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熊野古道を歩く - 中辺路歩き方ガイド -
熊野三山詣で( 熊野本宮大社、熊野速玉大社、 熊野那智大社、 青岸渡寺)を終えた参拝者は、背後にそびえる那智・妙法の山を登り、大雲取り越えに向います。雲に手が届きそうな、雲の中を行くほど、高いところを歩くという意味からこの名がつく。
早速、大雲取越えへ・・・
約14.5km、所要時間6時間30分
青岸渡寺の裏手から、那智高原を越え、その名の通り、熊野灘を一望できる「舟見峠」へ。
この辺りの眺望は素晴らしくこれから続く峠越えの前のつかの間の休息・・・
死者が赴くといわれる標高約800~1000mの熊野の山塊を進み、石倉峠、越前峠、胴切坂等の険しい山道を歩く。険しいだけではなく、途中、旅籠跡・茶屋跡などもあり、楽しみながら歩くことができる。
熊野三山の神々が集まって談笑した場所といわれる「円座石」を過ぎると、大雲取越え、最終地点の小口に到着。
ここから、小雲取越えへ・・・
約13km、約5時間
熊野川町小口から赤木川沿いに東へ1km、小和瀬を経て妙法山を越えるこのルートは、大雲取越えに続く山越えであることから小雲取越えという。
ただ、峠越えの連続であった大雲取りに比べればそれほど、きつい山道ではありません。
赤木川の橋を渡り、対岸に至り、民家脇の石段を登ればスタート地点。
椎の木茶屋跡、桜茶屋跡を経て桜峠を越え、尾根伝いに歩く。熊野三千六百峰が一望できる百間ぐらの峠は幾重にも重なる山並みが美しい。
程なく歩いていくとまっすぐ向こうに熊野川が見え、大雲取越え、小雲取越えの終わりをつげます。
熊野古道を歩く - 中辺路歩き方ガイド -
熊野本宮大社と湯の峰温泉をつなぐ 大日越のほかに湯の峰温泉へつなぐもう一つの道が 赤木越。
起点の赤木越分岐へは公共の交通機関がありません。熊野本宮大社を出発し、 発心門王子まで歩き、 猪鼻王子手前にある船玉神社のあたりに赤木越分岐の道標がたっています。
つづら折れの上り坂を登り、また分岐道標があり、そこから尾根道になりのんびり散歩感覚で歩くことができます。約45分で 「なべわり地蔵」前へ。
下り坂を進んでいくと約20分で「柿原茶屋跡」。
今度は狭い道に入り、急な下り坂を約45分下ると 湯の峰温泉中心地へと出ます。
民家の間から抜けて出てくるような感じです。
逆に湯の峰温泉を起点にして、中辺路へ抜けて歩く方も多いとか・・・
この場合、赤木分岐までずっと登り坂なので登りが苦手な人は最初にお知らせしたルートをとったほうが楽。
いずれにせよ、このルートの散策には 湯の峰温泉にて一泊する必要があります。
散策の後の温泉はまた一味違ったものになるはず・・・
熊野古道を歩く - 中辺路歩き方ガイド -
大日山を越え日本最古の湯で旅の疲れをとる<★★ 普通>
●9:05
湯の峰温泉(つぼ湯)
大日越とは大斎原と湯の峰温泉をぬける道。
大斎原とは・・・熊野本宮大社旧社地のことで、明治22年の熊野川の大洪水によって流されるまで本殿があった場所。
昔の熊野詣とは、本宮大社に参拝したのち、大日越で湯の峰温泉へ向かい、旅の疲れを癒すというルートでしたが、最近は 中辺路の発心門王子~本宮大社まで歩き、湯の峰温泉で湯垢離をしたのち、大日越で本宮へ向かうというルートが一般的になってきたようです。
今回の私のルートは後者の現代版です。
湯の峰温泉(つぼ湯)の裏手にある小さい橋を渡り、細い道を案内表示版に従い進む。途中広場のようなところに出た後、道が二手に分かれているので左側の道を登っていく。
●9:10
湯峯王子
5分登るとすぐに湯峯王子が見えてくる。王子社としてもとは薬師堂のそばに祀られていたが、明治の火災で焼失し、現在は後方の山手に小祀がある。
毎年四月十五日に行われる 本宮大社の例大祭ではこの王子社で催しものも行われる。
ここから先、 鼻欠地蔵まで急な登りが続く。
●9:40
鼻欠地蔵・大日山(304m)
本宮からここまで仕事をしにくる棟梁に弟子が毎日温かいご飯を届けていました。やさしい弟子は棟梁の仕事がうまくいくようにとお弁当のご飯をひとつまみお地蔵さんにお供えし、拝んでいたそう。
だが、そんなことは知らない棟梁。毎日、少しご飯が減っていたことの原因を確かめようと地蔵の裏に隠れていた。
すると、弟子がやってきていつものようにお供えしようとお弁当の蓋をあけた。それを見た棟梁。怒って、弟子の鼻をカンナで殴る。
弟子は泣きながら、本当のことを伝えた。
「棟梁のためにご飯をお供えしていたことを」
その話しが終わると、なぜか弟子の鼻は怪我一つしておらず、ここの地蔵の鼻がとれ血が流れていたことから「鼻欠地蔵」と名づけられた。
このお地蔵さんにはいろいろなお話があって本宮に泊まった人、湯の峰に泊まって本宮に行った人などあるそう。
ここから先は歩きやすいゆるやかな道が続く。
●10:00
月見が丘神社
少し開けた場所に到着。農耕神とあがめられている巨大石仏を祀った月見が丘神社の祠がある。
神社周辺には 樹齢数百年はたっていると思われるいくつかの檜や杉も見られる。
月見が丘神社の写真は幽暗を秘めた場所というイメージが行く前にあったが、到着時の天候晴れ!ということもあって、掘っ立て小屋という感じがしてしまいました。
少し下ると森が見えてきます。眼下に大斎原が!
国道を渡って大斎原へ。
●10:30
大斎原
ここが旧熊野本宮大社があった旧社地。主神は移されましたが、広い黄緑色の芝生のちょうど真ん中にある 中四社、下四社、摂末社は、この場所で二基の石のほこらに祀られている。
正面の 大きな鳥居(日本一大きい)をくぐりまっすぐいくと現在の本宮大社に到着!
熊野古道を歩く - 中辺路歩き方ガイド -
古道の雰囲気が色濃く残るコース。
語り部さんと歩くと歴史や熊野にまつわるさまざまな話しが聞けて楽しい
<★ 快適な散歩道>
●15:20
発心門王子
かつては 「発心門」とよばれた大鳥居が立っていた場所。発心門王子の発心とは「発菩提心」・・・仏道に入り仏知を学ぶ志を立てるという意味でここから本宮大社の入り口、すなわち神仏の懐に入る。
藤原定家の「後鳥羽院熊野御幸記」によると、南無房という尼房が発心門王子の後ろにあり、定家はここを宿所としていたそう。
近くには ご神木などもあり、 本宮大社入り口にきたという赴きがある。
ここから先は 生活道のなだらかな道を歩いていく。
●16:00
助産婦地蔵
熊野古道は 「総合病院」と呼ばれているそう。
その中の一つ目。
「助産婦地蔵」の前に到着。その名が示すとおりよい子供が生まれますようにとお祈りする。地蔵の前掛けに生まれる日を記載するのだが、今年の11月に生まれる予定の子供の祈願がされていた。
もう今頃は生まれているかな?
生活道を下っていった先には ユニークな仕掛けも見ることができる。このお二人のおばあさんは下に仕掛けてある水をためる樽がいっぱいになったらうちわを持っている手を上げる。
45秒おきに必ずあげてくれるのでちょっと待ってみよう。
●16:20
歯痛の地蔵さん
「総合病院」の二つ目。 歯痛の地蔵さんはもちろん、歯痛を治してくれる地蔵。
この辺りは昭和50年まで歯医者がなかったそうで、歯が痛くなっても、街まで降りていかなければいけないのでとりあえず、ここで拝んだそう。
すると、ピタッと痛みがおさまったとか。ここのお地蔵さんに祈願する頃はもう歯痛も絶頂を向かえ、泣く泣く長い道のりを歩いて拝みにくるので歩いている間に痛みよりも疲れのほうが増したのでは?と語り部さんは話をしてくれました。
●16:30
水呑王子
古い 小学校の分校の片隅に緑泥片岩の碑がある。いくつかの記録では内水飲みとなっている。
その横にあるのが 「腰痛の神様」
石が二つに分かれているのでその割れ目にお金をいれて拝むと腰痛がなおるということで、早速、石の間にお賽銭を挟み拝む。だけど、腰痛なのに石を持ち上げては腰を悪化させるのでは?などとも思ってしまいましたが・・・
しばらく歩くと 「伏拝の里」が見えてくる。
ここからの景色はまた格別。
果無山脈がどこまでも続き、本宮と高野山を結び果無の尾根を越える「小辺路」、吉野山までの修験道「奥駈け路」が続く。
●17:30
伏拝王子
ここでやっと熊野本宮大社が見えてくる。参拝者はここから大社社殿を伏して拝んだからこの名前がつけられた。
しかし、もう一つ由来がある。王子横に石造の小祠がまつられている 和泉式部供養塔である。平安時代の 女流歌人和泉式部もたびたび熊野に詣でたとか。和泉式部がここを通るたびに「つきのさわり」になったので、本宮大社に向かい伏して拝んだから 「伏拝王子」となったという二つのいわれがある。
伏拝王子前には 「伏拝茶屋」があり、温泉コーヒーやアイスキャンディーを注文することができる。
本宮まであと一息。小休止しよう!
三軒茶屋到着6時だったためここで本日はあえなく終了。
伏拝王子から三軒茶屋までは所要30分
本日のお宿: 民宿 小栗屋
●11:10
三軒茶屋
中世に関所があった場所。大正時代にはその名のとおり 三軒の茶屋があった。関所すぐ横には 自然石の道標がある
「右かうや新道十七り半、左きみい寺三十一り半」
と書いてある。
右かうや:高野 小辺路
左きみい(紀三井寺) 中辺路を通る道のことを指す。
三軒茶屋から本宮までは 幅2mの平安時代そのままの道幅の道を歩く。今までの細い道と違い歩きやすく、快適。
●11:30
分岐点
しばらくすると 「朝日、夕陽百選、名月鑑賞の地」に登る道と分岐する。時間があれば登ってみよう。
遠く 大斎原(明治22年まで本宮大社があった場所)を望むことができる。
●11:54
祓戸王子
道標最後の75番をすぎるともう目の前が本宮大社。本宮大社の裏側にあり杉やイチイガシの大木の影にある。
本宮大社に参拝する前に旅のけがれを払い清める潔斎所であったものと見られ、それが王子名となった。
●12:05 本宮大社到着
お疲れ様でした!
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このコースを語り部さんと歩く素敵なツアーがあります!
世界遺産熊野古道を訪ねて
JALで行くあったか南紀
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熊野古道を歩く - 中辺路歩き方ガイド -
中辺路一番の難関!わらじ峠、岩神峠、三越峠を越えるコース
★★★ かなりきつい 難関
●10:45
休憩所
小広王子から再び山道に戻る。公衆トイレ手前で林道と交差するので、 熊野古道道標に沿って古道に戻ろう。下り坂をさらに下ると 休憩所が見える。
●10:55
熊瀬川王子
休憩所からほどなく行くと広い場所に出る。熊瀬川王子跡だ。
鎌倉末期の熊野縁起に出てくる熊背川王子はここにあったといわれているが、小広峠だったという説もある。
●11:10
わらじ峠
熊瀬川王子からわらじ峠まで登り坂が続く。わらじ峠を上りきると今度は 女坂と呼ばれるつづら折れの急な下り坂が始まる。
石畳の上に苔がところどころ生え、木の根が延びている道を下る。
天気の日でも滑りやすいので足元に注意して下ろう。
●11:30
仲人茶屋
下りが終わると今度は男坂と呼ばれるつづら折れの急な登り坂が始まる。男坂と女坂の狭間にあるのが「仲人茶屋」
ほほえましいネーミングが辛い峠越えに英気を与える。
急な登り坂を登りきると ゆるやかな登りになる。
●11:55
岩神王子
険しい坂道を登り、岩神峠のそばにある。
中右記の天仁2年参詣記で藤原宗忠が夜の白むころ、この王子に参り、社辺にいた盲人に食料を与えたと記されている。
この辺りは峠ということで風が気持ちよく吹き、木々の間の木漏れ日がキラキラ輝き峠越えのつかの間の休息になる。
<ランチ>
少し下ると川沿いに沿って歩く平坦な歩きやすい古道になる。
●13:10
おぎん地蔵
川沿いを歩いていくと見落としてしまいそうな小さいお地蔵。
「妙安自楽信女、俗名おぎん」
と刻まれている。1816年10月29日がおぎんの亡くなった日である。
おぎん地蔵伝説
私もそっと手を合わせる。
●13:30
蛇形地蔵
湯川川の小橋を渡る手前にお寺の参拝道のような道がある。
登っていくとあるのが蛇形地蔵。
蛇形地蔵は広く信者をもっていて、三月下旬の祭礼時は、数百人が参集して、餅まきや無礼講の酒宴を楽しむ光景が見られる。
奥には簡易トイレも設置され、水飲み場もある。
この辺りのことを藤原定家の御幸記には
「夜中に湯川宿所に着く、路の間崔嵬にして夜行は甚だ恐れ有り」
と記されていることからもこの峠越えが厳しかったことがうかがえる。旅の途中に倒れた者たちの墓や地蔵が下る途中に見られる。
湯川王子手前には 湯川一族の墓もある。
●13:45
湯川王子
道湯川の氏神として祭られている。
ここは参詣道の要地で院政期には上皇や貴族もしばしば宿泊や休息をし、谷川でみそぎを行っていた。
明治末期に無理やり近野神社に合祀され、さらに無人となったためか、荒れた感じの残る王子。
●14:00
三越峠
湯川王子の先から段々急な登り坂になり、途中からつづら折れの登り坂になる。
峠をすでに二つ越えての最後の峠。呼吸が乱れる。
上りきった先は広い道路になっており、休憩所小屋がある。
<ここから語り部さんと合流>
●14:45
船玉神社
三越峠から長い下り坂を降りて行き、音無川沿いの道になったあたりから、平坦な道を進んでいく。
熊野本宮大社は音無川上流に、そしてこの船玉神社は下流に位置する。
月に一回、「みよろの星」と言う霊魂のようなものが、この音無川を行き来したという伝説も残っている。
不思議な形をした龍が玉を口にくわえていたり、キツネが鎮座していたりと興味深いものがたくさんある神社。
船玉神社手前からは 赤木越えに行くルートの看板も出ている。
●15:00
猪鼻王子
平坦な道をまっすぐ進み林道から少し分岐したところにある。
この王子も緑泥片岩の碑が見られる。藤原定家 中右記には「深山にして樹木多く、苔ありて、それが枝にかかること藤枝の如し。」と表現されている。
今でも奥深い山奥にひっそりとたたずんでいる姿が熊野らしい雰囲気を持たせている。
ここから登り坂を登りきるとツアーなどの出発点とされている「発心門王子」に到着する。
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