「敦煌」'98 米 監 督 佐藤純彌 舞台:中国 敦煌
実は、ゆきんこの秋田の中学校では、なぜか映画観賞会があった。三学年全員、体育館に集められて、黒いカーテンを体育館中に張り巡らせ、でかいスクリーンをステージにおく。
だいたいが、こういう会は寝てしまうゆきんこだが、この「敦煌」の会は違った。
その頃は「敦煌」と聞いても?はて?なんのこと?という感じであったし、内容を聞いても、さっぱりわけわからん!と寝る体制で望んでいた。
が、始まった瞬間、そのスケールの大きさに驚いた。
西田敏幸が砂漠をかけめぐるシーンや4億円かけて作成された敦煌城が燃えるシーン。世界遺産の「莫高窟」。また、精巧に再現された、当時の衣装。もうとりこになっていました。といっても中学校時代。すぐにいけるというものではなく、ただ、ただ憧れの地でした!
この映画はこの時代にしてはとてもスケールが大きい映画でやはりあの当時、この映画をみて、「敦煌」に思いをはせた人もいるのではないでしょうか?あまりに古くてレンタルなどでは見ることはできないかもしれませんが、「敦煌」に行く前にはぜひ、見てもらいたい一本です!
<ストーリー>
趙行徳は西夏への対策問題に頭を悩まし、街の中を呆然とさまよううち、一人の西夏の女に出会い、その誇り高さと西夏文字に強く惹かれ、西夏を目指した。
途中、西夏の兵隊狩りに遭い捕らえられる行徳。戦乱の中で行徳は、西夏の皇太子の目にとまり、西夏の都イルガイへ西夏文字習得のために派遣されることになる。ウイグルの王女ツルピアと恋仲になっていた行徳は、1年で帰ると約束したにもかかわらず、西夏文字の辞書を作ることを命じられ、3年の月日が過ぎてしまう。その間、ツルピアは元昊に奪われ、政略結婚を強いられていた。ところが、婚礼のさなか、ツルピアは城壁から身を投げ自ら命を絶ってしまう。
自暴自棄になった行徳を、王礼は敦煌へ送る。累々と積み上げられた膨大な古今東西の文書、経典や美術品に思わず息をのむ。さらに莫高窟へ連れられた行徳は、無数の石窟に脈々と受け継がれた壁画や仏像の数々に、目をみはる。
李元昊がついに敦煌に攻め入ってくる。しかし、西夏軍の総攻撃の前に、敦煌城内はあちこちに火の手が上がった。炎に包まれた太守の館では、学僧たちが貴重な文典類を必死に運び出していた。翌朝、行徳はそれらを莫高窟に運び入れ、石窟の奥へと埋め込んでいったのである。
行徳は丘の上から遠く、炎上して落ちていく敦煌城と、砂塵の中全滅していく漢人部隊を目にした。
「未知との遭遇」77‘ 米監督:スティーブン・スピルバーグ 舞台:アメリカ インディアナ州
私がこの映画を見たのはまだ旅行会社に在籍していた25年前。
あの、スティーブン・スピルバーグ監督が始めて手がけたSF映画である。
消息不明だった戦闘機が、突然、砂漠に現れたのをきっかけに、アメリカ各地でUFOが目撃される。ロイ(主人公)もある夜、UFOに遭遇。その日から彼の生活は一変し、UFOとのコンタクトに没頭する。そして、彼らとのコンタクトにも成功する。人間と宇宙人との接触を感動的に書いた作品だ。劇中、宇宙人と交信している時の音楽がオルガンの音のようでとても印象的だ。
私はこのとき、映画の舞台であった、アメリカ三大国立公園のひとつである「モニュメントバレー」が実際に存在するものとは思っていなかった。映画配給会社に問い合わせたところ、撮影地が判明。先ほども触れたように、当時、旅行会社に勤めていた私は「アメリカ三大国立公園めぐり」(今では当たり前のようにアメリカのツアーパンフレットにありますね)を作りました。
現地駐在として、アメリカの地へ降り立った私は早速、モニュメントバレーに向かった。映画の世界そのままの壮大な景色が目の前に広がる。真四角の岩の上で見た夕日は今でも忘れられない。自分がここにいるのが信じられないという思いと、本当に宇宙人がいるかもしれないという思いが交錯した。
私の人生観が変わった一本です。
<福田>インタビュー ゆきんこ