このところ、カナダ方面の旅行相談にのっていることもあって、企画を考えたり、現地情報を調べたりしていると、すっかり仮想旅行にハマッてしまい、無性にカナダに行きたくなってくる。
私の場合、カナダに限らず、そのとき取り組んでいる旅行先は、どこでも同じように行きたくなってしまうのだが。
実は、カナダは私にとって、特別な場所なのだ。
もう、ずいぶん昔のことになってしまったけれど、私が初めて、親の反対を押し切ってまで実現させた海外生活の場がカナダだった。
OLになって一年で、どうしてもそのまま終わりたくない、英語を学んで旅行の仕事に就きたいと決意を固めて、留学することにしたのである。
東のバンクーバーで9ヶ月、西のモントリオールで3ヶ月を過ごした。
お金は無かったので、贅沢な旅行はできなかったが、自分で動けるだけは色々なところに出かけた。
バンクーバー島の名も無き浜辺の風景や、モントリオールからハリファックスまで乗った夜行のVIAレイル。
そして、友人たちとレンタカーを借りて、向かったロッキー。
強烈な印象を受けたそれぞれの景色が、今でも記憶に鮮明に残っている。
日本へ帰国後、念願の旅行業の職に就くことができた。
そして、その後は添乗員にもなったので、全く予想していなかったことだったが、カナダへの添乗も、数多く依頼されることとなった。
仕事で行くのは、やはりプライベートとは違って緊張感もあり、少し窮屈な思いもしたが、新たな魅力を見つける良い機会にもなった。
それに、プライベートだったら泊まれないような高級ホテルにも泊まれたり(笑)
そんなカナダの添乗で、思い浮かぶエピソードは幾つかある。
印象深いのは、車椅子の旦那さんと奥さんの二人連れがツアーに参加されたときのこと。
不慣れながらも一生懸命お手伝いをしたことで、本当に心から喜んでもらえ、お礼の手紙が会社に届いた。その旅行が一生の記念になったと書かれていた。
最初お二人は、他のお客様に気を使われ、自分達がペースを遅らせてしまうと心配されていた。
実際、私自身も他の方からのクレームが出ない様、かなりの神経と気を使った覚えがある。
けれども最終、ツアー参加者の全員がとても仲良く、協力的に接してくれ、無事楽しんで頂けたのだった。
他にも、比較的リーズナブルなツアーで、十数人のお客様のうちに、二組もハネムーナーが参加されていたことがあった。
通常、ハネムーナー参加は事前に知らされていたりするのだが、この時は、私には事前情報が入っていなくて、予想もしていなかった。
ツアー途中で、たまたま会話の中から偶然発覚した。
そのため急遽、ディナーの時にケーキを用意し、みんなでお祝いをしようという展開になったのだ。
そのケーキもシャンパンも、もちろんポケットマネーから。
これは、そこまでしなければいけないのではなく、私自身が、一緒に旅行を楽しみたかっただけのこと。
みんなで、乾杯をしたその時の笑顔も、素敵な思い出になって残っている。
初夏のカナディアンロッキーで雪が降って、驚いた反面、珍しい体験ができたことを、お客さんと一緒に喜んだり。
初めて紅葉のメープル街道を添乗した時に、モントリオールからオタワまで、バスの移動中、自分で案内をしなければいけなくて、心中はドキドキしながらもクイズや歌で頑張ってみたり。
朝、バンクーバーのホテルを出発しようとしたら、前夜盗難に遭ってしまった方がいて、その対応に追われたり。
こんなに、たくさんの貴重な体験をさせてもらい、人生に大きな影響を与えてくれた国に、今度はいつ行けるのだろう。
こっちゃんと、二人でロッキーの壮大な景観を楽しめる日は近い?のだろうか・・・
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●情報提供者
(株)ウェブトラベル トラベルパートナー「中川 美佐緒 」
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人との別れはとても辛いもの。気持ちの変化がわかる短編集のようなひとこま。
長い時間を一緒に過ごした女と別れた日、僕はバイクで旅に出た。
一人旅の夜、寝床にて火が起こせる場所があり、僕は焚き火をした。
必要に迫られているわけでは決してない。
バーナーも、懐中電灯も持っている、食事は道中にて弁当を購入済みだ。
あくまで、気分の問題なのだ。
何するにも深く考えなかった日々、我が侭で自分勝手に生きてきた。
「そこには手を下さずとも、何かがずっと存在してくれている」
そう信じていた。
しかしながら一人旅の夜ときたら・・・・。
その日に見た景色や、道中での出来事を面白可笑しく語る相手もいない。
午後7:37分、もうやる事がない。
いつも何にそんなに時間を使っていたのか?
違うな、そこにあるだけのモノではやれる事が無い、何かが足りないのである。
そんな時、焚き火に薪をくべてみる。
人生が、死ぬまでの間の暇つぶしみたいなモノだとしたら、これ以上何を潰し たらよいのだろう・・・
自分の持ち物と、自分の身の置き場所を、「ひょい」とほんの少しズラしただ けで、僕は手も足も出なくなってしまう。
情けない・・・・。
煌々と燃える焚き火を見つめながら、
「あの時の自分は、本当に自分なの か?」
とも考えたりしてる。
自分が己の知恵と肉体だけを持ってして、出来る事のあまりの少なさに唖然と しつつ、「あー、何て人間らしいのだ!」等と、うそぶきながら孤独な野宿の 夜が更けて行く。
火を囲み、飲むインスタントコーヒーの「美味さ」。
夜空を仰いで、小さなテントに潜り込み、寝袋のジッパーの擦れる音や「ガサ ガサ」と荷物をまとめる音が段々と小さくなり、ゆっくりと目を閉じる。
すると、それまではまるで気が付かなかった、空間を満たす無数の音に、言い 知れぬものが込み上げて来る。
旅の中にある夢が、木漏れ日に揺れる道が、無数の星が何かを思い出させてくれる。
何とも言えない「癒される」瞬間、彼女に感謝するのです。
必要なものと、必要でないもの。
何が必要で、何が必要でないかが、少しずつ見えてくる。
道は道なりに、その人の道があり、その道なりに「癒される旅」があるのです。
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