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朝日新聞の日曜版に「奇想遺産」というコーナーで 「シュバルの理想宮」が紹介されていたのをご覧になりましたか?
TVなどでも何度か取り上げられているので、ご存知の方も多いと思いますが、フランスの片田舎に現れた奇妙な建造物です。
この奇妙な建造物を造ったのは、たった一人の郵便配達人。
彼の名はフェルディナン・シュバルといいました。
シュバルはある日、石につまずいて転びそうになり、その石を掘り起こしてみると、そろばんの玉が重なったような不思議な形をしていました。その石の形がおもしろいことに魅せられ、その日から配達の途中に見つけた石を持ち帰っては、それらの石を使って建物を造り始めました。
石につまずいたとき、シュバルは43歳でしたが、毎日、毎日、石を拾ってきては積み重ね、とうとう33年間かかって写真のような建物を造り上げてしまったのです。
当初、村人からは変わり者として笑われていましたが、新聞などで紹介されると各地から見物するひとが訪れるようになり、今では重要建造物に指定されています。
ここを訪れるためにはレンタカーが一番便利ですが、車がなくても、列車、バスを利用して行くことができますよ。
でも、ローカルバスは一日数本なのでご注意を。
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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「おおなり まちこ」
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このところ、カナダ方面の旅行相談にのっていることもあって、企画を考えたり、現地情報を調べたりしていると、すっかり仮想旅行にハマッてしまい、無性にカナダに行きたくなってくる。
私の場合、カナダに限らず、そのとき取り組んでいる旅行先は、どこでも同じように行きたくなってしまうのだが。
実は、カナダは私にとって、特別な場所なのだ。
もう、ずいぶん昔のことになってしまったけれど、私が初めて、親の反対を押し切ってまで実現させた海外生活の場がカナダだった。
OLになって一年で、どうしてもそのまま終わりたくない、英語を学んで旅行の仕事に就きたいと決意を固めて、留学することにしたのである。
東のバンクーバーで9ヶ月、西のモントリオールで3ヶ月を過ごした。
お金は無かったので、贅沢な旅行はできなかったが、自分で動けるだけは色々なところに出かけた。
バンクーバー島の名も無き浜辺の風景や、モントリオールからハリファックスまで乗った夜行のVIAレイル。
そして、友人たちとレンタカーを借りて、向かったロッキー。
強烈な印象を受けたそれぞれの景色が、今でも記憶に鮮明に残っている。
日本へ帰国後、念願の旅行業の職に就くことができた。
そして、その後は添乗員にもなったので、全く予想していなかったことだったが、カナダへの添乗も、数多く依頼されることとなった。
仕事で行くのは、やはりプライベートとは違って緊張感もあり、少し窮屈な思いもしたが、新たな魅力を見つける良い機会にもなった。
それに、プライベートだったら泊まれないような高級ホテルにも泊まれたり(笑)
そんなカナダの添乗で、思い浮かぶエピソードは幾つかある。
印象深いのは、車椅子の旦那さんと奥さんの二人連れがツアーに参加されたときのこと。
不慣れながらも一生懸命お手伝いをしたことで、本当に心から喜んでもらえ、お礼の手紙が会社に届いた。その旅行が一生の記念になったと書かれていた。
最初お二人は、他のお客様に気を使われ、自分達がペースを遅らせてしまうと心配されていた。
実際、私自身も他の方からのクレームが出ない様、かなりの神経と気を使った覚えがある。
けれども最終、ツアー参加者の全員がとても仲良く、協力的に接してくれ、無事楽しんで頂けたのだった。
他にも、比較的リーズナブルなツアーで、十数人のお客様のうちに、二組もハネムーナーが参加されていたことがあった。
通常、ハネムーナー参加は事前に知らされていたりするのだが、この時は、私には事前情報が入っていなくて、予想もしていなかった。
ツアー途中で、たまたま会話の中から偶然発覚した。
そのため急遽、ディナーの時にケーキを用意し、みんなでお祝いをしようという展開になったのだ。
そのケーキもシャンパンも、もちろんポケットマネーから。
これは、そこまでしなければいけないのではなく、私自身が、一緒に旅行を楽しみたかっただけのこと。
みんなで、乾杯をしたその時の笑顔も、素敵な思い出になって残っている。
初夏のカナディアンロッキーで雪が降って、驚いた反面、珍しい体験ができたことを、お客さんと一緒に喜んだり。
初めて紅葉のメープル街道を添乗した時に、モントリオールからオタワまで、バスの移動中、自分で案内をしなければいけなくて、心中はドキドキしながらもクイズや歌で頑張ってみたり。
朝、バンクーバーのホテルを出発しようとしたら、前夜盗難に遭ってしまった方がいて、その対応に追われたり。
こんなに、たくさんの貴重な体験をさせてもらい、人生に大きな影響を与えてくれた国に、今度はいつ行けるのだろう。
こっちゃんと、二人でロッキーの壮大な景観を楽しめる日は近い?のだろうか・・・
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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「中川 美佐緒 」
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人との別れはとても辛いもの。気持ちの変化がわかる短編集のようなひとこま。
長い時間を一緒に過ごした女と別れた日、僕はバイクで旅に出た。
一人旅の夜、寝床にて火が起こせる場所があり、僕は焚き火をした。
必要に迫られているわけでは決してない。
バーナーも、懐中電灯も持っている、食事は道中にて弁当を購入済みだ。
あくまで、気分の問題なのだ。
何するにも深く考えなかった日々、我が侭で自分勝手に生きてきた。
「そこには手を下さずとも、何かがずっと存在してくれている」
そう信じていた。
しかしながら一人旅の夜ときたら・・・・。
その日に見た景色や、道中での出来事を面白可笑しく語る相手もいない。
午後7:37分、もうやる事がない。
いつも何にそんなに時間を使っていたのか?
違うな、そこにあるだけのモノではやれる事が無い、何かが足りないのである。
そんな時、焚き火に薪をくべてみる。
人生が、死ぬまでの間の暇つぶしみたいなモノだとしたら、これ以上何を潰し たらよいのだろう・・・
自分の持ち物と、自分の身の置き場所を、「ひょい」とほんの少しズラしただ けで、僕は手も足も出なくなってしまう。
情けない・・・・。
煌々と燃える焚き火を見つめながら、
「あの時の自分は、本当に自分なの か?」
とも考えたりしてる。
自分が己の知恵と肉体だけを持ってして、出来る事のあまりの少なさに唖然と しつつ、「あー、何て人間らしいのだ!」等と、うそぶきながら孤独な野宿の 夜が更けて行く。
火を囲み、飲むインスタントコーヒーの「美味さ」。
夜空を仰いで、小さなテントに潜り込み、寝袋のジッパーの擦れる音や「ガサ ガサ」と荷物をまとめる音が段々と小さくなり、ゆっくりと目を閉じる。
すると、それまではまるで気が付かなかった、空間を満たす無数の音に、言い 知れぬものが込み上げて来る。
旅の中にある夢が、木漏れ日に揺れる道が、無数の星が何かを思い出させてくれる。
何とも言えない「癒される」瞬間、彼女に感謝するのです。
必要なものと、必要でないもの。
何が必要で、何が必要でないかが、少しずつ見えてくる。
道は道なりに、その人の道があり、その道なりに「癒される旅」があるのです。
<投稿>
土曜日ではありましたが、夜の回だったということもあり、お目当ての「JR東海 超電導リニア館」へは20分も待たずに入場できました。
係りの女性の誘導で、縦長のホールのようなところで並び、まずは鉄道の歴史のプレショーを7分間観覧します。
横浜~新橋間から始まった日本の鉄道の歴史はめざましい進化をとげ、新幹線の登場はヨーロッパをはじめ世界中の鉄道文化に大きな影響を与えました。
そんな鉄道技術の先端をいく日本が次に目指すのは、時速500Km台の世界。
ここでプレショーはストップし、私達は800インチの大画面のあるホールに案内され着席。
いよいよハイビジョンによる鮮明な3D映像での超電導リニア体験が始まります。
超電導リニアとは、山梨実験線において、世界最高時速581kmを達成した夢の鉄道です。
通常の車輪では摩擦でスピードに耐えられないため、磁力で車両を10センチほど 浮上させ超高速で走行するまったく新しい輸送システムです。
見た目は東海道新幹線をもっと平たくして、鋭利にした感じ。
いかにも速そう、といった表情をしています。
映像は、その最高時速を出した瞬間が体験できるのですが、手でつかめそうなほどリアルな車体、速度が増してくると車輪を車体にしまって浮上をはじめる、速度メーターが世界最高時速581kmに達した瞬間は、感動で思わず涙が・・・。
正直、万博で泣くとは思わなかったです。(お恥ずかしい・・・)
けれども、世界に誇る、夢ある鉄道技術の先端にある日本に、
生まれたことを、誇りに思う瞬間でもありました。
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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「荒井 万里子」
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約1300年前、葛城山の修行僧、役の小角(えんのおずぬ)が、ふもとの広場で、この建物を仕上げ、法の願力によって、洞窟に、投げ入れたと伝えられています。
標高470メートルの集塊岩と溶岩との境に生じた、洞窟の中に建っているその姿を目の当たりすると・・・とにかく人間業とは思えない驚愕の建物です!
なにかの雑誌で見て、激しく興味を引かれるままに行った、鳥取三徳山投入堂。
旅行の前に、調べていたので、投入堂を見るまでの険しい道のりはある程度覚悟していたのだが、それは想像をはるかに超えていた。
小雨が降ったり、止んだりのあいにくの天気、夏まっただ中の午後だった。入山リストなるものを見せてもらうと、その日の入山者は、僕たち以外にたったの3名。
「すべりやすいので気をつけてください。」
そんな一言を、登山事務所の人に言われて、僕と僕の友達は投入堂を目指し、山を登り始めた。
最初は普通の登山道、僕たち二人は写真を撮りながら意気揚々と登る。天気が天気だったので、あたりは少々暗かったが、また、「ここは観光地です」というような雰囲気がなく、自然が自然のままにあるような雰囲気を残していた。自然の中に埋没するのは果てしなく気持ちがいい。このときは、まだこの登山道の険しさを知るよしもなかったのである。
15分程度歩いただろうところで、登山道は獣道に変わる。最初の関門である「かづら坂」が目の前に立ちはだかる。ひどく急な坂道に、木の根がうようよとはいつくばる。自然造形的には非常に美しい。観光気分であったため迂回路を探すが、もちろんない。木の根をロープ替わりにつたって上へ行くしかないのだ。すべる。服は汚れる。登りきった頃には、「旅行」が一種の「旅」に変わったことを感じた。
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