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熊野古道 - Slow Stay熊野 -
中辺路は
峡深き里
暮早し
こんな俳句が古道のいたるところで見られる熊野古道。
信仰の道、癒しの旅、黄泉の国・・・
とさまざまな言葉で伝えられる熊野。
しかし、自分の目で見て、歩いてみなければやっぱり熊野の本当のよさは見えてこない。
熊野古道を訪ねる旅行者は
1.世界遺産めぐりをしている旅行客
2.バックパックをかつぎ、杖をついて歩く
という2パターンがある。
前者は旅行会社などが企画した見所を抑えるツアー。「熊野本宮」や「大門坂」などを軽くみて歩く人たち。
後者はゆっくり自分の足で歩いて、古道沿いの遺跡や植物、歩くたびに見える景色に一喜一憂する人たち。
時間の関係でどうしても、前者にならざるを得ないという人たちも多いと思いますが、やっぱり日常の生活ではなかなかできない、 ”土を踏みしめて歩く”ということを熊野ではしてもらいたい。本当にそう思います。
私自身、峠越えをしているときに
「なんで、こんな苦しい思いをしてまで歩いているのだろう?」
と思うこともしばしば・・・
くたびれながら越えた峠の先にあるもの、日々の日常からの開放。
そして、癒しと充足感。
熊野古道とよばれるルートは全体をあわせると500km以上にも及ぶ。
私が歩いた道とブログで紹介した道はまだほんの一握り。
時間を見つけてまた熊野を再訪しようと思う。
それほど、熊野は私を惹きつける場所だった。
そんな思いをおすそ分けしようと始めたこのブログはいつしか、開始から約1年?
時々、更新が遅れたりして本当に申し訳ございませんでした。
ブログは終了しますが、コメント欄などに入れていただく、質問などはいつでも受付中です。
気軽にお問い合わせください。
熊野へ参らむと思へども
徒歩より参れば道遠し
すぐれて山峡し
馬にて参れば苦行ならず
(梁塵秘抄)
熊野古道 - 歳時記 -
日本三大火祭りのひとつに数えられる 「那智の火祭り」
毎年7月14日に開催されます。(今年は終わってしまいました・・・)
重さ50㎏以上もある大松明の炎が参道いっぱいに乱舞。勢いのあるお祭りです。
那智山の信仰のお話しは こちら
この例大祭は、熊野那智大社から御滝前の 飛滝神社への年に一度の里帰りの様子を表したものです。
※那智大社は滝を神とする自然崇拝からおこった社です。現在は山の上に社殿があるものの元は飛瀧神社がある那智の滝に社殿があり滝の神を祀ったものだと考えられています。
十二体の熊野の神々を、御滝の姿を表した高さ6mの十二体の扇神輿に移し、御本社より御滝へ渡御をなし、御滝の参道にて重さ50㎏~60㎏の十二本の大松明でお迎えし、その炎で清める神事が「那智の火祭り」。
●午前11時
那智大社境内にて
・「大和舞」
平安時代の衣装を着た男たちが太鼓を片手に乱舞します。
・「那智田楽」
田植えから稲刈りまでの農耕作業の様子。
●午前11時30分
国の重要無形民俗文化財に指定された 「那智田楽」の奉納。
●午後2時
←こちらの参道をかけあがります!
いよいよ、クライマックス!御滝本神事(大松明に点火)は滝前の参道にて行われます。
大松明は十二本。点火された大松明を手に白装束に烏帽子(えぼし)姿の氏子たちが駆け上がります。
薄暗い参道が氏子たちの「ハーリャ、ハーリャ」という威勢のよい掛け声にあふれます。
熊野の神々を表した12本の扇神輿を12本の大松明が燃え盛る炎で清めながら那智の滝へ迎え入れられ神事に幕を閉じます。
世界遺産を背景に繰り広げられる1300年の歴史あるお祭りです。
熊野古道 - Slow Stay熊野 -
中辺路をすべて歩こう!と私のように考えている方!
腹が減っては戦はできぬということで、途中には何も食べるところはありません。
特に 小広峠~発心門王子の区間は峠越えが多く、寂しい道が続く・・・
途中でご飯でも食べないと足がもつれてうまい具合に歩けない!
そこで、おススメしたいのが熊野古道弁当です。
女将手作りのお弁当は 名物目はり寿司や地元でとれた山菜などがふんだんに入ったおにぎり。そして、腹休めとして漬物。
運動後、外で食べるおにぎりほどおいしいものはありません!
写真は川湯温泉一角にある「大村屋」という民宿の熊野弁当で¥1,050。
食後は旅の思い出を詰め込んで帰って欲しいということから再利用可能な竹籠を使っています。
私は近露王子にある 「民宿ちかつゆ」のお弁当を食べました。こちらは¥600。写真のお弁当より量が少なめでしたが、目ハリ寿司や山菜おにぎりが入っていておいしい!
女の私でもちょっと足りない感じがしましたが、足りないぐらいがいいのでしょう。
運動後の晩酌におなかはとっておけということだったのでしょうか?
写真はお茶のペットボトルが写っていますが、私は旅館でお水をペットボトルに汲んで途中、いくつかある給水ポイントでお水を調達していました。
このお水がおいしい! 野中の清水に代表されるように熊野はお水もキレイで冷たくおいしい。
お茶もいいけど、まっさらなお水でいただくのもいいのではないでしょうか?
熊野古道 - 世界遺産登録への道 -
武士・農民・庶民の熊野詣は大正時代で一度終わりを告げる。
近代開発が進む中、幹線道路や住宅地の建設で古道の一部は失われていく。
峠越えの部分は長い間忘れ去られ、草が生い茂り人の目に触れることはなくなった。
最初に注目されたのは戦後まもなく。歴史的文化遺産を見直す動きが出てくる中熊野古道の価値に気づき、「歴史の道」に選定され、整備された。
しかし、まだこの頃は地元や関西の近場の人が歩くくらいのもの。
広く一般の人に歩かれるようになったのはまた少したった1970年代。
まだ、バブル絶頂のさなか、街はどんどん近代化していき緑がなくなってくる。やはり人というのは何かに息詰まったり、仕事で忙しくゆっくりする時間がなくなると自然に帰りたくなるものだろうか?
熊野古道を歩く人が年々増えていった。
それは年を追うごとに増し、とうとう世界遺産登録をされる原動力となったのである。
話は少し戻り、バブルが崩壊した10年ほど前。経済や社会の行き詰まり、環境破壊の見直しなどでやっと根本の何かに気づいたのかもしれない。
昔も今も熊野を歩く人の心は変わらないと思う。平安時代といっても皇族や公家の人たちは現代の人と同じように政治やその他もろもろにストレスを感じていただろう。
一般庶民ももちろん、それぞれ悩みを持つ。
霊験新たかな神仏がおわす熊野に詣でると現世の幸福と来世への救いが求められるというのも理由の一つだが、やはり一番の理由は、長い旅路をたどり、悩み多き日常生活から離れ、癒しを求め、緑多き、熊野を歩き、山々の風景、そして、歩くたびに発見する植物の素晴らしさに胸躍らせ「旅」を満喫していたのではないだろうか?
世界遺産登録されて、早2年。
今後もますます熊野古道は注目され、年齢問わず人々を癒しの道へと案内してくれることだろう。
熊野古道 - 世界遺産登録への道 -
熊野信仰の起源は平安時代の上皇たちの熊野詣であったが、熊野御幸が絶えた後は、一般庶民や武士、農民の参拝が盛んになった。
ほとんどの人たちは 紀伊路(大阪にある第一王子窪津王子から紀伊田辺あたりの出立王子まで)の海沿いを歩き、そこから 中辺路をたどって熊野本宮を目指したが、紀伊路からそのまま海沿いを行く 大辺路(紀伊路から紀伊半島を南下してそのまま北上し新宮まで)を行く参拝者と二手に分かれた。
さらに別ルートに高野山参拝をしてから 小辺路(高野山から山を登り降りしながら中辺路途中にある 発心門王子に出て熊野本宮に向うという道をとる人もいた。
東国方面からは東海道を歩き、伊勢神宮に参拝。 伊勢路(三重から新宮へ出る海沿いの道)をとって本宮へ。
会津(福島県)から歩くと大体一ヶ月ほどで新宮に到着するという。
さらに、僧侶、修験者たちは吉野山から、 大峯奥駈道といって山上ヶ岳、大日岳、玉置山などを越え熊野へ。この山越えの険しい峠道は民家もなく難行苦行の修行の旅でもあった。
こうして、平安時代は上皇たちが、その後江戸時代まで一般庶民が熊野本宮をめざし、来世への思い、そして、日常生活からの開放とさまざまな悩み、思いを抱えて熊野を目指したのだった。
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