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熊野古道を知る - 熊野伝説 -
以前、ブログで 「小栗判官と照手姫物語」の概要を書き、世界で最初に世界遺産登録された温泉で有名ということをご紹介しました。
ここ湯峰温泉はつぼ湯だけではありません!小栗判官蘇生の地、湯峰には史跡が点在しています。
●力石
小栗が湯治の間、体力の回復を試すために持ち上げた大小の石を人々は「力石」とよんでいます。
●不蒔(まかず)の稲
小栗が髪を結わえていたわらを捨てたところに稲が生え、毎年米が実り続けることから「まかずの稲」といわれています。
その他、本宮と湯峰温泉との間の道脇に小栗が乗ってきた「土車」をうめたとされる「車塚」が町指定の文化財として残っている。
これらの史跡は歩いて5分ほどの場所にあるので、朝ご飯前の散策としてちょうどいい。
もしくは、つぼ湯の待ち時間の間にちょっと散歩というのもいいかもしれない。
湯峰温泉だけでなく熊野地方には小栗にまつわる史跡がこの他にも多数残されている。
熊野古道を知る - 熊野伝説 -
那智大社方面から大門坂に行く場合、新宮駅を通過する。
時間がある場合、ちょっと立ち寄りしてみてはいかがでしょうか?
紀勢本線JR新宮駅から歩いて15秒くらいのところに徐福公園があります。
日本の美といった趣がある熊野に突然現れる中国風の門構え。
徐福は今から2200年前、中国を統一した秦の始皇帝に仕える方士(方術を行う人)でした。
始皇帝の命を受け、東方海上の三神山にあるという「不老不死」の仙薬を求めて三千人の童男童女を引き連れ、「蓬莱の国」へと旅立ちました。
当時、中国は、始皇帝の武力により平定されたばかりの政情不安定な状態。
始皇帝は「「人民に知恵を与えれば、欲を募らせ、さらに混乱の世になる」と考え、厳しい法・制度を定め、恐怖政治をしいていました。
そんな始皇帝についていた徐福は逆に「自然と共に平和に生きていくことに人間の幸せがある」と考える人物。
徐福一行は、とうとう熊野にたどりつき、自生する「天台烏薬」という薬木を発見しましたが、気候温暖、風光明媚、地元の人の暖かい心に触れ、この地に住み着きました。医、薬、農耕、漁法、捕鯨の技術を教え、人々に慕われながら余生を過ごしたといわれています。
この伝説は作家の司馬遼太郎先生が、彼の本に共感し、名前を同じ名字にした、中国の修史官 司馬遷 が著した中国で最も古い歴史書である「史記」にこの一団の話がある。
日本古代史、縄文・弥生時代に興味がある人は関心がある伝説ではないでしょうか?
熊野古道を知る - 熊野伝説 -
八咫烏(ヤタガラス)ゆかりの地、熊野本宮には八咫烏が描かれた旗や伝説が記された碑などがある。
熊野にこなくてもどこかで見たことがあるなと思われる人も多いのではないだろうか?
日本サッカーの生みの親といわれる中村覚之助の出身地が愛知県那智勝浦だったことから日本サッカー協会のシンボルマークに採用されました。
八咫烏の「咫」は長さの単位で、それ1字では「あた」と読み、「八咫(やあた→やた)」では「大きな」という意味。現在は3本足で描かれていますが、実はどこにも3本とかかれていないとか?
八咫烏といえば、日本書紀や古事記の中で神武天皇との昔話がある。
その昔、宮崎県、日向の高千穂に住んでいた神武天皇は天下を治めようと瀬戸内海から淀川を上り、大和に向かったが、その先で地元の豪族の攻撃に遭い、あえなく撤退。この敗戦を、太陽女神アマテラスの子孫であるにもかかわらず太陽に向かって戦ったためと考え、紀伊半島の南、熊野から北上して大和の国を攻めようとした。しかし、熊野の村に着くと、全員気を失い倒れてしまう。
このときに熊野の高倉下が一振りの横刀(たち)を献上すると、みな目が覚める。さらに、熊野の山の荒ぶる神は自然とみな切り倒される。
次なる神のお告げは
「天つ神の御子、ここより奥の方には入りなさるな。荒ぶる神がたいそう多くいる。いま、天より八咫烏(ヤタガラス)を遣わそう。その八咫烏がお前を導くだろう。その案内する後からお行きなさい。」
とおっしゃった。
天皇はそのお告げのまま八咫烏に導かれ吉野川の上流にお着きになったそう。
ただ、このお話を読んで不思議に思うのは、八咫烏は天から遣わされたように記されていますが、現在は熊野神々のお使い。
そうすると、神武天皇は熊野の人にとって侵略者。どうして、導いたのだろう?などと素朴な疑問がわいてくる。
カラスという視点でみるとこの話しもあながちうそでもないなと思うことは、カラスの仲間はクマなどの大物を捕らえる動物についていく習性がある。こういった動物についていけばその残りをいただけるということも知っている。この習性からみると神武天皇についていった八咫烏があたかも導いているようにみえたという解釈もできるのでは?と思った伝説でした。
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湯の峰温泉といえば 「つぼ湯」
初めて世界遺産登録された温泉だ。
一日に七度色が変わるといわれるこのつぼ湯はようやく二人入れるほどの小さな大きさ。
この小さな「つぼ湯」につかったといわれているのが小栗判官。二人のロマンあふれる物語がここにある。
<その1>
常陸の国(茨城県)小栗城主平の満重は足利軍に攻め入られ落城。その子助重(小栗判官)は父の命をうけ、小栗家再興を決意し、家臣らと三河の国をめざすも道中、毒殺未遂にあう。この命をとりとめたのが相模の守護代の娘「照手姫」。
しかし、猛毒のため全身がただれ手足の自由も奪われ、見るも無残な姿に変わりはてる。
しかし、藤沢時宗総本山薬師如来のご加護と湯の峰温泉の薬湯のおかげで元の姿にもどり、小栗家の再興もなしとげた。
<その2>
小栗は周辺のみなが知っている遊び人。そんなプレイボーイが人目ぼれしたのが小野小町と美しさを競えるといわれるほどの美女「照手姫」
小栗は強引に照手姫のもとに婿入りをしたため、照手姫の父に毒殺される。
照手姫も海へ流される。こうして離れ離れになった二人だが、小栗は閻魔大王の計らいで蘇生するも耳も聞こえず、目も見えず、全身不自由な姿に。
また、照手姫も売られ売られて、遊女の水汲み女として働いて生き延びていた。
小栗は
「熊野の湯の峰温泉につかれば元に戻る」
というおつげを信じ、湯の峰に向かう。お坊さんは
「一引きすれば千僧供養、二引きすれば万僧供養」
という札を小栗に書き、多くの人が小栗を車に乗せ、湯の峰まで引っ張った。
途中、照手と小栗は運命の再会を果たすも変わり果てたお互いの姿に認識できない。
それでも、照手は亡き夫の供養になると湯の峰まで車を引き続ける。
こうして、小栗は湯の峰にたどりつき、無事照手姫のもとに帰ったのだった。
その2のほうが話しにあつみが加わり、さらに、小栗を載せた箱車を長い道中引き続けたという照手の情愛に心うたれる。
そして、この物語は湯の峰が重病をわずらった人々の救世の地であったことを物語り、老若男女問わず受け入れる熊野の懐の大きさもまた、和泉式部の伝説と同様わかる物語である。
湯の峰温泉 「小栗屋」ではこの物語のお話や小栗判官のことを語り部をしているご主人から伺うことができる。
また、市川猿之助が演じて大ヒットしたスーパー歌舞伎の「オグリ」でも知られている。
つぼ湯は公共浴場なので誰でも入れるが、昨今の世界遺産登録の恩恵もあり、かなり混んでいるので予約が必要。つぼ湯からまっすぐ歩くと橋があり、右手に南薬師如来がある。その横が「温泉汲み取り所」。この奥につぼ湯の入湯券が販売されている。
入り口にサンダルがあると誰かが入っているので外のベンチで待とう!つぼ湯に入る前に券を入れるポストのようなものがあるのでそこにチケットをいれて入浴する。
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●つぼ湯●
営業時間:6:00-21:30
入浴料:750円
一回30分まで入浴可
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熊野古道を知る - 熊野伝説 -
伏拝王子脇には和泉式部供養塔が立つ。
伏拝王子という名前の由来の一つと考えられている女流歌人和泉式部についての伝説が伝えられている。
熊野詣に来た和泉式部は伏拝まで来たときに、にわかに月の障りとなる。本宮参拝ができず、伏拝にとどまり詠んだ一首。
和泉式部、熊野に詣でる時に、ある時船にて月水のかなしひ待りければ、大鳥居わき桜の下に終夜して
晴れやらぬ 身の浮き雲の かさなりて 月のさはりとなるぞくるしき
その夜、熊野権現が夢に現れて詠んだ一首。
もろともに塵にまじわる神なれば
月の障りも何かくるしき
↑月の障りもくるしくないという意味
式部はこのお告げに感謝し、何度も熊野権現を伏し拝み、無事熊野参詣を果たしたという。
伏拝王子にくると初めて熊野本宮と大斎原を望むことが出来る。ここまできて月の障りになり、熊野本宮手前で立ち往生した式部の気持ちはいかほどか?
美しい伏拝の里あり、くるものを優しく包み込むようなこの場所はNHKの「ほんまもん」の「山中家」の撮影も行われた地。
熊野信仰は男女性別関係なく聖地に詣でることができるということを真に伝えた伝説。当時、熊野本宮に向かった参拝者たちの心をとらえた理由の一つではないだろうか?
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