ったような気がする)
なに~~~!!!アテネ行きって言ったから乗ったのに!!!と文句を言ったら
「ここからアテネに行けるからね♪間違いじゃない!」
とにこにこしてる。ある意味、世界中どこからでもアテネにはいけますから・・・
なんなのよ~。いつになったらアテネにつけるのよ~。
と途方にくれていた。持っていた地図で今いる場所を教えてもらったら
「Chalkis」という街。
観光でここにくる人はいないであろうと思われるような街でありました・・・
バス代でぼられて、ドラクマをほとんど持ってかれたので、お金がなくて飲まず、食わず・・・さらに、前日、フェリーなので着替えもしてなくて、ある意味、浮浪者みたいだった・・・
おなかすいて、動けない・・・
と道端に座り込んでいたら、バスで一緒だったおばさんがつかつかとよってきた。
けど、ギリシャ語で何を言っているのかまったくわからない・・・
もう、ほっといてくれ~と思っていたら、
「アテネ、アテネ」といって指差している方向を見ると・・・
なんとなくだけど、駅?のような?
とりあえず、腕を引っ張られながら駅らしきところに行ってみると・・・
誰もいない・・・単なるぼろやにしか思えない・・・
もう監禁しようと金とっても(←ないけど)どうでもいいよ~。
と思っていたら、自分の腕時計で4時を指差している・・・
4時にくるというのか?あと、1時間・・・線路はあるし、くるのかもしれないね~。
もう歩く気力もないし、待とう!
「スタスモス」(←ギリシャ語でありがとう)
というとにこにこして帰っていったと思いきや、すぐに戻ってきて、紙包みを手渡して戻っていった・・・なんだろう・・・
フランスパンにハムや卵をいれたサンドイッチ!
なんて、やさしいおばさんだったのだろう・・・きちんとお礼も言えずに!
と思いつつも腹が減っては戦はできぬ~てなわけで、ばくばく食べた。うまい!うますぎる!
と列車の汽笛が!やった~!きた~!
でも切符買ってないから無銭乗車?でも、駅員も券売機もないし・・・ま、いっか!(←よくないけど)
で、列車が止まったものの、ドアが開かない!
どうするの?乗れないじゃない~!
とかなりホームであたふた、駅員さんを探したり、
「Help me」とか英語で言ってみたり・・・(←通じてないけど)
なのに、窓からギリシャ人がにたにたみんなで笑っている!
その中の一人の若い男子がやっとドアを開けてくれた。
「アテネ?」と聞くと(←ギリシャにきてからこれしか言ってない・・・)
「YES!!」と笑顔で答える。今までそれに騙されてきたからな・・・
でも、もうしょうがない!信じるぜ~(←なにかさすらいの旅人風)
ということで着席!
ん?外より暑くないか?
原因はすぐに判明!このくそ暑い中、冷房がきかないばかりが窓があかない!
致命的な電車にあいのりさせていただきました・・・
素敵なにおいと暑さをありがとうございます・・・
アテネについたころ、ゆきんこの鼻は嗅覚を失い、汗で髪の毛はどろどろ。
そして、水分不足で脱水症状寸前!となり、ある意味「ムンクの叫び」よりも恐ろしい顔で無事?アテネ、オモニア駅に到着したのでありました・・・
★スブラキとギロ★
代表的なギリシア料理のスブラキ!
スブラキとは肉や魚を串に刺して焼いたものをご飯と一緒に食べる。
ということは知っていたものの、あの肉の塊を炭火などであぶって、薄くそぎ落とし、パンにはさんで食べるのもスブラキというのだと思っていた。
実際、六本木にある「スブラキカー」(←勝手に命名)
赤い車の中で、肉の塊をぐるぐるさせて、サンドイッチ風に売っているその車のメニューも「スブラキ」であった。
が、この二つは違いがあって、
後者の肉の塊を~そぎ落とす~のほうは「ギロ」と呼ばれていた。
パンにはさんだ、のはピタと呼ばれるナンのようなパンにはんさんで食べる、 「ギロ・ピタ」というんだそうな。
ギロ・ピタは、ギロ、野菜、ヨーグルト風ドレッシング、フライドポテトをピタで包んだ食べ物。
かなりボリューム満点です!が、これが病みつきになるほどうまい!
代表的なファーストフードなので歩きながら若いギリシャっ子たちは食べていました!
ワインと共にフランスの食文化の代表格であるチーズ "FROMAGE" を抜きにしてフランスは語れません。
でも、あのくさ~いチーズってちょっと抵抗あるという人も少なくないですよね。
私もフランスに住み始めた頃、チーズの臭いに抵抗があって食べることができませんでした。
日本で食べ慣れていたはずのカマンベールも全然違ったのです。今では、特殊なチーズを除いて、だ~い好きになりました♪
まずは、トム・デ・ピレネー "TOMME DES PYRENEES" という香りも味もまろやかなものから始めてみました。牛乳から作られたチーズの中では最もクセのないものだと思います。写真のような黒い皮のものがよく見られますが、白い皮のものもあります。
バビベル "BABYBEL" の甘さを控えめにした感じで、とても食べやすかったのです。
その後、トライしたのが、"CANTAL D'AUVERGNE"。その名の通り、フランス中央部にあるオヴェルニュ地方のカンタル県で作られているチーズで、やはり牛乳から作られています。少々パサパサした感じはありますが、クセもなく鼻につく臭いもありません。
出逢いが遅かったことをものすご~く後悔したのは、シェーヴル・ショー "CHEVRE CHAUD"。 "CHEVRE" は「山羊」、 "CHAUD" は「熱い」を意味し、熱い山羊のチーズということですが、一般的には小さなトーストパンの上に輪切りにしたカベクー "CABECOU" (古プロヴァンス語で「小さな山羊」という意味)というチーズを乗せてオーブンで焼き、サラダを添えます。こんなにおいしいチーズをどうして今まで知らなかったの?この シェーヴル・ショーは病みつきになってしまって、今でもサラダはもちろんのことフランスでピザを食べるときはシェーヴルのピサを注文してしまいます。
さて、そろそろ食べられなかったカマンベール "CAMEMBERT" に挑戦しても?カマンベールはパリ近郊のモー市で作られていたブリ "BRIE" というチーズを修道僧がイギリス逃亡途中にノルマンディーの農家で作ったと言われています。食べられました!おいしぃ~♪でも皮がどうしても臭いのです。これを克服するにはかなり時間がかかりましたよ~。ブリはカマンベールよりかなり大きいチーズなので、皮の部分が少なく、最初はブリを好んで食べていました。
このカマンベールの形、何かに似ていますよね。フランス語では「円グラフ」のことを "CAMEMBERT" と言います。シャルル・ド・ゴール空港の第1ターミナルも通称 "CAMEMBERT" です。「エスカルゴ」(ESCARGOT)と呼ぶ人もたまにいますけどね。
最後まで避けていたブルー "BLEU"、その中でもフランスで最も歴史のある、そして世界でも有名なロックフォール "ROQUEFORT"。これは羊の乳から作られています。羊はお肉でさえも臭くて食べられない私は、どうやってこのロックフォールをやっつければいいのでしょうか?キュイジニエ(CUISINIER)だった友人に相談したところ、サラダのドレッシングとして使うとよいとのこと。あれ?あれあれ?臭みがない?!どころか、おいしいではありませんか!
でも・・・今でもこのロックフォールを生で食べることができません。どうしても青カビが目についてしまって、口を近づけることができないのです。偏見はよくないとは思うのですが、見た目が・・・
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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「杉野 篤子」
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旅行と食
2006年03月20日 12:52
京都と江戸を結ぶ有名な街道を人は 「東海道五十三次」と呼ぶ。
しかし、本当は五十七次あるという。滋賀県大津宿から東海道は二つの街道に分かれる。京都へ行く道と大阪へ行く道。
大阪への道は伏見、淀、枚方、守口に宿がありこの4つを含めると五十七次になるのだという。
大阪が徳川幕府直轄になった1619年伏見までだった道が東海道と直結し、西国大名が参勤交代で往路する道となる。
さて、伏見の旅籠で有名なのは坂本龍馬ゆかりの宿 「寺田屋」。百姓伊助が慶長2年に伏見京橋に船宿を開き、出身の寺田村の村名をとり「寺田屋」と命名。
京へ向う船着場だったこともあり、維新当時から賑わいをみせる旅籠で、その後、薩摩藩士の定宿になり、藩士たちのたまり場にもなった。
そして、維新史を語る上ではずせない事件、 「寺田屋事件」がこの板の間で繰り広げられる。
1862年薩摩藩尊王派が薩摩藩公島津久光によって粛清された薩摩藩の「内輪もめ」事件。藩兵を率いて上洛した島津久光は日本中の尊王派の希望を背負った。
しかし、久光はその期待を裏切り、公武合体活動を開始。
※公武合体
公家(朝廷)の伝統的権威と、武家(幕府)を結びつけて幕府権力の再構築をはかろうとした政策論
このことに不満をもった尊王派の志士たちが寺田屋に集まって襲撃を相談。
久光は騒ぎを抑えようと9名の刺客(奈良原など)を送るも、説得がうまくいかず、寺田屋の居間で斬り合いが行われ、7名が死亡。
そして、坂本龍馬ゆかりの地として名を刻んだ事件がおこる。
1866年、寺田屋に宿泊していた龍馬を伏見奉行の捕り方たちが龍馬を暗殺しようと計画した事件。
同宿のお龍(龍馬の後の妻)が風呂に入っていたとき、何やら外が騒がしい。これは大変と素っ裸のまま、階段を駆け上り、龍馬に危機を知らせたことで有名。
寺田屋は坂本龍馬の妻となったお龍を語る上ではずせない宿。この事件がきっかけで結婚することになったといっても過言ではない。龍馬とおりょうのお話は こちらで。
そして、最後に忘れてはならない6代目伊助の女房で寺田屋の女将「お登勢」。機転がきき、人に優しく、ときにはお母さん、ときには友達のように藩士たちを助けたことで有名。
「寺田屋といえばお登勢」と呼ばれ、後世まで名を残しました。
寺田屋の庭にある「薩摩九烈士碑」の隣にはその偉業と数々の志士を助けたお登勢をたたえる文が刻まれる碑が今でも残っている。そして、現在、近くにある松林院で静かに眠っている。
現在も旅籠として機能しており宿泊することが可能。維新当時そのままの旅籠に泊まり幕末の激しく揺れた世を感じてみてはいかがでしょうか?
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寺田屋
京都府京都市伏見南浜町
電話:075-622-0243
館内見学時間:10:00-15:55
入場料:大人400円
素泊まり:6500円
チェックイン:18:00 チェックアウト:9:00
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旅行と宿
2006年03月17日 10:57
東京はビルばかりというイメージがあるかと思いますが、以外にもたくさんの緑が都心にはあふれています。その中の一つが 「浜離宮恩賜庭園」
海水を引き入れた潮入の池とふたつの鴨場を持つ江戸時代を代表する庭園。1654年、徳川将軍家の鷹狩場に4大将軍家綱弟、松平綱重が海を埋め立ててここに別邸を建てたのが始まり。
綱重の子、家宣が6代将軍になったのを機に屋敷は将軍家のものになり、「浜御殿」と改名。以来、歴代将軍により改修が行われ11代将軍家斉のときに現在の姿が完成。
明治維新ののち皇室離宮となり、名称を「浜離宮」と名づけました。関東大震災や戦炎などを乗り越え、今日にいたっています。
●三百年の松
6代将軍家宣が、庭園を大改修した記念と父松平綱重への尊敬の念をこめてお手植えされた松。高さ7m、複雑に張り出された枝は18mにもおよんでいます。
●ボタン園とお花畑
ボタン園は60種類約1000株が植えられています。
四季折々の花が咲き乱れるお花畑は春は”菜の花””ソメイシヨシノ”、夏は”サルスベリ”、秋は”コスモス”、冬は”ボタンが咲き誇り、一年を通して花を楽しむことができます。
今月末にはサクラを楽しむことができるのではないでしょうか?
●水上バス発着所
浅草、葛西臨海公園、お台場などへ水上バスで行くことができます。隅田川にかかる14の橋をみたり、水上からレインボーブリッジやフジテレビ本社ビルを眺めるのも一興。
●新樋の口山
東京湾に面した水門の近くには小高い丘。
丘といっても数十段階段を上がるだけ。登りきると東京湾が一望でき、レインボーブリッジやお台場副都心を見ることができます。
●中島の御茶屋
潮入りの池の中央にたたずむ御茶屋。1707年に造られて以来、将軍を始め、公家たちが庭園の素晴らしい眺望を飽きることなく眺めていたといわれています。現在の建物は1983年に復元されたもの。
御茶屋では抹茶と生菓子のセットを500円で提供しています。
潮入の池を見渡すことができる大きな窓、畳の上に上品に敷かれた赤い絨毯、歴史を感じさせる絵画や展示品に囲まれてつかのまの休息を味わってみては?
都会のオアシスと呼ぶにふさわしい「浜離宮」でほっと安らぐ休日を過ごしてみてはいかがですか?
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・交通
都営大江戸線「汐留」「築地市場」徒歩7分
地下鉄銀座線、都営浅草線「新橋」徒歩12分
・開園時間 午前9時ー午後5時
・入場料 大人:300円
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韓国ドラマを見るとこれって本当なの?という場面がある。
子供が親に何でも相談するというシーンを目にしたことはありませんか?
韓国では宗教の影響もあって目上の人を敬うという習慣がある。日本も目上の人を敬うが日本のそれとは全く異なる。
親と子の関係は日本のようなやさしい関係ではない。親の意見は絶対なのだ。
たとえば、私の友人Pさんは32歳独身男性。親と同居している。ただ、住んでいるところがソウル市内からかなり離れているという。なんとなくこんな質問してみた。
ゆ:「そろそろ、一人暮らしとかしないの?」
P:「お母さんが一人だと心配だから結婚するまでいろっていうから出ないんだ。」
ゆ:「ふ~ん、じゃあ、車で通勤?」
P:「いや、お母さんが車の運転は危ないからソウル市内にいくのはやめてっていうから車は使えないんだ」
ゆ:「それで、一人暮らしはしたいの?車は運転したいの?」
P:「したいような気はするけど、親の意見にそむいてまでしたいとは思わないな」
という感じで世代は変わってきたといえど、やっぱり親の存在は絶対的なものらしい。
当然、親が反対するような娘さんとは結婚できない。ましてや、駆け落ち?なんてこともないだろう。
ゆ:「親が反対したら彼女と別れるの?」
P:「別れないとは思うけど、どこが気に入らないとか聞くことはできるよね」
単なる子離れできない親だったら全部気に入らないんだろうな~。そうしたら息子は一生結婚できないことになる。それでもいいのだろうか???
~e-旅ネットメールマガジン「旅のおもしろネタ」6/14号より~
さて、なんだか怪しいギリシャ人に囲まれたゆきんこ・・・
時は朝の7時。
なんか何話しているかわかんないし、そもそもドラクマ(ギリシャの通貨)にまだ両替もしていない・・・
怖いと思っていた表情をよーく見るとみんな私に何かをしたがっている模様。とにかく、 「アテネ、アテネ」と言いまくった。
すると・・・ゼスチャーでこっちに来いと言っている。
まあ、ここがどこかもいまいちわからないし、どうでもいいや~って思っていたら、ちゃんとバスターミナル?に連れて行ってくれた。
とりあえず、目をこらして、よーく見てみると(←あまりにさびれてて読み取れない)アテネと書いているには書いている。
つれてきてくれたおじさんが、な、なんとチケットを買ってくれた。
アテネ、アテネといってるのでアテネ行きのチケットだろう・・・
おー、サンキュー!でも、ドラクマないんですけど・・・
という感じにゼスチャーをすると、銀行に連れて行ってくれた。
つーか、なんか親切すぎる・・・あやしいって・・・
とお金をおろして、彼のもとに戻ると、ありえない値段を言ってきた。
やっぱり、ぼられたか・・・
でも、看板に書いていた値段も覚えているし、バスターミナルももうわかったから彼から買う必要はないし~♪と思って、にたにたして勝手に帰ろうとしたら、腕をつかまれて、連行された・・・
こ、これは本格的にやばいです・・・
連れて行かれた場所は???
「警察!」
一石二鳥やん!こいつ、あほか?と思って自分から意気揚々と入って行った。
が、ここの警察・・・ものすごい怖い。
婦人警官?っていうのかな?女性しかいないし、しかも、足組んでたばこをばかすか吸ってるし、外見はなんかお色気系?
金髪の髪はパーマがかかっていて、目はどこか視点があっていない・・・
そ・し・て・・・英語で
「you have to pay money to him right now!」
と言われた・・・
え~、どうみても彼が悪いのに、私の意見は聞いてくれないの~。
おかしいよ~。と駄々をこねては見たものの、婦人警官に
「うざい」(←ってたぶん、言ったと思う)
って言われて、その法外な値段を払わせられた・・・
なんか、納得いかない。
でも、警察もぐるじゃあ、しょうがないか・・・そもそも警察かどうかだって怪しい。
とかなり不服だったけど、バスには乗れたし、バスの運転手にもまわりに座っているお客さんにも「アテネ行き」を確認したし、もう忘れよう・・・
と思っていてもわかってて、ぼられたのがかなり切なく、バスの中は
♪ある晴れた 昼さがり アテネへ 続く道
高速バスが ゴトゴト ゆきんこを 乗せてゆく
かわいいゆきんこ 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ド~ナ ゆきんこ 乗せて
ドナ ドナ ドナ ド~ナ バスが ゆれる♪
とずーーーっと歌っていた。(←あきらめが非常に悪い)
そして、ずーーっと歌っていたら横のおじさんに
「うるさい!!」(←ってたぶん言ったと思う)
と怒られた。
しくしく・・・こなきゃよかった・・・ギリシャなんて・・・
しかも、アテネについた瞬間、また悪夢が続くのであった・・・
★食べるな(タベルナ)★
先日のメルマガで「空耳アワー」(←ゆきんこは難聴)の話をしましたが、今に始まったことではなく、その昔から難聴です(←いばることでもないが・・・)
難聴というより人の話を聞いていないとよく言われます♪
そして、ここギリシャでもやってしまいました(--)
エーゲ海の島で、ある客引きが、
「サジキ タベルナ、サジキ タベルナ」
と聞こえたゆきんこは
「サジキという食べ物を食べるな」という意味だな・・・と思い、
サジキ=まずいと思い込んでいました・・・
タベルナ=食堂という意味、サジキ=ディップの名前です。
キュウリとヨーグルトとニンニクのペーストで、単品でも食べますが、肉料理のソースとして使われるギリシャでは有名な料理。
これをギリシャ旅行の後半までまずいと思って食べなかったゆきんこ。
食わず嫌いはよくないです!
サジキは店によって、また、にんにくの量などによっても味が全然違います。
当たりの「タベルナ」で食べるサジキはものすごくおいしいです!
ぜひ、ご賞味あれ!
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